『……おい、ゼロ。ゼロって…。おい、起きろ。…ヤバイぞ、奴が来る』
寝ぼけ頭に、ぼんやりとジャズの声が聞こえる。
けれど僕はまだ…眠くて。
「うー…にゅ、もう少し…」
そう零して、フトンの中で体を丸めて暖かさの篭る毛布を被りなおした。
―――そのとたん、部屋にミシリと誰かの気配がした。
「…ゼロさん。ゼロさん、ゼロさん。そろそろ起きねっとバイト遅れるっスよ?」
ジャズとは別の、男の子の声がする。
男の子はしばらくの間、黙って僕の顔を覗き込んでいる感じだったが――――
ふと、その気配も遠のく。
「………クフフフ。よくお休みのようッスねゼロさん……。よもやまさかこの俺の前でそのような無防備な寝顔を晒すとは…。
今日こそアンタの首を取って、この地はこの俺、南 樹様が仕切らせてもらうぁああ!!」
うう…;なんか嫌な予感が…。
「オラァアア!!くらえ必殺!ギロチンドロップ!!!」
「わあああ!?」
がばっ!!
ドスゥッ!!
高くジャンプした上で振り下ろされる、斧の一撃のようなイッキくんの右カカト。
僕は、それが僕の首にめり込む前に、ガバリとフトンから身を起こした。
後ろを振り返れば、さっきまで僕が気持ちよく寝ていた枕にイッキくんのカカトがめり込んでいた。
「危ないなぁっ!!何するんですか朝から!!」
「い、いや…だってホラ、ゼロさん起きないし…、つい演技に力が入ったというか…」
ばつが悪そうにタラタラと汗をたらし、頭を掻きながらイッキくんが言う。
そこへ、ツインテールの女の子―――リンゴちゃんが駆け入ってきた。
「ちょっとイッキ!!何やってんの!?」
「リリリリンゴッ!いや俺は、ちっとゼロさんを起こそうと思っ…」
「またなんか危ない起こし方したの!?床抜けるから止めてっていつも言ってるのに!!」
「いだだだっ!?耳はやめっ!耳はっっ!!」
「やめとけリンゴ。そのバカには学習能力ってもんがねーんだから言っても無駄だって」
「そうでし。イッキちゃんは単細胞だから、何度もゼロちゃんにやられないとわからないんでし」
「今日はやられてねぇ!やられてねぇえ!!」
ドア口に立ったミカンちゃんとシラウメちゃんにも追い打ちをかけられて、『うわあああ』と半泣きで暴れだすイッキくん。
最後にはミカンちゃんのフライング・ドロップキックで倒されてしまったけど。
今日も朝からにぎやかだなぁここは。
『ほのぼのしてる場合じゃねーぞ、ゼロ。もう少しでバイトの時間だ』
「あっ…、そか。」
頭の中に聞こえたもう1人の僕―――ジャズの声で、はっと我に返った。
着替えて、朝ごはん食べたら早く行かなくちゃ。
今日でやっとアレ買うお金もたまるんだし――――。
ウキウキ気分でパジャマ代わりの長袖シャツを脱ごうとしたら、狼のような目でハァハァと僕を見るミカンちゃんとシラウメちゃんと目が合い、ハッとした。
リンゴちゃんは横を向いて、赤い顔をしてた。(でもチラチラこっち見てた)
かーっと顔に熱が上る。
「…っていうか、女の子は出てって下さーい!!!」
「ちっ、目の保養ができるかと思ったのに」
「ゼロちゃんもなかなかおバカさんですね」
「わ、私は別に別に別に…」
「つーか何故に俺までッ!?」
僕が爆発すると、ミカンちゃんとシラウメちゃんとリンゴちゃん、ついでにイッキくんもバタバタと大急ぎで部屋から逃げていった。
ジャズは僕の中で大声上げて笑ってた。気づいてたんなら教えてくださいよ、バカー!
