刹那的快楽主義者◆狂犬5題「噛み跡にキスを」




「でもさぁー。クロロ、よくあそこが分かったねぇえー?」


歩きながらに、新たに増やすことが出来た『本』のページを眺めていたら、自身の縄張りへ向け先を歩くレヤードからそう問われた。



「『ハゲタカ』たちに手伝ってもらったよ。いや、案外使えるものだな、あの歳になっても」

「アハハ!昔はねぇ、2人で結構暴れてたらしーよォ〜。ハゲタカもさぁ〜〜」

「…そうなんだ?」


半壊した『カミヤリ』のアジトで「まだ後片付けが残っとるよ」と、怯えた『カミヤリ』の手下たちを指して卑劣に笑った老人たち。

それを思い出しながら、クロロは手にしていた『本』をそっと閉じる。




『カミヤリ』は能力を盗んだ後、その場で放逐した。

すぐに自身の能力を失くしたことにも気付くだろうが、臆病で小心なあの男ならきっと、たとえ流星街を出てでも小賢しく長生きしてくれるんじゃないだろうか。


後に残っていたグループの中心メンバーたちも、来る途中レヤードを探すついでに強い連中は軒並み片したし(目ぼしい能力持ちがいなかったのは残念だが)。

あとはあのハゲタカどもに任せておいて問題ないだろう。死体を含め、適当に"後片付け"をしてくれるはずだ。




「もー寝たいィ〜。帰るぅ〜〜〜」


『本』の表紙を撫でてからそれを消す。…と、それとほぼ同時にレヤードのそんなぼやきが耳に入った。

「寝床、ぐちゃぐちゃだったよ?」とその背中に告げると、「フェ!?」という驚く声と表情が返ってくる。




ハゲタカに案内されて、『カミヤリ』のアジトへ向かう前に寄ったレヤードの寝床。

ゴミの塊を風避けに立てて、狭い隙間に汚い毛布をそこに敷いただけのまさに野良犬の巣穴と言っていいような寝床だった。


それを、攫われる際にさらに『カミヤリ』の手下たちに踏み荒らされたようで―――


元々ボロだった毛布はもう使い物にならないほどボロボロの端切れになっていた。



「ぁあ〜〜〜もぉお――――。どーしてくれんのぉ、これぇ!クロロが言うからぁ、見逃したけどォ〜〜!やっぱり我慢しないで殺せばよかったぁー!」


指でつまみ上げるように、今朝まではかろうじて毛布だったボロ切れを拾い、レヤードがそう嘆く。

どんよりと影を負い、でかい図体で小さくしゃがみ込むそんなレヤードの姿を見て、クロロは少しだけ考えるそぶりをし。




「じゃあ、レヤード。今日はオレのところに来るか?」


と問いかけた。



「えっ!?ホーントぉ〜?"オレのところ"ってぇ、クロロの寝床ってことォ?いいの〜?……あーでもぉ、それってー中央の方〜?あんまり良いイメージないんだけどォ」

「そうかな?悪所(ここ)よりはずっとマシだと思うけど」



クスッと笑って歩き出すと、レヤードもまたそのクロロの後について来て。


しかし、着ていたシャツも破れて泥まみれ、怪我も負ってその上返り血で血まみれの汚いレヤードをそのまま寝床に入れたい気がせずに、クロロはまず防護服たちが管理している礼拝堂近くの共同浴場へと向かうことにした。



「ねーね…、クロロぉ…。何ぃ?ここぉ…」


悪所では見られないような、長屋街の建物や大きな礼拝堂、たくさんの行き交う人々なんかをキョロキョロと見回し、レヤードは不安そうにクロロの服の裾をつまみながらその背中にくっついて歩く。

