まだうっすらと霧のかかる中、木々の間を縫うようにしてヒソカがオレの先を駆けて行く。
「(オレを怒らせて、かと言って本気で相対するわけでもない…。何を狙っている)」
自らトランプで斬りかかって来た先ほどまでとは打って変わっての逃げの一手。ヒソカを追いつつ、警戒を深める。
途中、罠かと足を止めてみるも、ヒソカもまたそれを見て立ち止まり、悪魔のようないやらしい笑みをオレの方へと向けてきた。
「…っふ!!」
カッとなってありったけのオーラを足に纏い、跳び込む。
一気に間合いを詰め、組んだ両手をスレッジハンマー代わりに振りかぶってヒソカの頭めがけて殴りかかるが、奴はそれを後ろに退いて躱す。
振り下ろした拳の勢いのままその場でバックスピンをかけ、ヒールキックでさらに続けて顎を狙うが――――ヒソカは身体を反らして身をかがめ、踵を返して再び森の中へと逃げ去っていく。
「チッ、」と思わず舌打ちし、オレもまた蹴りの態勢から一瞬遅れてその後を追った。
「まだ逃げるか、腰抜けめ!!」
「ボクの力じゃキミのオーラの防御を破るのは難しいなぁと思ってどうしようか考えてるところ◇」
「ふざけるなよ!」
十分にその力もあるくせに、一体何が目的だコイツは!?
―――――再び始まった追いかけっこの最中、ヒソカの手の中で携帯が音を立て震え出した。
走りながら通話ボタンを押しそれに出ると、開口一番で『ヒソカさぁ、さっきの何あれ?気色悪いんだけど』と電話越しのリップ音の事だろう、イルミからそう言われる。
いつもと変わらない平坦な声色ではあるものの、ため息が聞こえたあたり不愉快な気分にはさせることができたらしい。
『イルミの反応を探るっていうのも、なかなか楽しいものだよね…◇』などと口元を緩めながら、ヒソカは「気色悪い、だなんて傷つくなァ」とそれに返した。
「キミのとこの執事くんの反応が予想以上に面白くてねぇ?あんなの飼ってただなんて、本当羨ましい限りだね◇なんで教えておいてくれなかったの?」
『なんでオレの家の執事の事をわざわざヒソカに教えておかなきゃならないわけ?1ミリも必要ないよね?
ていうかそんなことよりちょっと話があるから代わってくれる?言いつけておかなきゃならないことがあるんだよね』
「ん〜〜〜、でも彼ってさぁ、見たとこ一つの事に夢中になると周りが全然見えなくなるタイプの人デショ?無理じゃないかなァ〜?」
わざとそう渋ると、間髪入れず『いいから。代わって貰えばすぐわかるし』と返ってくる。
「だったらあとで彼のことちゃんと教えて?それが交換条件♡」
『やだ。』
「即答?ひどいなぁ。じゃあボクもやーめた。今楽しい楽しい追いかけっこの最中だし、忙しいから切るよ◇」
そう言って少し黙ってみると、通話口の向こうから再び「ハア、」と隠す気の無い大きなため息が聞こえてくる。
ヒソカが楽しそうにその細い目をさらに細めた。
『………名前はアゲハ』
「…ん、それは知ってる◇」
『年齢は22。オレの家でオレ専属についてる執事。普段はオレの護衛も兼ねてるから、まあまあ強いよ。他の特徴は特にない』
「そんな当たり障りのないことばっかり教えられても」
『十分でしょ』
―――う〜〜ん、ガードが堅い。相当大事なおもちゃってことか、と声には出さずにヒソカは毒づく。
「…念能力は?強化系で合ってる?」
『……そうだよ』
「ん〜〜…◇じゃあ仕方ない。今日のところはそれで許してあげようかな」
『許す許さないの問題じゃないから。早く代わってくれる?オレの執事に。じゃないと切るよ?よく考えたらオレ、別にヒソカが試験落ちようがどうでもよかったんだよね。
アゲハにだってホント言うとハンター資格なんか取らせたくないし。そこで一緒に失格すれば?』
「あれ?立場逆転しちゃった?わかったよ、今代わるから…」
そう零して、ヒソカが後ろのアゲハを振り返ろうとした時。
「余所見できるほど余裕か?」と耳の後ろで囁かれた。
その瞬間、ヒソカの口元が悪魔のように吊り上がる。
通話に気を取られていた隙に、すぐそばまでアゲハに迫られていたようだ。
横顔を狙って繰り出されるオーラを纏ったアゲハの右ストレートを、ヒソカは肘でかち上げて直撃を避ける。