「ふ〜、もう…」
静かになった部屋で1人、ごそごそと普段着に着替える。
フトンをたたみながら部屋を見渡して、『やっぱり狭い部屋だなぁ』なんて改めて思うけど。
…でも、住まわせてもらってる事にはすごく感謝してる。
―――半年前にこの世界に来て、何をするのかも分からずに町をうろついてホームレス生活をしていた僕。
裏道でヘンなチンピラにカツアゲされかかって返り討ちにしたときに、偶然出会ったイッキくんとなぜかバトルになって。
余裕で勝って。
意気投合して。
イッキくんが居候させてもらってるこの野山野家のアパートに、僕もかなり安い家賃で住まわせてもらうことになった。
今は、いつもは家にいないリカさんや…、ミカンちゃん、リンゴちゃん、シラウメちゃんにイッキくん、皆に日本語やこの世界の常識なんかを教えてもらいながら、こうしてにぎやかに平和な暮らしを送っている。
いっしょにこの世界に入ったはずのゴンやキルアには、ここに来てからまだ一度も会えてない。
2人もどこかでちゃんと元気にやってるかな…。
「…ゼロさん、もう着替え終わりました?リンゴが、一緒に向こうで朝食摂らないかって」
トントン、というノック音とともに扉の向こうからイッキくんの声がして、僕はハッとした。
しんみりしていた気持ちを、ぶんぶんと頭を振って外に散らす。
だいじょーぶ。いつか必ず会えますって!
みたとこ、『ゲーム』っぽいイベントもまだ始まってないみたいだし!『ゲーム』さえはじまればきっと…。
よいしょ、とたたんだフトンを部屋の隅に重ねて、僕は立ち上がる。
朝ごはんは、一応昨日のうちにパンと牛乳が買ってあったんだけど……
イッキくんに言われて、部屋の隅に置いてあったコンビニのレジ袋を見れば――――やっぱり、寂しいよね。
「……ゼロさ〜ん?」
「はーい。じゃあせっかくだからお呼ばれします」
袋の中のパンと牛乳を簡素なキッチンの上へと置く。
そして僕は、しっかりと閉じられていた部屋の扉に手をかけた。
「―――つーかさ、毎日毎朝パンと牛乳だけでよく1日持つよなぁアンタも」
野山野家の食卓で、「俺ならぜってー無理」と朝からラーメンをすすりながらミカンちゃんが僕に聞いてくる。
ていうか僕に言わせれば、そんなミカンちゃんの食生活のほうが逆に気になります。朝からラーメンって…、おなか壊さないんですかね?
「いや、僕別に朝食のパンと牛乳だけで1日持たしてるわけじゃないし…」
ちゃんと昼食も夕食も、必要なら夜食も摂ってますよ?
……あんまり食費はかけられないんで量はここに来る以前より少なくなりましたけど……。まあ元から少食なので。
「でもバイト代、結構たくさん貰ってるんですよね?」
「うん。まあ、毎日他にやること無いしね」
久しぶりに食べる炊き立ての白いご飯をもぎゅもぎゅとほおばる。箸使いにももうだいぶ慣れた。
卵焼きがおいしいな。
「なのにそんな毎朝パンと牛乳の極貧生活なんでしか?ゼロちゃんはイッキちゃんと違ってお金のことは上手くやってると思ってたんでしけど…」
「何だとウメ、コラァ!」
「うっせぇ、メシ時に暴れんなタコ!!」
「ぐぶぅ!!?」
またイッキくんがミカンちゃんに豪快に蹴られて部屋の端まで飛んでいった。
そしてガシャーン。…今日も平和だなぁ。
見ればリンゴちゃんもシラウメちゃんも、『いつもの事』とそれを気にすることなく箸を動かしている。
僕も見習っておこう。卵焼き2切れ目…、と。ああ大根おろしおいしい。
「でもそんなにお金貯めてどうするんでしか?…はっ!?まさかゼロちゃん、ココ出てっちゃうんでしか!?ウメそんなの嫌でしー!!絶対嫌でし―――!!」
「はあっ!?マジで!?」
「ええーっ!?なんで!?なんでウチじゃ駄目なんですか!?ゼロさん!?」
「いや、僕、出てくなんて一言も言ってないんですけど…;」
1人で先走って泣き出しちゃうシラウメちゃんと、それに続いて驚愕の声を上げるミカンちゃんとリンゴちゃん。
僕は「落ち着いて」とばかりに、泣いてたシラウメちゃんの頭を撫でた。
ちなみにイッキくんは部屋の隅で、頭から血を流してビクビク痙攣している。
「じゃあ違うならなんでだよ?………まさか…女?」
「それも嫌でしー!!ビャー!!」
「いやだから違いますって。実はね…、僕も皆みたいに『エア・トレック』ってやってみたくて。だから。」
しーん。
…って、あれ?今完璧、空気が死にましたよ?