大人並みの体を丸め下を向いて歩くレヤードのその姿に、クロロは知らない場所に迷い込んでオロオロと耳を伏せ尻尾を足の間に丸める犬の姿を重ねる。


知らない建物に入るのを嫌がるレヤードの背を「大丈夫だよ」と押してやり、クロロは中にいた防護服の1人に声をかけた。



「タオルと石鹸を借りたいんだ」

「…またずいぶんと汚い犬を連れて来たものだ。どこで拾って来た?」


防護服にそう返されて、クロロは『やっぱり誰から見ても犬だよな』などと思う。

クロロと防護服とのそんな会話に、レヤードはやっとそこで自身の体が血まみれの泥まみれだったことを意識したようで。


「あ…、あの、クロロ…、オレ…」と慌て始めるレヤードをクロロは『何も言わなくていいから』とばかりに手を上げて制した。



「替えの服もあれば欲しいんだけど用意できるかな?」

「……その身長に合うものがあるかどうか。まあ探しておいてやろう。胸の傷はどうする?必要なら医者は呼んでやれるが、今はあまり薬の備蓄が無い。
 まずは綺麗に洗ってやったらどうだ。それほど深い傷ではなさそうだから放っておいても治るだろうが、清潔にしておくに越したことは無い」

「ああ、もちろんそのつもりで連れて来たんだ。じゃあ服の方よろしく。―――レヤード、行くぞ」

「あ…、うん」


自身を見る防護服をちらりと見返してから、レヤードは先を歩き出したクロロの後に駆け足でついていく。


「風呂借りるよ、」とクロロは廊下の奥に居たローブの男に手を振り、その脇の扉の無い入り口から中へ入った。

ところどころが欠けたり割れたりしているタイル張りの部屋。

レヤードがなにやら不審がって入り口から入りたがろうとしないのを、クロロが中から「レヤード、早くおいでよ」と呼び寄せる。


それほど広くない部屋の3分の1ほどをレンガ状のブロックを積み上げて浴槽として区切り、中にはブルーシートを張って水漏れを防ぐ。老人が4人ほど、先客として入っていた。

そしてその浴槽の横では、入り口に居たローブの男と同じローブを着た男が、溜めた雨水をドラム缶で沸かすその火の番で座り込んでいた。


「ぬるかったらドラム缶からお湯を足しなさい。やけどには気を付けてな」

「いや、大丈夫。浴槽を汚せないし、タライ借りてこっちでやるよ」


「あ、あの…クロロぉ…。ここ、何するとこ…?」

「風呂だよ。オレが体洗ってやるから、とりあえず全部服脱いで。ここ入ってくれないか?」


あちこち凹んで歪んだ大きな金ダライをタイル張りの上にガラガラと引っ張り出して、クロロはその中を指差す。

レヤードは「ええ〜〜…」と零して恥ずかしそうに身体を両手で隠した。


「裸ぁ〜?でもぉ…、だってさぁ…、人いるのにぃー…?」

「汚いから洗うだけだよ。ていうか今まだ空いてる方だから早く」

「んー、まぁ…、クロロが言うなら…良いけどォー…」


しぶしぶといった風にレヤードは破れたシャツと汚れたズボン、ボロのブーツを脱ぎ裸になる。

最後に首のチョーカーを外して脱いだ服の間に隠し、クロロに促されるままタライの中で膝を折り、背中を丸めて体育座りにそこに収まった。


…と同時にクロロが後ろから不意打ち気味に、手桶で浴槽のお湯を頭から被せて来た。



「ふぎゃ!?あっつ!!ぁあ゛っ!なにこれ!あっつい!?熱っ…!やめて!!ギャー!!」

「うるさいな。叫ぶほど熱くないだろ?もしかしてお湯被ったこと無い?慣れてな―――あ、逃げるなって、レヤード!」


泡を食ってタライの中から逃げ出そうとするレヤードの腕を、すかさず掴んで引き戻す。

水しぶきを上げタライの中にしりもちをついたレヤードを、クロロは服が濡れるのも構わずに後ろから片手でヘッドロックし、全体重をかけ押さえ込んだ。

そして火の番をしていたローブの男に向け「石鹸、石鹸」と手のひらをくいくいと動かして催促する。

するとローブの男も慌てて立ち上がり、備え付けの廃油石鹸をあせあせと持って来てその手のひらへと乗せた。


「あっ、痛い!!何!?目が!!痛った…!!目が痛ィい―――!!」

「石鹸だよ。知らない?目を瞑っておけよ」


泥と埃で汚れていたボサボサの黒髪に石鹸をこすりつけ、ガシガシと乱暴に洗う。

抵抗して暴れるレヤードをクロロもまた強い力で押さえつけ、頭の次には体、と上から順に洗ってゆく。


ローブの男が手伝うべきかどうなのか迷って結局何もできずに見ている中、先に風呂に浸かっていた老人たちからは犬のシャンプーのようなものを想像されているとは思いもせずに、クロロは中々泡立たないレヤードの体を一通り洗い上げて、それからもう一度。

