double style ◆65:白い獣




「「―――ゼロッ!?」」


ジャズの前にふわりと落ちた影。

1人の青年の姿を認めて叫んだゴンとキルアの声が重なる。






「な……ゼロ……? ……な、んで……?…なんでっ……?」



ゼロとジャズは二重人格者。

ひとつの体に二つの意思があるはず。


"2人になる"なんてことはありえないのに、目の前では今それが起こっている。


ジャズの前で、穏やかに笑うゼロの姿を認めて。

誰もが―――ジャズすらも―――目を疑い、言葉を失った。











――――――ねぇジャズ……ずっと気付いてあげられなくて…ごめんね……






















――――――最初に殴られたのは、お母さんだった。


殴ったのは誰…?

お母さんは必死で僕を隠す。




綺麗な顔に大きなあざを作って。

それなのにお母さんは笑って、僕を抱きしめてくれていた。





……お母さん、お母さん。


優しくて、あったかい。







お母さんの肩越しに、こわい悪魔の姿が見えた。










お父さん、お父さん。

優しかったお父さん。




お母さんはいつも泣いているのに、どうしてお母さんを守りに来てくれないの?



……ねぇねぇお母さん。


僕のお父さんはどこに行ったの?ねぇお母さん……








――――お父さん、お父さん?




いくら呼んでも、僕のお父さんは来てくれないの。


優しかったお父さん。今は遠くに行っちゃったの………



お父さん。お父さん。

ねぇ、早く帰ってきてね………。













僕にいつも優しく微笑んでくれていた、お母さん。

優しくて大好きだったのに。




お母さんは、ある日突然いなくなった。







ねぇねぇ…

この床に染み付いている『赤』は、誰の?


あの庭に立っていた墓標は、ダレの?