あれ…っ?;
「あ……、あーあーわかった。エア・トレックってテレビでコマーシャルよくやってるヤツだろ」
…え?
あれ?ミカン…さん?
アナタもやってますよね?
「でで…でもアレってー、すごく高いんでしょ?ゼロさん、まだバイト始めて3ヶ月?4ヶ月?も、もうそんなにお金貯まったんですか…っ?」
……え?リリリリンゴちゃん?
キミだって持ってますよね??
「す…すごいでしねー!ゼロちゃんが買ったらぜひウメにも乗らせてくださいですー!」
ええ!?シラウメちゃんだって自分のちゃんとあるでしょ!?
え、何!?もしかして話題にしちゃダメだったの!?
「つーかあんなもんセレブの装備アイテムじゃねーっスか!?『僕も』って、ゼロさんのダチで誰か持って…!?ってかダチいたんスか!?」
「さー、ガッコ遅刻しちまうなー!!お前らもだろ!?いくぞー!」
「おう!?っちょ、いてててっ。なんだよミカン!テメひっぱんなっ!」
そこはかとなく失礼なイッキくんのツッコミをさえぎるようにミカンちゃんが立ち上がる。そしてずるずるとイッキくんを引っ張って、出て行ってしまった。
場に残されたシラウメちゃんとリンゴちゃんの沈黙が痛い。
「……う…; …あのね、シラウメちゃん…」
「む!言われてみればもうこんな時間でし!ウメも学校遅刻したら大変でし!1分1秒でも遅れたら先生からケツバット喰らってしまうんでし!じゃあ行ってきますでし!」
そういってシラウメちゃんまでもトタトタと部屋を出て行ってしまう。
「…ちょ………、あの…リンゴちゃん…」
「いやあのちょっ…(あいつら…っ)わわわたしはその…っ」
最後に残ったリンゴちゃんに恐る恐る声をかけた。
リンゴちゃんは顔を紅くしたり青くしたりした後、気まずいのか下を向いた。
それから長い沈黙の時間が降りる。
やっぱり言っちゃダメだったんだ…、どうしよう……;
と、思ってたらゆっくりとリンゴちゃんが顔を上げた。
「…あの…ゼロさん…、その……い、いつから気づいてらしたんですか……」
顔を上げたと思ったら、ギギギギ…と壊れかけたロボットのような動きで聞いてくるリンゴちゃん。
うわぁ、なんか怖い!
「いや、そのぅ……ここに来てからわりとすぐ…」
「……そう、ですよね…、気づきますよね普通…」
「あ…はは……;」
最初に気づいたのは僕じゃなくてジャズだったんですけど…。
その日以来、時折3人がエア・トレックを履いてどこかへ飛んでいくのを、僕らはこっそりと部屋から見てた。
イッキくんがエア・トレック持っていないから、気を使って夜中にどこかへ練習へ行くのかなーなんて(あえて好意的に考えて)見てたけど……
やっぱり違ったみたい。
ぽりぽりと頭を掻く。
しばらくの間、気まずい雰囲気が流れていた。
でも不意に、リンゴちゃんがいつもの明るい少女の顔で、勢いよく謝ってきた。
「ゴメンなさい、ゼロさん!でも今はまだ私達がアレを"やってる"ってこと、秘密にしておいてもらえます?」
「…秘密にしないとリンゴちゃん達は何か困っちゃうわけですか?」
「うん…少し……。あっ!でもゼロさんがそれをやることを咎めてるわけじゃないですから!…でも、あの…!」
両腕を蛇のようにうねらせながら慌てふためくリンゴちゃん。なんか微笑ましく見えて、笑顔が浮かんだ。
「いいですよ」
「ほほほ本当ですか!?」
バンッとテーブルを叩く勢いで身を乗り出して、リンゴちゃんが僕に詰め寄ってくる。