2回洗ってもう一度お湯を被らせる頃にはレヤードはぐたーっと力を失くして、されるがままに。

クロロはというと腕に引っかき傷と噛み跡をもらい、混乱した最中にあの"斬る"能力を使われなかったのだけは幸いだったが、着ていたものは上から下までべしゃべしゃの濡れ鼠になっていた。



「あそこではどうしてたんだ?風呂とか」


入り口外に居たローブの男から、風呂の間に防護服から預かったという使い古しのタオルを受け取り、クロロはそれでまず自分の顔を軽く拭く。

それから、タライの中で膝を抱えてしょんぼりとうずくまっていたレヤードに、広げたタオルを頭からかけてやった。


「んん……。雨降ったときとかはそのまま体洗ったり、拭いたりィ…、雨水溜めてぇ…。いつもはそれで体拭くぐらい…」

「…汚いな」

「きれいにしてたよォ…。汚れてると怪我したとき大変だからって、ハゲタカがうるさいんだもん……。余計なお世話ぁって感じなんだけどォ……」

「そう?大事な事だと思うけど」


口をとがらせ、子供のような態度でふてくされるレヤードを、クロロはフッと軽く笑って。

それから、被せたタオルでわさわさとその濡れた髪を拭いてやった。



「ハイ、出来た。あとは自分で拭けるだろ?」


と頭に被せていたタオルをその広い背中に掛け直してやる。

レヤードは「あんがと〜〜」と立ち上がり、前を開けたままクロロに振り返った。



「……うわぁ…」


薄汚れてボサボサだった獣が、シャンプーひとつでずいぶんと血統の良い犬に化けたので、さすがのクロロも驚いて目を張る。


―――元々、造形は悪くないと思っていた。

同年代からすればずいぶんと背も高いし、体格も筋肉質とは言い難いもののしっかりと整った大人並みの体つきで。

足も長いし体のバランスも良くて、よくもあんな場所でそんな良好なルックスを手に入れられたよと感心するほどだ。


逆に言えばあの荒れた土地だからこそ、毎日あちこち走り回って飛び跳ねて、身体をよく使うからだと思うが。

顔だってどちらかと言えば美形の部類だし、「宝の持ち腐れ」ってこういう事を言うのかな?もったいない。とクロロはそんな感想を抱く。



「うわぁ、って何ィ…?」

「いや、ごめん。というか…、本当に身体だけは大人だよな、レヤード…」

「…ぁあ、ヤダぁー。どこ見てんのさクロロぉ…。てゆーかぁ、それよりさぁ…、クロロもべちょべちょじゃん〜〜?」

「わっ」


被っていたタオルをばさりと脱いでクロロの体に服の上から巻き付け、先ほど頭を拭いてもらったように今度はレヤードがわしわしとクロロの体を両手でまさぐる。


「アハハ!クロロもぉ、けっこー良い体だねええ〜〜!見かけによらずってぇ、そーゆーのかなぁあー!」

「ちょっ…、くすぐったいからやめろって」

「フヒ!ごんめ〜〜☆ ……でもぉ…、ホントにありがとね、クロロ……」


そう零して、レヤードがタオルごとクロロの体をそっと抱きしめてくる。

クロロは照れ隠しなのか「まあ、あんな汚い格好のままでオレの大事な寝床には入れたくなかったからね」とそれに皮肉のような言葉を返して、2人で少し笑った。





レヤードが機嫌良さそうにしながらすっかり体を拭き終える頃。

クロロは再びやって来た防護服に入り口外へと手招きされ、そこで間に合わせのスウェットパンツとフード付きのパーカーを渡された。

「なんだ、びしょ濡れだな。お前も替えのシャツが必要なら用意してやるぞ?」と言われるが、「すぐ渇くし、着替えぐらいは持ってるから大丈夫」とそれを断り、服を受け取ってレヤードに渡す。