しかし右をいなされたとみるやアゲハは左フックをヒソカの脇腹へと叩き込み、続いて背骨を狙って右膝を見舞ってくる。
ミシミシと骨が軋むような一撃。
だがヒソカの方も身体にひねりを入れて急所を避け、『凝』の防御を巡らせた背中側の筋肉でそれを受けていた。
そして続くミドルキックも、無理矢理に腕を割り込ませガードする。
「痛いねっ…、ボクの防御なんてお構いなしなのかい?一見細身の綺麗な見た目からは想像つきにくいけど、ガッチガチの強化系インファイターだよねぇ◇そそるなぁ」
「遺言はそれでいいな?」
「おーっと♪」
脇腹を押さえ、蹴りをもらった反動で3歩分ほど前に間合いの離れたヒソカへ、アゲハはすかさず追いすがりオーラを乗せた拳を振り下ろす。
鎖骨狙いの上段からのそれを避け、それと同時にヒソカはアゲハの目の前へ「じゃあ代わるねイルミ〜◇」と通話中の携帯を放り投げた。
「……!?」
自身の主の名とともに突然眼前に舞った物体。
アゲハはそれを、避けるか受け止めるかでわずかに迷う。ただのブラフなのかそれとも…、と。
その一瞬の動揺に付け込み、ヒソカはアゲハの身体をすり抜け右手側―――右目に着ける眼帯で広がっているであろう死角へと入った。
そして自身のオーラを発現させつつ、その鍛え抜いた両腕でアゲハの細身を背後から抱きかかえるように捕らえた。
ヒソカの念か、トリモチ状の粘着質なオーラがその上さらにアゲハの身体から自由を奪う。
「ん〜〜〜!捕ま〜えたっ♡」
「…っ、貴様っ…!」
「変な声、出さないほうが良いんじゃないかなァ?聞こえちゃうかもね〜〜〜?イルミに◇」
と……そう言ってヒソカはちょいちょいとアゲハの手の中の携帯電話をこれみよがしに指差した。
案の定アゲハはそれでぐっと黙ってしまうので、『うーん、弱点発見♪』とヒソカは愉快そうに目を細める。
「ホント、イルミってば羨ましいおもちゃ隠してたもんだよね。まぁ、隠しておきたい気持ちもわかるけど◇
華奢な見た目通りと思いきや、案外体幹は結構しっかりしてるんだねぇ。着痩せするタイプだったりする?出来れば今度、生で見せてもらいたいとこだけど…、イルミには内緒で♡」
アゲハの耳元でねっとりと間近に囁く。
耳をくすぐる吐息と、触れるか触れないかにその輪郭をなぞるヒソカの唇。
と同時にヒソカの手がするりと怪しい動きで胸元から腰の上を撫でて、おぞましさで寒気が背筋を走る。
嫌悪感で漏れそうになる声を、アゲハはかろうじて持ちこたえた理性でギッと噛み殺した。
口汚い言葉で罵ってやりたいところだが――――手の中にある通話中の携帯電話の繋がる先が気になり、アゲハは自身の唇に歯を立てる。
……ああ、イライラする。―――と、握った拳に力がこもる。
「代わるね、イルミ」と言った先ほどのヒソカの言葉が、「聞こえちゃうかもね」と嗤ったこの変態ピエロのその言葉が嘘でなければ――――
「あぁ…、すごいオーラの奔流だねぇ。肉体的強さを下地に、ってわけでなくその尋常じゃないオーラ量がキミの強さの秘密かな?
イルミの手前、寸止めで我慢しておこうと思ったんだけど…、こんなのにこの距離で当てられちゃったらボクの方まで我慢できなくなるんだけど♡ これ以上煽らないでくれるかなぁ?」
……黙れ。我慢の限界というならこっちこそだ。
そう言わんばかりに、アゲハはその白銀の瞳で以ってヒソカを鋭く睨んだ。
「……良い目だね◇ゾクゾクするよ。こうなったらその無粋な眼帯の下がますます気になってくるけど…それは何かの制約?その眼帯の下はどうなってるんだい?
出来る事ならキミのその銀の両目で鋭く睨まれてみたいものだけどね?」
言って、ヒソカはアゲハの眼帯の下にスッと人差し指を滑り込ませた。ヒモに指をかけ、眼帯を外そうと蠢くヒソカの長い指。
思わず舌打ちが口をつきそうになるが、それとほぼ同時に、『アゲハ。』という聞き慣れた声がアゲハの耳に届いて反射的に体がびくりと制止した。
それに対し「おやぁ?」とわざとらしく漏らしたヒソカ。その表情は相変わらず楽しそうだった。
『…さっきから黙って聞いてれば…。アゲハお前、まさかヒソカなんかに遅れをとってないよね?なにやってるの?