そのあまりの勢いとリンゴちゃんの真剣なまなざしに、僕は二の句が告げず、とりあえず頷いて応えた。
するとリンゴちゃんはホーッと安堵の息を漏らして落ち着いた。
「でもいつかはイッキくんにだってバレますよ?イッキくんには知られたくないんですよね?」
「それは…っ!そうですけど……。でも今はまだこういう形でバレる訳には…」
「あはは、そうですね。それは失礼しました」
「いえ、あ、こちらこそ」
ぺこぺことお互いに頭を下げあう。
だけど途中に、イッキくんがリンゴちゃんを呼ぶ声が聞こえてソレは中断した。
「じゃあ私も学校行きます!ゼロさん、すみませんけど食器片付けてもらっても良いですか?」
「いいですよ。気をつけてね」
「はーい!」
年頃の少女らしい可愛い笑顔で手を振るリンゴちゃんを、僕も笑顔で見送って。
「さて、僕も早く片付けて行かなくちゃ」
後に残された食器群を前に僕は1人、意気込んだ。
そして夜。
部屋で、僕はぴかぴかの大きなバッグを抱えていた。
「――――じゃーん!!というわけで買ってきましたー!」
バイト帰りに街のショップまでダッシュで行って買ってきましたエア・トレック!
念を使ってリアルダッシュじゃ街の人に不審に見られるので、そこはかとなくダッシュで!
ちなみにバイト先は、イッキくんたちが通う東雲東中がある丘の下のコンビニです。
どうでもいいですけど東雲は「しののめ」って読むのに東中は「ひがしちゅう」って読むの、どうしてなんでしょうね?同じ字なのに。
ひらがなとカタカナはこの半年でちゃんと読み書き覚えたけど、いまだに漢字がよくわかりません。
えーっと、…じゃなくて!
エア・トレックです!エア・トレック!
「ねー、すごいでしょ?ジャズ!?これ、空飛べたりするんですって!早速どこかで練習してこようかなぁ!」
『いや、空は飛べねぇだろ。跳ぶんだろ…』
わくわくしてたところに呆れたような声で水を差され、なんか僕も意気消沈した。
「ジャズ…なんかここに来てから冷たいですね…。本当はジャズだってやってみたいでしょー?」
『ハ、別にオレはそんなオモチャに興味なんかね〜〜〜よ。そんなん今更乗り方とか覚えんのめんどくせーじゃん』
「ええー。最初は誰だって初心者なのに〜。やればきっと面白いですよ?」
『…ってか何でお前はそんなにそれをオレにやらせたいんだよ?お前のカネで買ったんだからお前の好きにやれよ。オレは興味ねーっつーの。もう寝るぞ』
「……ふふん、ジャズってば失敗するの怖いんだ?」
『ハァ!?ちっが…!!何やらせてもヘタクソのお前と一緒にすんじゃねーよ!』
「えええ〜?そんなこといったってジャズだって乗ったことないじゃないですか〜〜」
「何1人で騒いでんスカ、ゼロさん!」
「あわわわぁ!?」
いきなりガラッと扉を開けて、イッキくんがやってきた。
びっくりした〜; あやうくエア・トレック取り落とすところだった。
「って、おわぁ!!そそそその後ろのバッグはもしや、エア・トレック!?〜〜〜〜スゲッ、マジで買ってきたんスか!?」
ちょこちょこちょこーっとゴキブ…いや、這いつくばって近寄ってきたイッキくん。
僕以上に目をきらきらさせながら、バッグの中のエア・トレックに見入っていた。
ほーら、ジャズ?皆気になるもんなんですよ?だってこれ、今この世間で一番ホットなアイテムなんですから!
