バタバタと強い風が服の裾を煽っていく。
2機の飛空挺が集う断崖の上。逆十字の男が私を睨む。
―――あいつを殺したのはお前だ、と。
奴の漆黒の瞳が、私を…捉えている。
「ジャズ……」
…ああ…。また私は失うのか。大切なものを、……大切な…"仲間"を。
誰のせいでもない…………今度は……私のせいで。
がっくりとこうべを垂れた青年が、ゴンとキルア、パクノダに支えられている姿を見て、私の心は地に落ちた。
ああそうだ…。
―――――すべて…私の責任だ…。
「………レオリオ………」
ポツリと部屋に聞こえた音にレオリオは顔を上げた。
――――9月6日。
ヨークシン、裏番地の空いたアパートに彼らはいた。
旅団の団長との人質交換は何とか成立し、ゴンとキルアは開放された。
場を後にして、旅団の連中にかぎつけられないようホテルをとらず、ゼパイルが見つけたこの空き家に腰を落ち着けた。
張り詰めていたものが切れたのか、『緋の目』の"能力"のリスクなのか…………クラピカは高熱を出して倒れ、今までぐったりと寝込んでいた。
そのクラピカが、あれから2日経った今、やっとうっすらと目を開けて天井を眺めていた。
「お、目ぇ覚めたか?クラピカ」
「…今何時だ?」
レオリオの顔を見るなりクラピカは彼にそう尋ねた。
相変わらず、クラピカの額には汗がにじんで、その呼吸の速度も早い。
2日たってもあまり状態は良くなさそうだと、レオリオは眉をひそめた。
「…今は2時だ」
何時だ、という問いかけにレオリオは時間だけを伝える。
実際はクラピカが倒れてから1日以上経っているが、それを言えばクラピカはまた無理をしそうな気がしたからレオリオはあえてそれを言わなかった。
「まだ熱下がってねぇんだから休んでた方がいいぞ」
「……ジャズは?」
「…まだ寝てる。今センリツが看てるよ」
「そうか……」
呟いてクラピカは体を起こした。とっさにレオリオはそれを押さえて叫ぶ。
「お、おい、ムチャすんなよ!寝てろって………おいクラピカ!」
「寝てなど……いられないんだ…。………私は………」
静かな部屋にかちゃりと音が響く。
ジャズの眠るベッドの脇で彼を看ていたセンリツは音のした方向…入り口のほうに振り返った。
「あら、見に来たの?おふたりさん」
「センリツさん…ジャズ、起きた?」
ドアを開けて部屋に入ってきたのはゴンとキルアだった。
センリツ越しに、ベッドに横たわる青年の姿を認めてゴンは静かにドアを閉めた。
「いいえ…。まだ何も変わったところはないわ…」
そう言って再びジャズに視線を移したセンリツ。彼女を挟むように2人はベッド脇に座った。
しばらく沈黙が続いていた。
ゴンもキルアもセンリツも、黙ってジャズの寝顔を眺める。
"死にたくない"――――
ゼロに優しくなでられて……、やっとのことでそう泣いて叫んだジャズが、突然ガクリと気を失った。
何の前触れも無く気を失い倒れこんだジャズ。
ジャズも、今寝込んでいるクラピカと同様、それ以来目覚めてはいない。
突然何故―――
なぜ、ジャズは倒れたのだろう?
見上げたそこに、ゼロの姿はもう無くて。
誰も…その理由を知る者は居なかった。
開いた窓から、子供たちの笑い声とともに心地よい風が流れ込んでくる。
静かに眠るジャズの髪をふわりと揺らしていく、柔らかな風。
ひどく穏やかで緩やかな空気が、逆に残酷な現実を突きつけてくるようで、ゴンとキルアの表情が暗くなる。
信じたくなんかないのにその考えは頭の隅から離れず、やがて大きくなって彼らを押しつぶすかのようだった。
眉根を下げたゴンと渋い顔のままジャズを眺めるキルア。
彼らの表情に…その心音に。センリツは彼らの思いを感じたのか、優しく声をかけた。
「大丈夫よ。あなた達がそんなに深く責任を感じることはないわ。あなた達はあなた達なりに頑張ったんでしょう?
