ブラインドの隙間から朝の明るい光が漏れる、静かな部屋の中。
窓辺のデスクでパソコンのスクリーンセーバーを前にべったりと突っ伏して、えらく長身の男が1人窮屈そうに寝息を立てていた。
そのうちに、身じろぎした肘がデスクの脇にうず高く積んであったファイルやノートや新聞の山に当たって、男の上へと崩れる。
ドサバサと次々に男の頭や背中を襲う、硬いファイルの山。そしてその山が崩れきったころ、それらに埋もれた状態で男がやっとその目を覚ました。
「……く…私としたことがまさか寝落ちしてしまうとは…。歳ですかね…」
昔は3日3晩ノンストップでも余裕でしたのに…などと呟きながら、自身と同じくファイルの山に埋もれてしまった年月日付きデジタル時計を探し出す。
探し出した時計で日付と時間を確認してから、男―――キリエは体を起こして、デスク周りに散らかってしまったファイルや新聞を拾い集め始める。
先のハントで入手した膨大な量の情報データを公的な資料と精査しながら、ハンターサイトへ書き込み始めて早3日目。
それまで情報を入手するだけして書き込みをサボッていた分もあり、なかなか終わりが見えそうにない。
「さすがにそろそろ有能なスタッフを1人2人雇うべきでしょうか……。さて」
拾い上げたファイルと新聞とノートをまた元の通りデスクの上に山と積み上げ、キリエは席を離れた。
―――――デスクワークにも正直飽きた。
やはりこんな退屈なデスクワークなんかよりは誰か他人をおちょくって遊ん……いえいえ、人付き合いしている方が好きですね。
…終わりそうにない仕事はほっぽって、またハントにでも出かけますか。
期限無しの仕事は今日無理にやらないのがモットーです。
ハンターサイトへの書き込みが終わらずとも、情報なんてものはこの頭の中にあるだけで十分金になるんですから。
ぶつぶつとそんな独り言(という名の自分への言い訳)を繰り返しながら、部屋の中をうろうろ。出かける準備をしたキリエ。
最後にもう一度ハンターサイトへとアクセスし、伝言板や掲示板の内容を確認して―――
揚々とキリエは部屋を出て行く。
バタンと扉が閉められた振動でまたドサドサッと何かが崩れたが、キリエが部屋を覗き見に戻ることはなかった。
事務所から近場のカフェで朝食を摂り、それからキリエは『さて今日はどうしようか』と目的を探して適当に街をぶらつく。
「そうでした。事務所のスタッフ!探さないといけませんね」
思い出したようにポンと手を叩き、そう独りごちる。
「とはいえ、仕事内容からすると一般募集をかけるわけにはいきませんし、協会所属のハンターでないとやはり無理ですか」
金になるならば雑多な情報も扱うとはいえ、基本的にキリエが収集しているのは犯罪者の人物情報だ。
扱う情報が情報だけに、当のブラックリスト入りの賞金首から報復で狙われることも少なくない。
キリエ本人がそれに応対できれば制圧は苦でもないが、自分がそばに居ないときに雇った事務スタッフがマトにかけられてはたまらない。
最低限自己の身を守れるだけの腕っぷしがあるのは当然としても、仕事の内容的にはその上さらに情報というモノに対して誠実で口の堅い信頼のおけるハンターであることが絶対条件だ。
入手した情報を安価で切り売りされたりなどしては信用にも関わる。
「それでいて見た目可愛らしい子だと個人的にはなお良いのですが。となるとなかなか難しいですね。
会長に少し掛け合ってみましょうか?人材ならば副会長の方が幅広く取り扱いがありそうですが、あの方の息のかかった人間を懐に入れるのはさすがに御免被りたいところですしねぇ。
そうなるとあとは…ふむ。顧客のハンター何人かに直接当たってみますか?個人情報の流用は信頼関係を崩しかねないので極力避けたいところですが…。
おっと。なら馴染みの警察官から若い子でも引き抜いて、イチから育ててみるのも一興かもしれませんねぇ。その方が退屈はしなさそうです」
ハンターサイト公認の情報ハンターであるキリエ。自身の"影"を使った『影読み(シャドースキャン)』と『影法師(シャドーサーバント)』という能力を使う特質系念能力者だ。
『影法師(シャドーサーバント)』は主に戦闘・制圧用だが、『影読み(シャドースキャン)』の方の使用範囲は幅広く、情報収集でこそその力を発揮する。
むしろこれがあったからこそ、キリエは情報ハンターとして一つ星(シングル)の称号を得るにまで至った。重要な能力だ。
特定人物の皮膚、毛髪、血液、体液、肉体の一部を自身の影に入れることで持ち主の情報―――身体的特徴から病気の有無、肉体的な癖や強さ、その念能力の情報までも―――を読み取ることが出来る。
