silver fang 試験編◆13:再会




「うわっ!?」



突然の、ドンと突き上げるような地揺れに足を取られ、クラピカがつまずく。


「なんだぁ!?地震かよ!?」とレオリオやゴンやポックルもまたその場で足を止めた。




重苦しい地響きと、ザザザという葉ずれの音。

それらが続く中、人のいないはずの森に人の悲鳴が不気味に響く。



ギャアギャアタスケテ、デグチハコッチ、イヤアッチ、ケケケケェ――――



そんな声を上げ騒がしく遠くへ逃げ去っていく人面猿や声真似のカラスたちを、4人ともがそれぞれ警戒した面持ちで見守る。





「………ったく。ホンット気味悪ィったらありゃしねぇな。こんな森さっさと抜けちまうのが吉だぜ。おい、アゲハの痕跡ってのはちゃんと追えてるんだろうな?」


長いようで短い地響きが治まって周囲も静けさを取り戻し、最初に口を開いたのはレオリオだった。

慣れ慣れしくポックルの肩に寄りかかりつつ、疑心暗鬼を隠さぬ目つきでふてぶてしく問いかける。



「残念ながらオレの方は申し訳程度の精度だよ。そっちの子供の追跡の足の方が早いみたいだ」

「……んじゃあ、もしゴンの言う"アゲハの匂い"ってのが間違ってたら…」

「匂いなんてオレにはわからないから、間違っているかどうかは断言できない。…けどその子が進む道の途中には、確かに誰かが走り抜けたらしい痕跡があるんだ。

生木の枝葉を折って進んだ跡や、普通に走った程度ではつかないような妙に深い踏み込み」


「追っているのが"匂い"なのかどうかは私たちでは確かめようもないが、誰かの後を追っているのは間違いなさそう、ということだな。

"匂い"以外の痕跡もこうして彼のおかげで確かめることが出来ているのだから、何も出来ない私たちにあと他出来ることはその"誰かの痕跡"というのが他の受験者のものではなく、アゲハさんとヒソカのものであることを祈るぐらいだ。