代わりに、レヤードが先に着ていた破れたシャツと汚れたズボンの回収を要求され、クロロは「……ああ、」とタイルの上に脱ぎ捨てられていた残骸を見やった。


破れてボロボロのシャツはさすがに廃棄……いや、切って端切れに加工してリサイクルだろうが、ズボンは洗って補修されて再び誰かに使われるのかもしれない。

そんな予測をつけながら、クロロはタイルの上に脱ぎ捨てられていたそれを拾い上げ防護服のところへと持って行く。


……が、その途中レヤードが下だけ穿いた半裸の格好で「あ、待ってぇ〜〜!」とそのクロロを止めて来た。



「どうかした?もしかして必要だった?」

「えっとぉ…、服は良いんだけどねぇえー?首輪はね、返して欲しい〜〜」


とレヤードは服の間に紛れてしまったベルトチョーカーをゴソゴソとクロロの腕の中から探し出す。



「そんなボロの首輪、どうするんだ?」

「えー?そんなのー、もちろん着けるに決まってんじゃん〜〜?」

「……ファッションにしては変じゃないかな」

「ファッション……ん゛―――…ファッション…じゃ、無いんだけどォー……。クロロになら、いーかなぁ??……んーとね?…これ。」


首輪を着けようと晒した首のある部分を指差し、レヤードはクロロに見せてくる。



そこで初めてクロロは、そこに小さな傷があったことに気が付いた。


頸動脈近くに薄く小さくついた傷痕。見た感じはずいぶんと古い傷のようだった。




「これねぇ?なんかー、オレがすっげーガキん頃、『リーパー』って……あ、オレじゃない『リーパー』ね?オレの縄張り辺りに、そんな名前のヤツが昔居たんだってぇ。
 オレ、チビすぎて全然覚えてねーんだけど……。そいつに襲われて殺されかけたことがあったらしくてェ…」


「ああ…、ハゲタカたちに聞いたよ、その話」


とクロロは『カミヤリ』のアジトへ行く前にハゲタカたちから聞いた昔語りを思い出す。



「あ、そーなの〜?ずいぶんクロロにはおしゃべりなんだねー?ハゲタカ〜〜。誰も信用しないジジィ共だと思ってたんだけどなぁ。
 ……でぇ、その『リーパー』にやられて、でもなんとかねぇ?命だけは助かったらしいんだけどー…。大怪我で、そのあとも1週間ぐらいずっとヤバかったらしくてぇ…。ホントに死ぬとこだったらしー……。
 ハゲタカたちがね、時折恩着せがましくそんな話してくるんだけどぉ…。オレの怪我、なんかずっと手当てして看病してくれてたみたいなんだァ……。
 そんでね?そん時のー、傷の一つっていうのがこれらしーの。
 他の傷はさぁ、まあまあ全部きれいに治ってるんだけどぉ…、これだけこんなん残っちゃってて……。ちっちゃい傷なのにさぁ…ずうーっと消えないんだァ。
 こういう傷あると、あそこじゃ嘗められちゃうしィ…。なんかカッコ悪いしぃ、これで隠してたんだけどねぇえ?」