ねぇねぇお母さん…

ねぇねぇお父さん…





僕の後ろに、悪魔がいるの。



僕をじっと、見ているの。






こわくて、こわくて。




ねぇねぇ…おかあさん………

ねぇねぇ…おとうさん………



僕を1人にしないで……











1人、ベッドの上で泣いていた。



僕を見ていた悪魔が、僕の手を掴む。







僕を押さえつけて、

僕を殴りつけて、

僕の上に乗る大きな体が、


なにもかもが。


こわくて、






こ わ く て









……お母さん…。

おかあさん………。



泣いても、誰も来てくれなかった…。












それからもずっとずっと


毎日毎日、大きな手に殴られて

大きな体に抱かれて



僕の体はいつもぼろぼろで。






薄汚れたベッドの上で


毎日毎日、生きているのか死んでいるのか―――


何もわからずに、僕は眠る。






このまま明日なんか来ないで、




眠りついたまま

このまま死んでしまえたらいいのに。




毎日毎日、そう願って。

ベッドで、泣いていた。











――――――『なぁお前、何で泣いてんだ…?』




ある日、誰かの声に目を覚ました。

でも目を開けて見えた、真っ黒な…輪郭だけのその部屋の中には誰もいなくて


うっすらと開けた瞳を、僕はまたゆっくりと閉じようとした。





『なあお前。何で泣いてるんだ』




もう一度聞こえた声。

目の前にしゃがみこんで、男の子が1人、僕に向かって微笑んだ。






『なぁどこか痛いのか?』


『苦しくて泣いてるのか?』


『なんか怖かったのか?』


『1人で、寂しいから?』





――――お前は、泣いているのか?――――





いっぺんにいろんな事を訊いてきた男の子は、名前をジャズと言った。

よくわからなくて答えられないでいた僕を撫でて、ジャズは明るく笑った。





『―――じゃあ、オレが護ってやるよ』






泣いた僕を抱きしめてくれたジャズの手は、力強くて、暖かかった。


いなくなったお母さんのぬくもりと、

いなくなったお父さんの優しさに抱かれてるみたいで。



ずっとジャズにしがみついて、そのぬくもりを離さないで



優しいキミに甘えて、僕はずっと泣いていた。









―――キミは強くて、誰よりも強くて。


僕を守って、盾になって。




僕に向かって笑ったキミの笑顔は、いつだって優しくて。

僕はすごく安心できた。



大きなキミの背中におでこをくっつける。


頼れる背中が大好きで………




キミは強くてうらやましいと、僕はいつもキミの背を見上げていたけれど。








今、目を開けて。





すがり付いて、抱きしめていたキミの姿をこの目に写せば、



そこにあった大きなはずのキミの背中は、


本当は僕の腕に収まるくらい小さなものだったんだと気付く。






―――――僕の腕に――――――



…ああそうだ。僕はこんなに大きくなったんだっけ…。






………自分の、大きな手を見て。


その手で、小さなキミの頬に触れた。








あのころと同じ、小さいままのキミ。


触った頬は濡れていて……




カチカチと音をならす唇。


その細い足は、カタカタと小刻みに震えている。







『大丈夫。オレが、護るから…』






必死に、溢れそうになる涙を抑えて…笑って。


………震える体で僕の前に立って。




小さなままのキミはそれでも一生懸命歯を食いしばって、


……我慢して笑って。両手を広げて。



ずっとそこで僕を守ってくれていたんだ………







――――ああ、そっか…。


何で今まで気付いてあげられなかったんだろう…。






ごめんね…ジャズ……………



ずっとずっと、つらい思いをさせていて…………ごめん……………。




















「ゼロ……? ねぇどうなってんのこれ!?ゼロ……ゼロッ!!」

「落ち着け、ボウズ。…ゼロじゃねぇ、コイツは………」



最初に沈黙を破ったのはゴンだった。

身を乗り出して"それ"に向かって叫ぶゴンの肩を、ノブナガが押さえた。


目の前にある光景のあまりの異常さが、蜘蛛達に真実をなげていた。

凝をした目に映る"モノ"を認めて、ノブナガは呟く。


そして、驚いて目を見開いていたジャズも、やっと"それ"に気付いたのか声を上げる。




「あ…………ちがう…………ちがう、ゼロじゃない!これは――――、っ!」


叫ぼうとした瞬間、その言葉をさえぎるかのように『ゼロであるもの』がジャズを優しく、強く抱きしめた。







―――――これはゼロじゃない。




オレのリバイアサンだ―――――









抱きしめてくるそれにぬくもりなど無く。目に映るゼロの体が纏うのは紛れも無く自分のオーラ。


その姿はよくよく見慣れた、自分の念能力"闇食い(リバイアサン)"の『擬態』。



ただ、今目の前にいる"それ"は自分の心の闇を映すような醜悪な顔ではなく

とても穏やかに笑うその顔はまさしく、ゼロそのもの。




"これ"は、オレのリバイアサンだけど――――"この"リバイアサンはきっと、アイツが―――――







「………っ、ゼロ…」


動く片手でその姿を抱きしめ返した。


いままで、微塵も感じられなかったのに。今はこんなに近くに感じられる。

一番近い場所にいながら……絶対に手が届くことはないと思っていた。そのはずだった。


そのお前に今、触れることが出来る。



優しく、強く抱きしめてくる"それ"にぬくもりなんかないけど


ゼロ―――――お前の、その存在そのものが暖かい。



震えが止まらなかった。










「ジャズ………」


ともすれば騒がしいロビーの音にかき消されそうなほど小さな声だったが、その場の皆には十分届いた。


"それ"の口から出た言葉。

ジャズと同じ声なのに、ジャズとは違うやわらかい響きをもったその声。



――――ゼロの、声。






「ジャズ……。ジャズ、ごめんね…、ずっと気付いてあげられなくて………」



震えたジャズを抱きしめて、"ゼロ"は少しずつ言葉を紡ぐ。

皆、ただ黙ってその言葉の先を見守った。





「ねぇジャズ…………いつも、キミは必死で僕を護ってくれてたのに………僕はそれが、キミが僕と違って強いからだって思ってて……


…いままで、ずっと頼りきりでごめんね………。なんで気づかなかったんだろうね……



キミだって、『僕』なのに…弱くて脆い『僕』なのに…僕、気付かなくて………

キミにばかりつらいこと、押し付けてて……キミに甘えてばっかりで…僕………

…キミを傷つけてばっかりの僕で………ごめんなさいジャズ………」




優しく抱きしめられて、言葉を出すことすらもどかしかった。


―――言いたいことは、いっぱいあるのに。




「あ…、あ……ち、がう……違う、謝らなくていい! …悪いのは……悪いのはオレだ!

………オレが…、オレが不甲斐ない…せ、いで……お前を…護れなくて…………傷つけて………」







…………オレは、お前を護るために生まれた。





あの男に傷つけられて、毎日毎日ずっと独りで泣いていたお前を護るために


オレはお前の代わりに傷を受けて、お前に笑顔を渡すためにここに生まれたはずなのに………。








ゼロ………



―――――謝らなくていい。お前が謝る必要なんかどこにも無い。


もしあるとすれば、それはオレのほうで……

謝らなきゃならないのは、お前を護りきれなかったオレのほう。





……お前のためになら、傷つくことなんか怖くない。

どんな痛みにも耐えてみせる。


どんなことがあっても、オレはお前を護るって…あの時誓いを立てたのに。






オレの命はそのためだけに与えられていて―――――


お前を護って…その果てに在る死ならそれはそれでいいと、ずっと昔に覚悟を決めたはずなのに。




………オレは泣かないって、決めたはずなのに…………










「ちくしょう…………ちくしょう…………」




いつからオレは、こんなに弱くなっちまったんだろう………



零れた涙を抑えられなくて、殺したはずの感情が一緒に溢れて止まらねぇ………















…………たく……ねぇよ……





ああ、そうだよ。オレだって………ずっと苦しくて、泣きたくて………………










……本当は


………………死にたくないって………ずっと言いたかったんだよ…………ゼロ……………











つづく


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すもも

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