あなた達がそんな顔をしていてはだめ。彼を信じてあげて。ね?」
「だけどさ…」
「大丈夫。…彼の心音はとても安らかなものだから…。今はきっと疲れて眠っているだけ…だから大丈夫よ…」
キルアの反論を抑えてセンリツは優しくそう言う。
その目はしっかりとキルアの目を見ていて、言葉に嘘は含まれてないと感じられた。
「それってどういう……」
ゴンがセンリツに今の言葉の意味を聞こうとしたとき、再びドアの開く音が部屋に響いてあわただしく人が入ってきた。
「おい、待てってクラピカ!お前まだ熱下がってねーんだぞ!」
「「クラピカ!?」」
部屋に入ってきたのはクラピカとレオリオだった。
レオリオの必死の説得も聞かずにクラピカはすたすたとジャズのベッドに近寄り、その枕元に座る。
今ベッドで静かに眠るジャズとは違い、クラピカは高熱を出して寝込んでいたはず。
現に今も、クラピカのその額からは汗が溢れ、足元もおぼつかない。相当きついだろうことは誰の目にも明らかだった。
「だめ…だよ、クラピカ。まだ寝てないと…」
「そう心配そうな顔をするな、ゴン。…私は大丈夫だ」
「どこがだよ!今にもぶっ倒れそうな顔してるじゃねーかよ!」
「そうよ、あなた…まだ熱下がっていないんでしょ!?」
ゴンとキルアの心配も、クラピカは視線をジャズに固定したまま「平気だ」と突っぱねる。
だがその横顔からは、言葉の断片すらも伺えず。
ジャズ以上にふらふらなクラピカを見てると、このまま壊れてしまうんじゃないかとさえ思える。
それでも、そんな視線に気付いたのかクラピカはゴンたちに向かって微笑んで一言「平気だ」と言うから、ついには止めることさえできなくなってしまう。
「クラピカ……」
「いいんだ……。…私は彼らに謝らなくてはいけないから…のんびり寝てなどいられない……」
「謝る…?」
意味がよく飲み込めなくてゴンは首をかしげた。
しかしその言葉の意味に気付いたセンリツとレオリオはクラピカを必死で諭す。
このままではクラピカのほうが体を壊してしまうと、そう思ったからだ。
「クラピカ…、悪いのは貴方じゃないわ。無茶はしないで。ベッドに戻ったほうがいいわ」
「そうだぜ、お前はよくやったと思うぜ?このままじゃお前のほうが参っちまうじゃねーか………ジャズが目ェ覚ましたら起こしてやるから…お前も休めよ」
「そんなわけにはいかない!!私のせいなのだ…!……だから私は……真っ先に彼らに謝りたくて……っ」
センリツの言葉も、レオリオの手も振り払ってクラピカは叫んだ。
人質交換に応じた蜘蛛達。
だが蜘蛛が連れて来たのはゴンとキルアと、眠りついた1人の青年の姿だった。
それを見た瞬間…クロロに言われたことと、頭の隅に追いやった悪い予感がクラピカの心を捉えた。
私のせいかもしれない―――――
私が自分のために…自分の復讐のために、彼に蜘蛛と戦うことを強要させていた。
思い出すのは、少し困った風に笑うジャズの顔。
――――――何故もっと早くに気付かなかったのだろうと何度も自分を責めた。
"サイン"はいくらでもあったはずなのに、と……。
作戦決行前。ホテルのラウンジで自分の能力をゴン、キルア、レオリオの3人に話し、1人場を離れていたジャズの元に向かったあの時。
戻って最初に目に入ったのは、窓の外をうつろに眺めていたジャズの横顔だった。
ひどく寂しそうに外を眺めるその横顔…愁いた瞳は、例えようのないくらい美しく、はかなく見えた。
何を考えていたのかと、そう声をかけた瞬間に消えてしまったそれ。
『心配すんな』と笑ったジャズの顔に、私は安易に安心して。
私はそれ以降そのことについて考えることをやめていた。
大切な同胞達を、まるで必要の無くなった器を壊すかのように平然と殺していった―――蜘蛛。
奴らに対する怒りと憎しみがどれだけ自分の心を支配していたのか、自分でもわかっていなかった。
なによりも優先したのは自分の思い。
ゴンとキルア、ジャズが奴らに捕まり、そしてあの黒の男にそれを言われるまで私は考えることをやめていた。
ジャズに無理をさせてジャズの心を傷つけていたのならば、私も―――――
私も、あの男と………蜘蛛共と何も変わらない。
他人を傷つけても何も想わない―――悪鬼のような存在だと。
そんな私が、ゼロを―――――ジャズを『救う』などとよく言えたものだ。
……あの男はジャズの苦しみに気付いていた。
ジャズが蜘蛛と相対するのを拒んでいたのは、きっと……………。
『復讐』のために、あの男を殺さなければならない。
『仲間』のために、あの男を殺すわけにはいかない。
どっちが正しい?
どうすることが正しい?
私は…どうすれば………。
あの男……蜘蛛達が私の同胞にしたことは許せることではない。
絶対に許すことが出来ない。
だがもしかしたら。
あの男の元にいることを、ジャズは求めていたのかもしれない。
ジャズはきっとそれを必死で押さえて、ゼロのために私たちの傍に来た。
私は期待に応えてやれただろうか…………
――――否。
目の前に突きつけられた、この現実は?
今目の前で、ジャズが眠りついている理由は?
その事実が、私のとった行動の…なによりの"答え"なのだ…
……わたしが。
かれを、……………………。
ワタシガカレヲコロシタノカモシレナイ―――――
ぎゅっと拳を握って、頭からそれを振り払う。
けれど、「違う」と否定はできないから。
自分にできることはもう、一つしかない…。
これ一つしか―――――
「ジャズ……ジャズ。お願いだ…目を開けてくれないか………。…謝りたいんだ、なにもかもを…私に……謝らせてほしい…。
………だからジャズ………頼む…目を開けてくれ……」
「クラピカ……」
ぽたぽたと零れた涙。
クラピカの悲痛な叫びが、部屋に漏れ聞こえた。
ゴンもキルアもレオリオも、クラピカの震える肩に………小さく見えた背中にかける言葉も見当たらずその場に立ち尽くす。
長く沈黙が支配する部屋の中。
窓から入りこむ涼しい風が、目の前で静かに眠る青年の髪をフワフワと揺らして。
ゆっくりと頬に触れたクラピカの手に、男の瞼がピクリと動いた。
つづく
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すもも