助けを請う身なのだからあまり失礼な態度をとるものではないぞ?レオリオ」



『何も出来ない』という部分を妙に強調しつつ、クラピカがレオリオの背をポンと叩く。

レオリオは図星を突かれてか「ぐ…;」とわずかに押し黙って。


しかしすぐさま「おいゴン!お前ほんっっとにアゲハの匂いなんかわかるんだろーな!?」と八つ当たりのようにゴンを指差し叫んだ。



視線の先のゴンは、地響きが治まると同時に空気中の匂いを嗅ぐ犬のように高鼻で辺りを確かめているところだった。

その後ろではクラピカとポックルが「すまないな;」「いや、いい。オレも半信半疑だから…」と互いに苦労人を思わせるやり取りを交わす。




「……うん。今はまだ大丈夫。でも急ごう!やっぱりなんか変だよ。湿ったコケと草と泥のいやな臭いが風に混じって、アゲハさんの匂いが流されそう!」


後ろの3人に大きくそう声掛けして、ゴンは弾けるように駆け出した。

レオリオが「あ、おい!」とその背中を呼び止めようとするが、逆にクラピカとポックルに「急ぐぞ」と神妙な顔で促された。


ゴンの姿を追い走り出した2人に続いてレオリオも慌ててそれを追って走り出す。

しかしそれほどの距離を走らない内にゴンは立ち止まり、後ろに続いた3人もそれに倣った。




「どうしたゴン!?なにか、―――なっ!!?」

「なんだこりゃ!?爆発でもあったのか!?」



森の奥で、少し開けた明るい場所に出た………と思ったら、そこは自然に森が開けた場所では無く。


まるで大容量のダイナマイトでも爆発したか、隕石の落下でもあったのかというようなクレーターと見紛うばかりの大きな窪地になっていた。



周囲には吹き飛ばされた大量の湿った土砂と、窪地を中心に外方向へとなぎ倒された木々の群れ。

一体何があった場所なのかと、ゴンもクラピカもポックルも、そして遅れて追いついたレオリオも、4人ともがその場の光景を前に目を見張り立ち尽くした。




「先ほどの地響きはもしやこれか……!一体ここで何が、………まさか……」



零すうちにある推測に思い当たり、クラピカはそれを確かめるかのように隣のポックルを見た。

するとポックルもまた同じ結論にたどり着いたらしく、警戒心あらわの顔のままコクリと頷いてきた。




"アゲハの匂い"を追うと言ったゴンの言葉が正しいとすれば、自分たちの道のりの先に居たのはアゲハとヒソカのはずだ。

アゲハはヒソカを怒りに任せた風情で追っていた。


そしてこの追跡が始まる少し前には、彼ら2人の湿地帯での人知を超えるような攻防も、その結果もたらされたものも十分目にしてきた。



ならば、自分たちの道のりの先にあったこのクレーターは、…………。


信じがたいことだが、これが"彼らの再度の戦闘の跡"だと言われても納得は出来る気がした。




「……って!お前ら2人だけで何分かったような顔して頷いてんだよ!?お前らまさか、これがアゲハとヒソカが戦った跡だとでも言う気じゃねーだろうな!?」


焦った顔のレオリオにそう言われるが、「いや、というよりもそれ以外に思い当たるものがない」とクラピカは返す。



「さっきの地響きの間隔からしてそれほど距離を離してはいないはずだ。まだ近くにいるかもしれない。なんとか行った先の痕跡を探し出そう」

「……あ!あそこ!」


ポックルがゴンに向かって「協力を頼む、」と言いかけたのとほぼ同時に、ゴンがその超視力で早速何か見つけたのか、ある一点を指差した。




クレーターの周囲の、なぎ倒された木の上。


そこに腰かけた格好で、ヒソカが4人の姿を見て笑っていた。




「ヒソカ…!!」


「やあ、キミたち。もしかしてボクのこと追いかけて来たのかい?手掛かりはそんなに残してなかったはずだけど…、良くここまでついて来れたものだねぇ。驚嘆に値するよ◇」


木の上からストンと軽い身のこなしで地面に降り立ちヒソカは言う。




「このクレーター。お前がやったのか?ヒソカ」


クラピカが確かめるようにそう訊けば、「まさか」との答えが返って来る。



「こんなこと、いくらボクでも出来るわけないだろ?やったのはあのコだよ◇」


「"あのコ"…って、やっぱりアゲハさんが…!?」

「か〜〜…あいつマジでなんなんだよ…。人間爆弾かってーの!」



素直に驚いた様子のゴンと、もはや驚く通り越して呆れたように頭を抱えるレオリオ。

ポックルは言葉が出ない様子だったが、クラピカはわずかに汗しつつも、想定済みであったからか「やはりな…」と小さく零す程度だった。




―――しかしそこで改めてクラピカは思う。

彼とはどうやってももう一度会わなければならないな…、と。



この強さの根源にあるものがなんなのか、直接彼に問い質してみたい。

とは言っても、そう簡単に話してくれるような気質の人間でないことは、これまでにした短いやり取りででも十分すぎるほどに理解もしていたが。


それでもきっと彼ならば、こちらから礼を尽くして真摯に問いかければこちらの意思を汲んでくれるくらいの度量はおそらく、…おそらくあるだろうとも。


彼のような人物を雇い入れることが出来るキルアの家の事も気にはなるが―――――



なんにしろ、まずやるべきことは一つだった。


この試験を突破し、わずかなり彼との対話に費やせるだけの時間を確保すること。

そのためにならば……と、クラピカはヒソカに視線を移す。




アゲハさんよりもずっと危険なこの死神との対話をも、私は厭わない。そんなふうに考えながら。





「ヒソカ。一つ尋ねたいのだが」

「…ん?なんだい?」


「これをやったのがアゲハさんだという事は理解した。しかし肝心のアゲハさんの姿が見えないようだが、彼はどうしたんだ?まさかとは思うが…」

「うん◇逃げられちゃった♪」

「はあ!?逃げられちゃった〜!って…、あいつがお前の事追っかけてたんじゃねーのかよ!?『逃げた』ってのはどういう事だよ!?」



ニッコリ笑って軽い感じで言うヒソカに、思わずレオリオが横から叫ぶように口を挟む。

言わんとしていた事はクラピカも同じ事だったが、感情的なレオリオとは対照的に、クラピカが見せるのは至極冷静な顔つきだ。



「んー、まぁそうなんだけどね。詳しいことは秘密だけど、二次試験会場への手がかりにしてたものを彼にうっかり奪われてしまってね。ちょっとした目くらましの間にボクだけ置いてけぼりを食ったわけさ◇