もちろん対象本人を影に入れることができれば一番早いが、そうなると捕縛も同然なので当然そんな機会に恵まれることはめったにない。
なのでそれらの遺留物などを入手するため国の警察機構とも協力体制を敷くことがあり、キリエは犯罪者に関する遺留物や証拠品の一部を、警察機構は事件の犯人や犯罪者についての情報を。
持ちつ持たれつで互いに提供し合うことでWIN-WINの関係を築いている。
―――もっとも遺留物からのスキャンの場合、その最も効率的な使用方法は、対象物を舐める・食べるして"体内の影に取り込む"形になるので、いくら場慣れた警察官といえどその様を嫌悪されることも少なくはなく。
"影"に入れた証拠品等々を返せるわけでもないし、相互理解がきちんと出来ていてちゃんとした協力体制がとれている者は警察機構の中でも数が限られるとはいえ―――
それでもその何人かには、多少の無理なお願いを出来る程度には十分すぎる貢献をしているつもりだ。
共同で捜査した難事件の解決後に大きく出世した人間だっている。
彼らに少し、使えそうな若いの……は逆に手放したくないだろうから、組織として手に余っているようなイキの良いのなんかを回してもらえないか、相談を持ちかけてみようか。
「あとはもう手っ取り早く、優秀そうな賞金首の1人や2人を捕まえて弱みでも握って、ハンター特権で雇ってしまいましょうか。その方が酷使は出来そうですね」
「…そちらの方がよほどブラックそうだな」
「ええ、ブラックリストだけに。……なんて。おやおや。お久しぶりですね団長さん」
いつの間にかキリエのすぐ隣に並んで、幻影旅団の団長であるクロロ=ルシルフルが―――
旅団の団長としての脅威を振りまくような姿ではなく、以前遭ったときと同じように昼間の街中のどこにでもいそうな好青年風のなりで歩いていた。
「なんだ、驚かないんだな。気付いていたのか?」
「いくら気配を絶とうと、同じ影に入られれば存在くらいはすぐ分かりますよ?」
「………なるほど。」
にっこりと笑顔で言われ、クロロは足元を見てから上を見上げた。
ちょうど街路並木が続く涼やかな木陰を歩いていた2人。
キリエの影を踏んだりはしていないが―――とはいえ、たしかにずいぶん前から同じ影の上に居たともいえる。
「貴方の能力は、なにか"影"に関する特質的なものだったな。思えばずっと日影や物陰を選んで歩いていたか。以後、接近の際には気を付けるとしよう。
…ちなみに聞くが、その"同じ影"というのはどの程度の範囲で有効なんだ?影が重なってさえいれば存在の察知ぐらいはどこまでも可能なのか?」
「さて、どうでしょうか?団長さんの能力はたしかあれですね。"他人の能力を盗む"という特質的なものでしたね。
まあ私もヒトの事をとやかく言える能力ではありませんけれど…、能力の万能さから推察するとかなり面倒な制約を付けていると見ますが、そういった質問も能力発動に際する条件か何かに当たるのですか?」
「ふ…。さて、どうだろうな?貴方の能力で読んでみたらいいんじゃないか?いつかのオレの部下たちのように。あの影分身だけでなく、そういう能力もあるのだろう?」
「安い挑発ですねぇ。ようは私の能力を「見たい」という事で合ってますか?残念ですがその手には乗りませんよ?」
「そうか。それは本当に残念だ」
くっく、と楽しそうに笑みを漏らしたクロロ。
終始にこやかに交わされていた会話だが、周囲の空気はそれに反して妙に寒々しく乾いていた。
互いに自身の手の内は晒すことなく相手の手札だけを探ろうと、ひたすらに会話を重ねる。
万が一話の最中になにか口を滑らせて、ポロリと有益な事でも零してくれたらば儲けものだ。そんな淡い期待を薄〜〜く抱きながら。
キリエの予想としては、クロロの狙いは自身の『影読み(シャドースキャン)』の方の能力だと見たが、……さて。
「(――――まあ『影法師(シャドーサーバント)』の方は一度見せていますしね。興味を持たせてしまったのは、ウボォーギンさんやマチさんの、ナンバーや念の系統の事を盗み取ったときでしょうか?少々迂闊でしたか)」
幻影旅団という特A級の賞金首(エモノ)にお目にかかれて、あの時はどうやら私も年甲斐なく浮かれてしまっていたようです。
そう独りごちて、キリエは『やらかした』ことを反省するように明後日の方向を見やる。
「……まあいいでしょう。ところで貴方、一体何のご用事でいらっしゃったのですか?まさか"それ"だけが目的ではないのでしょう?」
"私の能力だけが"、と暗に確認を取ってみる。
「そうだな…。情報屋に用事と言えば一つしかないと思うが?」
「犯罪者を顧客リストに入れた覚えはないんですがね」