ジャズだってホントは興味あるくせに『興味ない』とか、意地っ張りなんだから。
「ヘェー、こんなんなってんだ…。あッ!?でもこれってスンゲー高いんじゃなかったッスっけ!?」
「うん!びっくりするほど高かったよー」
こっち来てから必死で貯めた貯金が全部吹っ飛んじゃうくらい高かったですよ。
「ノオッ!!これでついにゼロさんがセレブの仲間にっ!俺の手の届かない領域にっ!!」
「あははっ。セレブっていっても僕もうこれ買っちゃったから、明日からはまた貧乏生活ですよ?」
「いんや!!違いますよ!この世には持つ者と持たざる者が居てでスね…、
ゼロさんはエア・トレックというセレブアイテムを持つ選ばれた者で、俺は持たざる者……身分が違うんでス…。俺は…もう……ゼロさんに気安くお声を掛けられない……っ」
イッキくんはそう言ってこの世の終わりみたいにうなだれ、そのままずるるっと畳に突っ伏した。
畳には大量の涙の池が。どこからか死神も飛んできた。
「もー、大げさだなぁ…」
僕がふいにそう呟くと、イッキくんが目の覚めるような勢いで復活した。
僕の手をガッシと握って、詰め寄ってくる。…ええ?
「全然大げさなんかじゃ…!だって俺、ゼロさんのコト、すっ…」
「酢?」
飲みたいんですか?
「好っ…、すっ、す……すっごく憧れてるんスから…!!だから遠くに行かれると俺、困ります!」
「あー、そうなんですかー?」
なんか照れますね〜。
『…ってオイ』
「え?」
「そうなんですって!去る半年前…。いっそ清々しいまでにゼロさんに完敗したあの日から俺はゼロさんにメロメロなんでス…。
こんなに細っそい身体なのにどこにあんな力があんでスか?むうう…、ヒミツはこのへん?それともこのへんでスか?ぬほほっ♪」
「あはははっ!?何するんですか!くすぐったいからやめてください〜!」
腹筋とかワキ腹とかを突かれて、僕は狭い部屋の中をごろごろと転がるように逃げ惑った。
イッキくんもごろごろーっと転がって僕を追いかけてくる。
最終的には壁際まで追い詰められて、思う存分背中を突かれた。
「わーもー、そんなとこ突っつかないでくださいってば〜」
「フヒョヒョ!ついにゼロさんの弱点発見!!―――ふぬぅっ!そして捕らえたり!!今日こそこの細腰をへし折って、再び我が手に失われた栄光を取り戻さんー!!」
「わぁっ!?そんな投げ方したら危ないですよ〜イッキくん…、ふんぬっ!!」
「あぐぉっ!?アッサリ返された!?」
ドタバタ騒いでると―――突然ガラッと扉が開け放たれ、僕らはそろって動きを止めた。
そこにはカップメンを手にミカンちゃんが立っ…。
鬼のような形相で、ミミミミカンちゃんが………!!
「うるせぇっ!!少し静かにしろ男共っ!!」
「「す、スイません…;」」
「……んー、それじゃあイッキくんもお金貯めてエア・トレック買ったらどうですか?」
エア・トレックを真ん中に置いて、昨日の夜買ってきていたパンをかじりながら訊いた。
ちなみにパンはイッキくんとはんぶんこした。
「ムリッス!ムリムリムリムリ!!今から金貯めたって何年かかるかわかんねーし…」
「そうですか?今からちょっとずつでもがんばればイッキくんが高校生になるくらいまでには買えませんかね?」
「いやぁ、そんなんいいっスよ。面倒だし…、それに俺にはチャリンコがあるから。俺はあれで十分ッス」
にかっと笑うイッキくん。
明るい笑顔だったけど、なんかどこか寂しそうにも見える。
…ごめんね、僕だけ先に行っちゃったみたいで。
「…あー、イッキくんはチャリマーですもんね?」
「そっス!ここらで最強のチャリンコ魔王といえばこの俺!!…つーことで早速表で初乗り練習してきません?俺チャリで追いかけますから。
ゼロさん、説明書の漢字とかちゃんと読めないっしょ?」
「あはは、よくわかりましたね」
そう言ってお互いに笑いあって―――月明かりの元、アパート前の道路で僕はその日、初めてエア・トレックに乗った。
「ゼロさんが……、翔んだ…っ!?」
「ひゃわわ〜〜〜!?」
「やかましいっ!黙れオス共ゴラァッ!!何時だと思ってやがるっ!!」
『……ヘタクソ』
僕が「空」に出会うのは……まだもう少し、先のお話。
つづく
NEXT→02:夜へ駆ける猫
のほほん和み系のゼロさんはどこに行ってもうまい具合に世界になじんじゃうな…
すもも