キミたちはその彼から連絡を受けて、ここまでナビゲートされて来たんじゃないのかい?」



"ちょっとした目くらまし"と言いつつ両手を広げ、窪地と化した周囲を指すヒソカ。

言わんとしていることはそれで十分4人にも理解できた。




「いや、残念ながら我々は彼との連絡手段を何も持っていない。まだそれほどの間柄でもないしな。

……だが今の話を踏まえても、やはりアゲハさんの後を追うのが正解だったという事だ。……どうだ?ゴン」


「え?」



『ふむ、』と考えるそぶりを見せたクラピカが、そう呟いて冷静にゴンに振る。

突然話を振られたゴンは「お、オレ?;」と目を丸くし、ヒソカもまた「んん?」と不思議そうにクラピカを見る。


ポックルは『…ああ。なるほど。』と気が付いて、ヒソカとクラピカを交互に見た。



ヒソカの話も、もしかしたらブラフを交えた何かしらの罠の可能性は否定できない。

しかしブラフだとしても自分たちにはもうそれに乗るしか道はないのだが。


なんにしろこの場に居ないアゲハの足跡を辿ってみるのが今は一番の手のように思えた。



……目の前に立つこの死神が、そんな自分らの次の行動を黙って見逃してくれるかどうかは別の話としてもだ。




「アゲハさんがヒソカを置きざりにしてまで向かった先は、まず間違いなくキルアの待つ二次試験の会場だろう。

会場への手がかりをヒソカの手から奪って行ったという話だし、何より『執事』と紹介された彼が優先するべきは、家の主人とその家族であるキルアの事だろうからな。

ここからアゲハさんを追うことが出来れば、私たちの試験復帰の道も現実となって見えてくるかもしれない。

なんとかもう一度彼の行った先を見つけられないか?」



「あ、そっか。…うん、わかった!やってみる」



クラピカの説明でやっとゴンも現状を理解できたようだ。

力強く頷いて、再びくんくんと犬のような恰好で周囲の匂いを探り始めた。



そのゴンの姿を、ヒソカは不思議そうに首をかしげ、眺める。




「……キミたち何を探してるの?」


「アゲハさんの匂い、…だけど」




ヒソカからの質問に、少し不安げな表情を見せながらゴンが答える。

ヒソカは「匂い」と零して少しポカーンとした後、身体を折って、ツボに入ったようにくつくつ笑い出した。



「何がおかしいんだテメェ!?」


ひたすらに笑っているヒソカにレオリオがビシッと指差し突っ込む。

…が、ポックルとクラピカはその後ろで「…いや、普通に考えると結構おかしい」「否定できないな…」と零していた。


ヒソカが笑う気持ちもわかる。




「クックック……。ごめんごめん◇面白い子たちだとは思っていたけど、こうまでユニークとは思わなかったものでねェ。…気に入ったよ」

「嬉しくねーわ!!」


「まあそう邪険にしないで。……大丈夫。彼の行った先ならわかるよ。ついて来るかい?