「なるほど」


手を伸ばし、つーっと傷を指でなぞると、「うひっ!?」とレヤードがくすぐったそうに首をすくめる。



「やめてよォ…、そこ弱いの〜〜」

「はは、そうなんだ?きっとこの傷は『三羽カラス』が最後の力で――――……」



……などと何気なく口にして、そこでクロロははたと我に返る。






「……『カラス』?さんば…からす……?なぁに、それぇ〜??なんでカラス〜?オレ、『ハゲタカ』の話してたよねぇ?」




キョトンとした顔で首をかしげてそう言うレヤード。


クロロはそれを「…あれ?」と思うも、それとは別に何かが思考の隅に引っかかった。




――――『ハゲタカ』たちはあの時、なんと言っていただろうか。





入り口外で待っていた防護服にボロの服を手渡し、それからその場で少し考える素振りを見せて、「……なあレヤード」とクロロはレヤードを振り返る。


「ん〜〜?」と反応したレヤードは服も着替え終わり、首にはベルトチョーカーをしっかりと着けた格好で「なに〜?」とクロロの元へと寄って来た。




「…いや…『ハゲタカ』…、のことだけど……。お前にとってあのハゲタカたちは、一体いつから『ハゲタカ』なんだ?」


浴場から出て、建物の外へと向かい歩きながらクロロはレヤードにそう問いかけた。

意味がわからずにレヤードは、頭の後ろに手を組んだまま首をかしげる。


「え〜なにそれぇ?意味ワカンナイんだけどぉ…、なんかの引っ掛け〜〜?ハゲタカはずっとハゲタカだよぉ〜?」

「……3人居たよな?」

「んん?……2人……だよねぇ??ふた…ふたり?……に!」


改めて問われたことで数字に自信を失くしたのか、指を2本立てて、クロロの顔色を伺うようにレヤードは小声で言う。



「…ああ。それは「2」だね。ふたり。もしかして算数苦手?」

「そ!?そっ、そ、そんなこと無いしィー!?」

「ふ…。そうかな」

「からかわないでよォ!?ふ、あの2人ねぇ!?昔からぁ…、ずっとねぇ?オレの縄張りに居座ってコソコソしてるんだけどォ……。
 別に、邪魔じゃないしィ…。オレの寝込みとか、襲ってくるわけでもねーくて…。だからオレもさぁ…、好きにさせてるんだけどねぇえ??
 ときどき、叩くと食べ物とかわざとらしく落としてったりしてぇ…。どーいうつもりかわかんねーんだけど、そーゆートコ案外使えるからさあ!ハゲタカ見つけたときはね!とりあえずオレ、叩くことに決めてるんだァー!アハハハ!チョロチョロ逃げてって、けっこー面白いよォ〜?」


「なるほど…。レヤードは"覚えてない"んだな」

「ふぁェッ!??……えっ!?何がぁ?」

「…ん。なんでもない」

「ええ…」



脱力したようなレヤードをよそに、クロロは歩きながらに思案を続ける。




覚えていないのは幼かったから、という理由も納得は出来る。

だがハゲタカたちの話を聞いた後では、どうしてもそれが頭の隅に引っかかって納得しきれないのだ。



ハゲタカたちが言うには、『リーパー』に襲撃されて死にかけた後から、レヤードは育ての親であるハゲタカ達にも手に負えない獣になったらしい。


ハゲタカ達は気付いていないのか、それとも自分たちと違って優しかったという『カラス』を想ってのことなのか、レヤードの変化を『カラス』が死んだせいだと思い込んでいたようだったが……。




「(ハゲタカたちはあの時、首の傷には言及していなかった…。もしもあの首の傷が、頸動脈を引き斬るような―――死に至るようなもっと大きなもので…。
 それを『ハゲタカ』達が来る前に『三羽カラス』が能力によって塞ぎ、小さな傷痕として残ったのだとしたら……)」




