クロロを縛るクラピカの鎖。それを解放するためにクロロと会って欲しい。
そう差し出された手が目の前にある。
しばらくの間、それを見つめたままジャズは考え込んでいた。
シャルナークもノブナガもマチも、黙ってジャズの返答を待つ。
しかし暫しの逡巡のあとジャズがその口から出した答えは、肯定でも否定の言葉でもなく、長いため息の声だった。
「…念能力って難しいよなァ…」
「え?」
差し出されたシャルナークの手を前にしたまま、オレは天井を見上げてそうぼやいた。
手を取るか取らざるか。
肯定か否定、どっちかの言葉が出てくるだろうと思ってたはずのシャルナークは、意表を突かれてか目を点にして固まっていた。
「……ジャズ?」
「あー、うん。たしかによ、もう少し前だったら出来たと思うんだ、たぶん」
「……出来……"た"?」
「ああ」
オレが口にした言葉のひっかかりにシャルナークは過不足なくきっちりと反応して。
オレの前に差し出していたその手を下ろし、わけがわからないといった風に表情を曇らせる。
「出来た…って、除念が?でもそれだと今はもう出来ないって意味に聞こえるんだけど…?」
「ああ、たぶんな。出来ないと思う」
「えっ―――と…?つまりそれは、」
「…なんでそう思うんだ?納得いく理由、もらえるんだろうね?ジャズ。
この期に及んで相手が鎖野郎(クラピカ)の念だからやりたくないとかぬるいコト言い出すなら首に縄つけてでも団長の前にアンタをつれてくけど」
シャルナークとオレの会話に横から割り込んできたのはマチだ。
下手な言い訳ならシメるとばかりの目つきでオレを睨んでそう言う。
「…ハッ。首に縄か、いいね♪マチの犬になれるなら、たとえダメ元でも、オレ喜んで一発かますわ」
「真面目に答えなよ。なんでダメ元だって思うんだ」
「えー…?」
マチにそういう目で見られるの結構好きなんだけどな、っつって茶化そうとしたら今度は本気で潰されそうだったんで(何がとは言わねぇ)
しぶしぶオレは「オレにもなんて言ったら良いかわかんねーんだけど…」と前置きした上で自分の考えをぽつぽつと言葉に紡いだ。
「まぁ…確かにお前らの想像通りオレの念能力『闇食い(リバイアサン)』は、ただの戦闘手段としての念獣じゃなくて…
ヒトもモノもなんでも食い散らす…そういう能力を付加してる。それは認めるぜ。
…だけどよ、ヒトやモノ食うならともかく念能力を食うには………なんつーか、オレのイメージってもんがなにより物を言うんだ」
それを食えるか、食えないか。
相手の念を、オレの『食う』っていうイメージが上回れるかどうかにかかってる。
「クロロに刺された念の鎖ってのも、食えるか食えないかは実際やってみなきゃわかんねーけど…。まあ、『やれば出来る』とは思う。
……『念』ってそういうもんだろ?"こいつには勝てねぇ"って思った瞬間に力の半分も出なくなるのと同じ。
逆に言えば『やろうと思えばなんでもできる』んだ。言葉通り。それが念能力。想いの力」
己に課する『制約』と『誓約』も同じ原理だ。
覚悟を、代償を捧げる代わりに―――心の…概念と常識のリミッターをはずす。
念っつーのはそういうもんだとオレは解釈してる。
「おかしいね。だったらやっぱりアンタは団長にかけられた念をはずせるんじゃないか」
「―――"でも"なんだって、マチ。"だからこそ"、今のオレにクロロの除念は無理なんだよ」
「…どういうこと?」
マチをはじめ、ノブナガとシャルナーク、3人の視線が突き刺さる。予想はしてたけどな。
バリバリと頭を掻いて、オレは続きをせかすようなその視線を落ち着いて受け止める。
「ん――――…なんていうか…。オレがもしもお前ら蜘蛛しか知らなかったら、その時はわかんなかった。
もしもオレがクラピカと出会っていなかったら…、あ…いや…出会っててもいいのか。クラピカって人間を、深く知ることが無かったら。
…あっ、つーかそれならお前らのコト知らなくてもいいんだな。
お前らに会ったのがもしも今日初めてで……。そうだな、シャルナークと喫茶店で初めて会ったあの日が、もしも今日だったら。
たとえばの話、あの日がもしも今日で―――仕事の依頼で初めてお前に呼び出されたあの日のオレが、今みたいにクロロの除念を頼まれた…としたら、
たぶん何のリスクもなしにオレはクロロにかけられたクラピカの念の鎖を取り去る事ができた……と思う」