キミたちのその涙ぐましいまでの努力に免じて、特別にボクが二次試験会場までキミたちを案内してあげよう」



これ見よがしにピッと人差し指を立て、一見害意の無い笑顔を見せたヒソカ。


『どういうつもりだ』とばかりにクラピカもポックルもレオリオもそんなヒソカに猜疑の目を向けるが、そんな中ゴンはただ1人―――



「ほんと!?ありがとう!!」



……と、持ち前の天真爛漫な明るい顔で、目の前の死神に向かってそう応えた。






























「………げー。アゲハお前、何戻ってきてんだよ〜〜。合格者の中に全然見当たんないしてっきりヒソカの奴と相打ちでやられたんだと思ってたのに。サイアク」



『硬』での一撃を目くらましにヒソカを振り切り、イルミ様が送ってくれた地図を辿って、オレは先へと消えた受験生たちの集団に無事合流した。


ぐちゃぐちゃとした湿地からもっと足元のしっかりした森林へと場所を移し、少し開けた野っぱらの上、多くの受験生たちが疲れたようにへたり込みひと時の休息をとっている。

そんな中見つけた、ひときわ小さな銀髪の人影―――


急ぎその元へと向かうが、そんなオレの姿に気付いた当のキルア様からかけられた最初の一言がそれだった。



「…ご期待に沿えず大変申し訳ございません、キルア様。ただいま戻りました」


姿勢を正し、キルア様の前に笑顔で頭を下げる。

少々の皮肉を利かせると、キルア様は大変面白くなさそうに「ちぇ〜」と口を尖らせそっぽを向かれた。




「…で?お前はどーでもいいとして、あいつらは?」

「は?」



………あいつら?何の事だ?とわずかに逡巡する。

が、キルア様のジトっとした視線で思い出して、ひゅっと背筋が冷えた。


…まずい。『あいつら』って『彼ら』のことか!!




「今お前、「あ」って顔したな!?オレの命令完全に忘れてただろ!あ゛ーもう、マジ役立たずなんだから!」

「申し訳ございません;」



さすがにこれは頭を下げるしかない。完全にオレの失態だ。

あの変態のせいとはいえ、頭に血が上りすぎて途中から完全に彼らの事が頭から吹っ飛んでいた。クソッ…!