――――あやつの『治癒』は誰のどんな傷をも治す代わりに、その者に何かを失わせた。

舌の感覚だったり、耳だったり、視力、嗅覚、指先の感覚。それまで貯め込んだ知恵を失い阿呆になる者もいたな。


ああ、いたな。…ひひ、あれはさすがにおぞけの走る代償だった――――





そんな『ハゲタカ』達の話を再度思い出し、クロロは自身の斜め後ろを歩くレヤードの、不思議そうに首をかしげているその顔を盗み見る。




「(お前が、レヤードが傷の治癒と引き換えに失ったもの……)」



……もしかしたら『ハゲタカ』達も本当は気が付いているのかもしれない。

けれど彼らからすれば、"それ"を認めてしまうわけにはいかないだろう。


『カラス』という大きな代償を払った上での、このあまりにも残酷な現実。


認めたくなくて考えないようにしているのか……彼らがそのことを口にしなかったことも、気持ちは解らなくない。




「……"奇妙な関係"…か。報われないな、ハゲタカたちも」

「えー?何ィ〜〜?クロロぉ?なんか言ったぁ〜〜?」

「…なんでもないよ」



勝手な推測に過ぎないが、レヤードが歳格好のわりに異様に子供っぽい理由もまた分かった気がした。














「あ〜〜〜!?なにこれぇ!スゴイネー!?ベッドあんじゃ〜〜ん!」


いくつかの廃車が並ぶ中、錆びて天井が少し潰れたワゴン車の荷台を改造して作り上げたクロロの寝床を覗き込み、レヤードが嬉々として声を上げる。


拾った毛布を重ねて作ったベッドと、その周囲に貯め込んだ本の山。

木板で作った棚にはコップを切って自作したであろうカンテラのようなものが置いてあった。


質素なねぐらではあるが、悪所にある自身の本当に簡素なねぐらとは大違いの豪華さにレヤードの翠緑瞳が羨ましさでキラキラと輝く。



「クロロこれ、お前作ったのォ!?お前やっぱスゴイー!ベッドとかあ、ホントいーなァー!
 オレもこーゆーの、欲しいーんだけどぉ…、オレ、クロロみたくこんな器用じゃないからさぁ!作ろーとは思うんだけど、作れないんだよねぇえ!」


そう言って後部座席を覗き込むレヤード。

クロロはその間に運転席側に作ってあった荷物棚から乾いたシャツを取り出して、着替えながらに「そうなんだ?」と応える。


「ならオレがレヤードのベッド、作ってやろうか?材料さえそろえばそんなに難しくはないよ」

「アハハハ!マジー??嬉しいー!けどぉー。あそこだとどーせすぐ誰かに盗られるか壊されるからぁ、ベッド欲し――けどさぁあ?あんまいらな――――い!」

「ははっ。だったらなんで言ったの」


1人ツッコミのようにノリ良くはしゃぐレヤードのそんな言い方に、たまらずにクロロが吹き出す。

その間にレヤードはブーツを脱いで、後部座席のドアの無いドアから「今日はさぁー!とりあえず寝ていー!?」とごそごそ中に入ってしまった。


「1人用だからレヤードの図体でそこに寝られるとオレの寝床がなくなる…って聞いてないな」


「そこらへんあんまり触るなよ」と零しながら、中に入ったレヤードを追いクロロも続いて中を覗き込む。

するとレヤードはクロロの話も聞かずにさっさとベッドに潜り込んでしまっていた。



「狭いー。あはは、見てコレェ、足伸ばせないんですけど〜〜!」

「オレ用に作ったものだからね。レヤードがデカいんだよ」

「ベッドで寝たくなったらさぁ、クロロんトコ来ればいーかなぁ!?あー、でもォ、オレがここで寝るとー、クロロの寝床無くなっちゃうぅ〜?」

「うん。オレはそう言ったけどね、最初に」


「アッハ!ほんとぉ〜?ごんめ〜〜!じゃあじゃあー、…一緒に寝るぅ??」


とレヤードは毛布をめくって『ここおいで』とでも言うように自分の前のスペースをポンポンと叩いた。



「そこに男2人は無理だろ。それにまだ明るいし、寝る時間じゃないよ」

「いーからいーから。オレ、もう眠いしィ!詰めたら入るってェ!くっついてればぁ、狭くなくないしぃー?そのほーがあったかいよォー。ダイジョブダイジョブ〜!」

「……男に抱かれる趣味はないんだけどな」

「フヒヒ!何言ってんの〜?オレも無いよぉー?…無いけどさぁあ?とりあえずおいでよぉー!クロロがオレの事ここに誘ってくれたんじゃん〜〜!?一緒に寝よお〜〜〜?おっひる寝〜〜!!」


ケタケタ笑って、スペースをポンポンと叩き催促を続けるレヤード。

「はっやく♪はっやく〜〜♪ねークロロぉ!」と何がそんなに楽しいのか、思いきりはしゃいでいるレヤードのその屈託ない笑顔に負け、クロロは一つため息をついてから一旦入り口すぐの場所に腰を下ろした。