もしも――――クロロに念をかけたのがクラピカじゃない他の誰かで。
"こんなモンはずすのなんてチョロイぜ"ってオレが思ったなら。心が感じたなら。
オレの"闇食い(リバイアサン)"は、おそらく何の迷いもなくクロロのための除念の道具になれた。
「たぶん……除念の対象が"クラピカの鎖"じゃないものなら、それを取り除くのはオレにとってはそう難しいことじゃない。
でも今そんな事言っても仕方ねーだろ?クロロのこともクラピカのことも、オレはもう知っちまった。
そうなったら最後、天秤にかかるのは"どっちに対する想いが強いか"なんだ」
それをかけた相手か。それともかけられた相手か。
どっちに対する想いが強いのかで必然的に結果も決まっちまう。
「知っての通り『念』ってのは使う本人のメンタルが強く作用する力なんだから……今のオレにクロロの念をはずす―――あ、違うな。クラピカの念を食いちぎるなんてコト、たぶん無理だ。
…お前らには悪ぃケド、今のオレの心はどーもクロロの奴よりもクラピカの方を愛して止まねーみたいだから。
オレは、オレのために大事なもん全部投げ打ってくれたあいつのために、何か力になってやりたいと思ってる。オレの頭が、じゃなくて…オレの心がそう言ってる。
だから、今は止めとけ。やっても絶対失敗する。
ま、それでもやれっつーならやってもいいけど、1回やって"失敗"刷り込まれちまったら後は何回やっても成功する目はねぇと思うぜ?」
そう言って一息入れようと、さっきシャルナークに淹れて貰ったコーヒーを一口すする。
そのオレに、それまで黙ってオレの事を見て話を聞いていたノブナガが、「なぁジャズ」と尋ねてくる。
「……んだよノブナガ?やっぱ力づくで連れてくか?今の話で納得いかねーってんなら縄ででも糸ででもオレを縛って連れてけよ。オレはやらねぇとは言ってねーんだ。出来ねぇとは思うけど」
「いや。いつも『めんどくせーからヤダ』で何でもかんでも済ましてたオメーがそこまでてめぇで言うんだ。確証はなくても確信はあんだろ。
今ムリヤリやらせても、オメーが自分で『無理だ』『出来ねぇ』って思ってる以上、オメーの除念も成功はしねぇだろうよ。
でもな、ジャズ。"今は止めとけ"ってことは……、そりゃあお前の中の天秤はいずれ団長にもかたむく時があるってことか?」
「ハッ。さぁなァ…。そればっかりはオレのココに訊いてくれ」
ニヤリと笑みを浮かべ、オレは自分の胸元を指差した。
「大体、あいつだってどうせ除念師を探して回ってんだろ?だったらいずれまた会うこともあるだろうさ。まぁそれもあの野郎がオレのこの能力にたどり着ければの話だけどな。
その時にはもしかしたらオレの気持ちが変わってるかもしんねーし、"その時に"変わるかもしれねぇ。もしかしたらオレの方からあいつのコト忘れられなくって会いに行くかもわかんねー。
そもそもゼロ以外の奴相手にこんな気持ちになったのも初めてだし。時間が経ったらこの気持ちがどう変わんのかなんて、オレにもわかんねーんだよ。
ただ…"今"はもう、クロロに会ってもオレはあいつの力になってやれねぇ。それだけは確かだと思うぜ」
長年―――――
殺したいほど…、この手で殺しても憎んでた。
"あの男"への気持ちも、いずれ過ぎ去る日がこうして来ることもあるなら。
そもそも嫌いじゃないクロロのことだから。
いずれはクラピカへの想いを上回って、あいつに会いたくなる日が来ることもあるだろうさ。
それが"いつ"なのかは今のオレにはわかんねーけどな。
「………っつーか、あんな別れ方しといておめおめ生き残って、今またどんな顔してあいつと会えってんだよ!?
クロロの奴だって苦笑いじゃねーか!?オレはヤダ。もう無理!ゼッテー無理!!今しばらくはクロロとなんか、何があっても会いたくねーよ!!
もしも会った瞬間、あの野郎に鼻で笑われたりなんかしてみろ!?オレは死ぬ!!恥ずか死する!!!」
なんか突然、別れ際のクロロの顔が浮かんできて首筋がぞわぞわした。
――――あの時は、もう二度と会えないつもりでオレはあいつにさよならを言った。
オレ自身か、それともクロロか。それともその両方か。
決着がつく頃にはもう命は無いと思っていたんだ、あの時は。
だからさよならを言ったんだ。
さよならを。
バイバイ、って!
……ああ!!
なんだオレ!!なんだアレ!!今考えるとスゲー恥ずかしくね!?
あんな別れ方しといてまたすぐ会えってどんな拷問だ!!!!