正直言えば、オレの今回の主任務はライセンスの入手とキルア様の監視と護衛であって、彼らの試験の合否などどうでもいい事なのだが……。

キルア様の指示で彼らについていたからには、通常ならばその指示は完璧に遂行されてしかるべきだろう。


オレにとっての上位であるイルミ様からの命令もあってここに戻ることを最優先したとはいえ―――

だがオレが指示に背いた理由を『あの変態と殺り合うのに夢中で我を忘れた』とキルア様がそう判断されたのであれば、こちらとしてもそれをそのまま利用しない手はない。

今はまだキルア様にイルミ様の存在を悟られるわけにもいかないからな。

ここはキルア様の認識通り素直に『忘れていた』という体で謝罪しておくべきだ。


色々と癪に障る部分はあるが、実際忘れていたのはまぎれもない事実でもあるわけだし…。



「(こんなことならトドメだけはきっちりと刺してから来るべきだったとは思うが!今さら後の祭りだが!)」


キルア様のネチネチとした文句を甘受しながら、溜まり始めるイライラの捌け口を探し、八つ当たりのようにヤツの携帯をみしりと握りしめる。

――――が、次の瞬間にその手の中のヤツの携帯に、ビンと引っ張られる感覚があって、オレは反射的に、『逃すまい』とそれを掴んでいた手にさらに力を込めた。



『…なんだ?』とギチギチ引っ張られる感覚のする方に目をやれば、そこにあったのは"二度と見たくない"と思った変態の、胡散臭い笑顔。

思わずチッと舌打ちが零れた。




暗い森の奥から、サクサクと焦った様子もない足取りで這い出て来た変態ピエロ―――もとい、ヒソカ。

その姿に周囲の受験生たちも気がついたようで、慌てて次々とその進路を開け始める。


一変した周囲の雰囲気を感じ取ったキルア様もまた、オレへの説教半ばに視線をそちらへと向けられた。




…クソ、どうやってここまで戻って来られた。『絶』は完璧だったはずだ。

イルミ様より案内を受けここまで辿った道すがら、万が一の追跡にも十分に気を付けた。


完全にヤツはあの場で撒いたはず………とそこまで考えるが、ふと思い当たりオレは手の中の携帯を『凝』で見た。



「(ち…、くそ。やられた。目印をつけられていた)」



携帯にべったりと着けられた、巧妙に『隠』で隠された細いオーラ。

伸びる先は奴の指先だ。


携帯を握っていた力を緩めると、とたんにそれはゴムひもに引っ張られたかのようにヒソカの手へと戻っていく。




「んー。なんて言うか、色々と詰めが甘いよねぇキミ◇ …ま、そのおかげでこっちは助かったけど♡」



少し距離を開けたまま、オレに向かってそう笑いかけるヒソカ。

楽しそうに細められる目が、…まあオレの注意不足が原因とはいえ、この場の何よりも気に入らない。


―――だがしかし『ゾルディック家の執事』としてあの方の前に跪いた以上、もう二度とあの時のように我を忘れて飛び掛かるなんて事は許されない。





「…左様でございますか。大変残念なことです。ご忠告として頂戴しておきましょう。次の機会にはその反省を踏まえたうえで―――」



"その顔、叩き潰してくれる"。





キルア様の手前もあり、声には出さずに口の動きだけでそう続ける。



「それはそれは…、楽しみにしておくよ◇」とニッコリ笑って、ヒソカはくつくつと不愉快な笑い声を残しながら人垣の向こうへと消えて行った。


念のため『円』で動向を追跡してみたが、ヒソカもまた他の受験生共と同じく休息をとりたいのか離れた場所に腰を落ち着け。

オレもまた一旦、ふうと息を吐いて緊張を解いた。

警戒までは解くべきではないが。




「……結局ヒソカもやれてないし。お前、マジで何しに行ったんだ?アゲハ」

「(…く…!!)」



気持ちを落ち着けるなり、キルア様からそんな言葉の暴力でおもむろに横っ面を張られる。とても痛い。耳が。

しかし実際にその通りなので弁解できない。見栄を切った割に何も達成できなかったのは事実だからな。


ちくちく頬に刺さるキルア様のじっとりした視線に、仕方なしに耐えていると―――




「キルア―――!」と聞き馴染みのある少年の声が遠くから届いて驚いた。



視線を声のした方へと向ければ、大きく右手を振りながら森の中より駆けてくる小さな影。

ゴン少年と、その後ろにクラピカとレオリオ、もう1人はあの時の弓矢の男だ。…そういえば名前は知らんな。


ゴン少年とレオリオはこちらへとまっすぐに、クラピカは何やら弓の男と一言二言交わしてから、彼とは別れてこちらにやって来る。




「キルア!アゲハさんも!また会えてよかった!」

「…は!?ゴン!?お前なんで…。お前、この役立たずに置いてけぼり食ったんじゃなかったのかよ!?」



『役立たず』と言いながら、後ろに立つオレを見もせずに指差すキルア様。


…まあ。今回ばかりは甘んじて受けますけどね。





「ううん。アゲハさんのおかげで戻って来れたようなもんだし。あ、そうだクラピカ!」


「ああ、わかっている。…アゲハさん、これを。落とされただろう?」



ゴン少年に言われ、後からやって来たクラピカが慌ててカバンから――――あ。


『それ』を目にして、オレは思わず自身の頭に手をやった。



クラピカがカバンからオレの前に差し出したのは、奥様からお借りしたあの帽子だ。

差し出されて、オレはそこで初めて、帽子を失くしていたことに気が付いた。




「これは…誠にありがとうございます。こちらは大切な方からお借りした帽子でして。慌てていたとはいえまさか落とした上にそのまま失念するとは。恥じ入るばかりです」


両手でそっと帽子を受け取り、汚損や破損が無いかを一通り確かめる。

そしてそれを片手で胸に抱き、今一度、目の前の2人に礼を告げた。


湿原とは打って変わってのオレの言葉遣いと態度にか、何か面食らった風情の2人。…ん?キルア様の前では元々こうだったはずだが。

無視してオレは髪を整え、再び帽子を頭に乗せた。



「…いやー、しっかしマジでここまで戻って来れると思わなかったぜ。ほんとに二次試験会場で合ってるよなここ?また詐欺師共に集団で騙されてるわけじゃねーよな?」


オレが帽子を被る間に、きょろきょろと不安そうな面持ちで辺りを見回しながらそう零したのはレオリオだ。



「うんにゃ。あのヒゲにスーツのおっさんが『ここが二次試験会場』って案内してたから大丈夫じゃねーの?