「懐いたら懐いたでずいぶんと距離の近い奴だな…」なんて思いながら背中から中に入ろうとすると、後ろから腰に抱きつかれ引きずり込まれた。

そんなことをするのはもちろん背後のレヤードしかいない。クロロの体を、その大人並みの大きな体で後ろからぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。



「レヤード。苦しいんだけど」

「うひひっ!まーまー!誰かと一緒にぃ、ベッドなんてぇ!オレ初めてなんだよぉ〜!?クロロはぁ、あったかくってぇ、いーニオイするねぇえ!アハハハ!ベッドって、良いねぇえ!」

「フ…。そんなにはしゃぐことでもないと思うんだけど……。じゃあレヤードのところじゃなくて、ここに作ろうか?お前の寝床」

「アハッ!!マジぃ!?いーのぉ〜〜??じゃあー、ときどき来るねぇ〜〜?来てもいい―――??」

「ああ。じゃあそれまでに用意しとく」

「ありがとおー。クロロはぁ、ホント…、良いヤツだねぇえ〜〜…」


そう言ったきり、レヤードはクロロを抱いたまま少し大人しくなる。

「なんだ?」とクロロが思っていると、レヤードはクロロの身体に回していた手を緩め、そしてクロロの腕をゆるりと掴んで持ち上げてきた。


「……何?レヤード」


問いかけるもレヤードは無言のまま、クロロの来ているシャツの袖を捲り上げ、その腕に残っていた真新しい傷―――自身で付けたひっかき傷と噛み跡に唇を寄せる。




「ごめんねクロロ…。オレ、ビックリしちゃってさ……。痛かったよね…?」



犬のようにペロリと腕の傷に舌を這わせ、レヤードは囁く。

後ろから抱きしめられていたためにクロロの目にレヤードの表情が映ることは無かったが、発せられた声は信じられないぐらいとても優しげなものだった。



「いや、平気だよ。それを言うなら、オレだって結構無理矢理だったからね」

「アハハ、そっかぁ…。じゃあー、おあいこね〜〜…?」



捲った袖を直し、ボタンを留めて、レヤードはクロロの腕をぱたりと下ろした。

それから再びクロロの体に両腕を回して、きつくならない程度に抱き寄せて来る。


「ごぉんめ…クロロ……。オレもうホント眠い…」

「ああ…、今日は朝から色々あったしね。仕方ないよ。このままホントに昼寝でもしたらどうかな?」

「うん…、うん。そーするぅ〜〜。今日はァ…いろいろあったねぇえ……。今日…楽しかった…」


ゆっくりとそう呟いたきり、レヤードのうるさいおしゃべりがすっかりと静かになる。


すうっと息を吐いて体をベッドに沈め、クロロは『ああ、これは本当に寝るな』と直感した。

だからクロロは手を伸ばして、窓にかかるカーテン代わりの布を引いた。まだ日は高く、明るい日差しが車内のいたるところに差し込んでいたからだ。

それをクロロはわざわざレヤードのために遮ってやる。



「んん………ありがと…クロロ……」

「いや…。あ、でも寝る前に一つだけ訊いても良いか?レヤード」

「…んぇ〜?……なーにィ……?」


のろのろと眠そうな返事を返してくるレヤードに、クロロは「お前を殺しかけたっていう、昔の『リーパー』の事だけど」と問いかける。



「……リーパ……うん…」

「レヤードは、『リーパー』に復讐を考えたことは無いのか?好き放題にされた仕返し……してやりたいと思ったことはないのか?」

「え〜〜…?なーに…急にィ……」


「戦う気があるなら、オレが探してやろうか?って…。今のレヤードなら今度はきっと負けないと思うし、なんならオレも手伝うから。
 ……どう?一緒にやってやらないか?」