くっそ、くっそ!!と頭抱えてベッドの上でごろごろのたうってたら、「…あんな別れ方って?」ってシャルナークがマチかノブナガかにボソッと訊く声が聞こえた。
「あー…、そりゃたしかオメー…;」
「なんか切なそうな顔で団長にキスしてた」
「やめろおお!!」
ベッドの上に寝転がりすっかりふてくされてしまったジャズの背中に、シャルナークもノブナガも苦笑いを投げかける。
「ったく…、純情キャラでもねーくせに変な意地張るからだ。おい、こっち向けってジャズ」
力なく横たわるジャズの身体をごろりと転がして、ノブナガが言う。
「やだ…。もうほっといてくれ…」
「あーっ、たくよ!めんどくせーなオメーは!わかったから少しオレの話聞け!」
「いででででで!?何しやがる!!」
なおもシーツに顔をうずめようとするジャズの頭をノブナガは力任せにひねって、強引に顔を覗いてきた。
「なぁジャズ。オメーとももうずいぶんな付き合いになるな」
「……そうか?…そうかもな…」
「あのな、ジャズ。オレはオメーがたとえ蜘蛛に組しなくても、オメーのことはオレ達の仲間の1人みたいに思ってる」
「オレは一度だってお前らの仲間になった覚えはねーけどな…」
「かっかっか。まあそう言うな。…ま、これもいつものやり取りだな。
オメーも大概な野良猫だけどよ、――――信頼してんだぜ」
そう言って、ジャズの頭の上に置いた手でぐしぐしジャズを撫でて、ノブナガは「よっこらしょ」と立ち上がった。
「…ぁあ?」
「オメーが"イヤだ"ってんならオレはオメーをムリヤリ引っ張ってくことはねェよ。まあオメーも病み上がりだしな。
オメーが"いずれ"っつーんなら、いずれ必ずオメーは自分の足で団長に会いに行くって、オレぁ信じてる。
団長のこともオレ達のこともまだ嫌いになったわけじゃねーんだろ?だから今日のところは勘弁して手を引いてやるって言ってんだ。…なぁ、マチ?」
「なんでそこでアタシに振るんだ…。アタシはこのままふん縛って団長の前に突き出してやればいいと思ってるけど」
「………マぁチ」
「冗談だよ。…あーあ、これでジャズに逃げられるのも何回目だろうね」
ノブナガからの非難の声を聞いて、ぼやきながらもマチはスタスタとよどみのない足取りで部屋を出て行く。
そんなやり取りをジャズがぽかんと口を開けて見ている間に、ノブナガは次いでシャルナークにも同調を求めていた。
「シャルも構わねぇよな?」
「うーん…、蜘蛛としてはここでジャズを見逃す手はないと思うんだけど……。
あ、でもオレはゼロに謝りに来ただけだし。ノブナガがフィンクスへの言い訳を考えてくれるっていうなら、オレは何も見てないし聞いてないことにしてもいいよ」
「ハァ!?なんだって!?おいシャル!」
「あはは、じゃあしょうがない。またねジャズ。…ゼロも」
屈託のない笑顔でヒラヒラと手を振ってからシャルナークもマチ同様に部屋を出て行った。
笑顔につられて思わず手を振り返してしまったジャズが、部屋のドアが閉まるのと同時にノブナガに向き直る。
そして今しがたシャルナークとマチが出て行ったドアを指差して。
「……いいのかよノブナガ?」
「オメーが『今は会いたくねー』って言ったんだろ!それともやっぱムリヤリにでも連れてって欲しいってのか?あ?ふん縛って連れてくか?」
「…………いや。遠慮しとくぜ」
「…ったくよう」
下手に触らぬように、と両手を挙げて降参のポーズをとったジャズ。
やれやれとノブナガは頭を掻いていた。
「つってもなぁ、ジャズ。オレ達もあんま気の長ぇ方じゃねーから、焦らすのも程度を考えとけよ。
今日のところはオメーの様子見に来ただけだ、今回は見逃してやるが……。次もしどっかで遭った時は四の五の言わせず団長の前、連れてくから覚悟しとけ」
「…ハッ。そりゃもちろん、いつでも受けて立つぜノブナガ」
いつもの挑発じみたジャズの答えを聞き、ノブナガは「こいつめ」と最後にもう一度ジャズの頭を押し付けるように撫でた。
そうやってひとしきりじゃれた後でノブナガも他の2人に続き部屋を出て行く。
「なぁ、ノブナガ」
ノブナガの背に声をかけ引き止めるのは、もちろん部屋に唯1人残るジャズだ。
ドアノブに手をかけた格好でノブナガは足を止めて振り返った。
「……サンキュな」
「…ああ、恩に着ろや」
そう言ってお互いに笑みを見せ、どちらともなく「またな」と呟いて。
蜘蛛の一団は青年の元から去って行った。
つづく
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すもも