もうじき一次試験も終わる。オレもキルもパスするのにオレの執事のお前だけ落ちたら、オレが格好つかないだろ?ヒソカになんか構ってないで、早く戻って来るんだ』
「『なんか』だなんてヒドいなァ、イルミ。トモダチに向かって◇」
『別にトモダチでもなんでもないし。利害が一致したから協力関係敷いただけだろ?
構えば構うだけ悦んでつけ上がる変態なんだから、もう放っておきなよそんな奴。オレはお前に"母さんの命令を受けてキルの護衛を"と命じたはずだよアゲハ。
キルもあの手この手で『家の監視』であるお前を遠ざけようとするはずだけど、お前はきちんとお前の役割を果たす事。母さんならなんて言ってお前をキルの護衛につけるか考えてごらん。
ゴトーならうまくやるのに、お前には難しい?お前にだってできないはずはないよね?
今、こっちの位置情報をその携帯に送ってやるからすぐ戻ってくるんだ。できればヒソカは撒いて。それぐらいはさすがに守れるでしょ?……分かったな、アゲハ。』
――――アゲハ。というイルミの強い言葉。
自身の名を呼ぶ、自らの主の―――いつもとなんら変わらぬ調子の声色。
ハンター試験などというアゲハにとっての"非日常"であった世界から、長年を過ごしたゾルディック敷地内でのあの毎日に―――イルミと過ごすあの日常の世界へと。
イルミの声によって引き戻される。
と同時にアゲハは失いかけていた冷静さをも取り戻した。
「――――承知いたしました、我が主。すべて仰せのままに」
今この目の前にイルミの姿があるわけではないが――――確かにその時アゲハの目には、自らの主の姿が映っていた。
頭(こうべ)を垂れ、はっきりとした口調でアゲハは応える。
イルミはというとさも当然であるかのように『…そ。じゃあよろしくね』と軽い口調でそれに返して、ピッと通話を切ってしまったが。
アゲハにとってはそんなイルミの素っ気ない反応ですら嬉しくて、その口元にわずかにだが笑みが浮かんだ。
「……イルミもつれないけど、『仰せのままに』だなんてボクもずいぶん嘗められたものだね?この状態からどうやって抜け出すつもりでいるのかな?」
先ほどまでと変わらず、アゲハの肢体を後ろから抱えた格好でヒソカがそう零す。
手に纏った粘着質なオーラ、"伸縮自在の愛(バンジーガム)"でアゲハの身体をがんじがらめに絡めとったまま。
口の端を吊り上げ、楽しそうにヒソカはアゲハの耳元でささやく。
だがヒソカの思惑とは逆に、アゲハが再びその身体を戦慄させるようなことは無かった。
むしろ見惚れるほどに美しい穏やかな微笑みで―――どこか挑発的にも見える銀の瞳でアゲハは背後のヒソカに視線を向けてきた。
「……『どうやって』ですか?もちろん一つに決まっております」
何一つ揺るぎない声色と、まったく予期していなかった意外な表情に、あっけにとられたように固まったヒソカ。
その油断を突いてアゲハの左のエルボーが、先ほどフックを見舞った脇腹へと再び深々と刺さって、ヒソカの顔が「ぐっ」と歪んだ。
「うーん…、さすがは強化系♡ ボクのガムを力業で破ろうだなんてね。にしても肘鉄なんてつれないなぁ◇」
「そんなもので済むと?オレをここまで怒らせて、無傷でいられると思うなよ?」
肘を打ち込まれた箇所を手で押さえながら1歩下がったヒソカにアゲハが振り返る。
その全身に、異様なまでの膨大なオーラを纏わせながら。
そしてアゲハは、身体にまとわりついていたガムの拘束を力任せに引きちぎり、自由になった腕へと全身に充満させていたオーラを一気に圧縮した。
場を離れようと後ろへ跳んだヒソカへと、アゲハもまた追いすがるように跳びかかり――――
ありったけのオーラでの『硬』の一撃を振り下ろした。
つづく
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15周年記念にりょたまる様からリクをお受けいたしまして、執事さんをヒソカが味見しにきちゃったお話が見たいとのことだったので、予定にはなかったセクハラを差し込みました!う〜〜ん、ぬるめ!(死)
番外編で味見に行かせようかと思ったんですが相手がヒソカだとイルミ様が全然お許しを出してくれず(笑)、始末屋とのコラボともネタ的に被ってしまいそうだったのでこんな形の消化になってしまいました。すみません。またリベンジはしたいです。
次で湿原も抜けたい。
すもも