そんな簡単に真意を見せるような方でもないか、とキリエは『ふう』と一つため息を吐き、再び木陰の下を歩き出した。
するとクロロもまたそれを追い、隣に並んで歩き出す。
懐いた子犬のようで可愛らしくもあるが、
「(………私の好みはもう少し下の年齢なんですよねぇ……)」
目を細めて横のクロロを盗み見ると、視線に気づかれニッコリと害意の無い素振りの甘い表情で微笑まれた。
……童顔は嫌いじゃないのですが。
と…、キリエもニコリと、思ったことを隠すように作り笑いを返す。
「…そうだ。それはそうと、先ほどかなり興味深い事をぼやいていたな。事務スタッフを探しているとか」
「ふむ。このつい独り言を漏らしてしまう癖は早いところ治してしまわないといけませんねぇ…」
「ライセンス持ちの、ITに強い優秀なスタッフ1人2人ならオレが用意してやれるが?」
ピッとクロロは、キリエも見覚えのある1枚のカードをこれ見よがしに顔の前へと持って来て、見せつけてきた。
「…団長さん自ら立候補とは?裏稼業の管理職とはそんなにお暇なものなのですか?」
「諜報関係ならオレより優秀なのがもう1人いるぞ?そいつもつけようか?ちなみにそいつもライセンスは持ってる」
「さらなる人手をねだったわけではないんですがねぇ…。実に堂々とスパイのご提案をありがとうございます。
天下に名だたる幻影旅団の団長様と諜報員をスタッフにとはなんとも贅沢で魅力的なお話ですが、後が怖そうなのでご遠慮させていただきましょう。
まったく…、貴方がたのような犯罪者がライセンスまでお持ちとは、ハンター試験の選定基準はどうなっているのでしょうね?早急に意見書をまとめて賛同者を募ることにいたしますよ」
「犯罪者(こちら)側からの意見も必要なら一部の代表として手伝っても構わない」
「ふむ。予想以上にしつこくて驚きます」
「あいにくと狙った獲物は逃したことが無くてな」
「おやおや。光栄ですね、こんなしがない三十路ハンター捕まえて」
「クッ…、それでは三十路の人間を狩るハンターの意味にもとれるぞ?」
「18歳以下が好みですよ」
「童顔だとはよく言われる」
「……それをアピールする前に一度性別を省みた方が良いと思いますがね?」
「―――ダメか?男(オレ)では」
さすがに足が止まった。
―――何を、本気で言っているのか?とばかりに横のクロロに目をやる。
すると、クロロはたまらず笑いをこらえた素振りで顔を反らし身体を折って、プッ…ククッと零す。
…ぐ…これはしてやられましたね。とキリエもそこでクロロが今回接近してきた意図を悟り、恥じ入るように顔を歪めた。
「前回はお前にずいぶんと手酷くやられたからな。必ずやり返してやろうと思っていた。
これで1勝1敗だな、情報屋キリエ。お前の余裕を張り付けたその表情。一度でいい、崩れるところが見たかったんだ」
「………それはどうも。満足していただけたなら良かったです」
呆気にとられたマヌケ顔を元に戻すかのようにキリエは自らの顔に触れ、再び口元を軽く上げた。
「キリエ」
「……はい?」
にっこりと笑みを貼り付け、キリエはクロロに向き直る。
するとその瞬間、今度は襟元をグイッと力づくで引き寄せられ―――――
「……お前の"影"もいずれ貰う」
そう言って、再び愉快そうに口角を吊り上げ笑ったクロロ。
一度と言わず二度も目的のものが見れて十分に満足したような顔で。
挑発的な視線をキリエと交わしながらも――――くるりと踵を返して、今来た道を戻るように去っていく。
場に残されたキリエはクロロのそんな後ろ姿を瞳に映しつつ。
自身の唇へと指で触れ、それからフッとその口元に冷笑を浮かべた。
「……私の能力に勘付いていてなお口合わせとは、なかなか肝が据わっていますね。さすがの度胸というところなのでしょうか?団長さん…」
……ですがまあ、そちらがその気なら………いいですよ。次は泣かせて差し上げましょう。
「いずれ」と貴方が言うのなら、またその時にでも。
この私に勝負なんか挑んだこと、心の底から後悔するまでね?
つづく…?
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15周年で鮫屋様からリクエストをいただきまして、笑う死神シリーズで続きです〜!
旅団やクロロと主人公さんの絡みがもっと見たいとのことだったので…
クロロさんからの色仕掛けとか言われて色仕掛けェ!??ってなりましたが結局色仕掛けになりました笑…色仕掛け?なってますか?(何回言うねん)
クロロの貞操どころかシャルさんの貞操も勝手に危なくなってる気がしますが、続くのかこれ…??
楽しんでもらえたらいいなぁ
すもも