「ん〜〜〜……。気持ちはぁ…嬉しーけどぉ……別に、いーよぉ…。
 オレぇ…、よく覚えてねーし…、だからそんなこと…今まで考えたことも無かったしぃ……。急に…、そんなの言われてもぉ……めんどーだし…クロロだってそれ、危ねー目に遭うかもだしねぇえ〜〜…?
 だからさぁ…いーよ……。もしもさぁ?いつか偶然でも遭うことがあったら、その時に考えるぅ……。
 気にかけてくれてありがとね…、クロロ……。でもオレはほんとに…大丈夫だから……。そんなの…探さなくていーから……」


「…そう?……そうか。ごめん、余計な事を訊いたな」

「んーんー……気持ちはァ…嬉しーよぉ…?てかぁ…、も…いー…?」

「…ああ。おやすみ、レヤード」

「……んー…、おやすみぃ……クロロぉ……」



ぽつぽつと言葉を零して、今度こそレヤードが静かになった。

クロロの体に後ろから手を回し、クロロの黒髪に顔をうずめてレヤードは眠る。安心しきっているのか、スースーと耳元に寝息が聞こえてきた。




――――そして今、クロロの目の前には力の抜けたレヤードの手が無防備な格好で落ちていた。


それを見て、クロロはその黒い瞳を細める。





『リーパー』を討つという話は、なにもレヤードのためを思っての話ではなかった。クロロ自身の都合も含めての話だ。



今ならば――――単にやろうと思えばすぐにでも"出来る"。

この無防備な手を持ち上げて『本』の手形に重ねるだけで良い。


それで最初の目的通り、『リーパー』の能力は"盗める"はずだ。あとの条件は揃っている。



ここまで色々とやってきてついに迎えられた最大の好機……ではあるのだが、しかしクロロはそのレヤードの手を取ろうとは思わなかった。




「(オレが能力を盗んだら、きっとコイツはあの場所で長く生きられない…)」


広い土地と人を牛耳っていた『カミヤリ』も居なくなった。

空白地帯となったあの場所に、どこか別のグループが縄張りを広げてくるかもしれない。それでなくても、議会の長老たちが"大掃除"をしたがっているという噂もある。

このまま能力盗んだとしたら、力を失ったレヤードは明日にも追い立てられて殺されるかもしれない。

"昨日"の事も"明日"の事も考えないこの男は、『逃げて生き延びる』などという選択肢を絶対に選ばないから。



そうなればここで能力を盗む意味がない。能力を盗んだ早々に、盗んだことが原因で死んだなどとなれば本末転倒だ。

盗んで、この近くで飼い殺しにするのも手だが―――


能力という牙を抜いてしまっては、レヤードのあの"黒"もまたおそらくは失われてしまう。



あの目。あの泥濘。―――能力以上に、あれを失うのが惜しいと思う。


一番に欲しいのは、見ていたいのはレヤードのあの目だ。生き生きと動き回るこいつにしか出せない、あの"黒"。

美しい翠緑の奥に同居する、自らと同じく醜く歪んだ"黒"。あのコントラスト。



だからこそクロロはレヤードに提案した。『リーパー』を探さないか?と。



幸い、『斬る』能力ならば所有者はレヤードの他にももう1人いる。

レヤードと同じ能力で、レヤードを殺しかけたという……先代『リーパー』。


レヤードのあの瞳を残したまま、それでも『リーパー』の能力が欲しいというなら、そいつを探し出して奪えばいいのだ。


盗む相手が『レヤード』である必要は無い。




クロロ自身の、そんな都合を含めての提案だった。




「レヤードは『別にいい』なんて言っていたが……。とは言え、やっぱりいずれは遭わせてやりたいと思うよ。
 どんな顔で、どんな色の目でお前はそいつを殺すのか…。なんなら能力を手に入れるよりも、そっちの方が興味をそそるかもな…。なぁ、レヤード……」



静かにそう呟いて、クロロは目の前にあるレヤードの手を取る。


そして持ち上げたその手を―――暖かな毛布の下へと入れてやり。




それからクロロは少し体勢を変えて、レヤードの首に残されていた小さな傷痕へ。


自身もまた『リーパー』との繋がりを欲するかのように、ベルトチョーカーの上からキスを落とした。










つづく

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すもも

TopDream刹那的快楽主義者◆狂犬5題「噛み跡にキスを」
ももももも。