…つか、そんな事よりゴン!お前マジでどうやってここまで戻って来たんだよ!?もう絶対失格だと思ってたのに」


「えーと…、色々あって。でも戻ってこれたのはアゲハさんのおかげが大半だよ!」


「……私の?」



キルア様からの質問に応えたゴン少年の意外な言葉。


…オレのおかげ、とは?何もしてないつもりだが?

むしろ『何故置いて行った』と責められてもおかしくないところではないのか。


そう思ってジッとゴン少年の顔を見ていると、オレの視線をどう解釈したのかゴン少年は「えっとね、」と焦ったように説明をくれた。


……信じがたい話だが、要約すると、オレのこの帽子に染み付いていた香水の匂いを道しるべにここまで戻って来たという事らしかった。




「アゲハさんの香水、少し変わった匂いの香水だよね。この辺じゃ嗅がない匂いだし、数qくらいなら離れててもすぐわかるよ」

「…はあ。そう…ですか…」



―――なんと返答すればいいのか困る。


確かに今着ている服は帽子も含め全て奥様のクローゼットからお借りしたものだし、奥様の付ける香水の香りが移っていたとしてもまあおかしくはない。……おかしくはないだろうが、いやいや。


言われて嗅いでみればほんのりと甘く香る程度で、実際ここまでオレは一度も気にした事はない。

香りに慣れすぎて鼻が馬鹿になっている可能性も否定はできないが、この程度普通は数qも追えるものじゃないだろう。…犬か。

……なんて心の中で突っ込んでいたら、キルア様も同様の事を思われたらしく、呆れたように肩を落として「匂いを辿ったって…。お前、ホントは犬かなんかだろ」とゴン少年に突っ込んでおられた。

良かった、ゾルディック家としても普通の感性だったようだ。




「そうかなぁ。…あ、でもそれも途中で1回見失っちゃって。アゲハさん、なんかすごい爆発跡みたいな…」

「爆発跡…?ですか?」

「あ!!そーだぜお前、あんなもんどうやって!」


ゴン少年に言われ、興奮したようにレオリオの奴にもそう言われるが……ふむ。



「…途中、ヒソカ様にお見舞いするつもりで放った渾身のストレートの件でしょうか。

目くらましにはちょうど良かったのですが、あの方にはあまり意味をなさなかったようで。とても残念です」


「こ…渾身の…;」

「ストレートォ!?」



クラピカとレオリオが目を剥いて復唱してくる。


あの不愉快な顔面を潰してやりたくて放ったんだが、肝心のあの変態には結局避けられてしまった。本当に、本当に残念でならない。


チッと舌打ちを隠すように口元に手を当てていると、ゴン少年が再びオレの前へと立って、何故かニッコリと笑いかけてきた。




「……なにか?」

「うん。湿原でレオリオたちの事ずっと守っていてくれたでしょ?ありがとうって、あの時言えなかったから」


「…別にお礼を言われるほどの事ではありませんよ、ゴン様。私は執事として主の命令に従ったまで。

しかし私自身の未熟さゆえに、命令されたはずの護衛の任も中途半端な形になってしまい、むしろ御三方にはご迷惑をお掛けしたことでしょう。大変申し訳ございませんでした」


特に感情も無く平坦に言って頭を下げると、ゴン少年は「あ…」と零して少し困ったような表情を見せる。

小さな少年の歩み寄りをこうしてはねつけるのは少々心が痛む気もしなくもないが、今後はこれ以上、変に慣れ合うつもりもないしな。


……などと考えながら頭を上げるが、ゴン少年はそれにも折れずにさらに喰らいついてきた。


「ううん、そんなことないよ!アゲハさんが居てくれたからレオリオもクラピカもオレも、無事ここまで来れたんだよ。

迷惑なんて掛けられてないし、お礼ぐらいは言わせて!……アゲハさんにとっては、そういうの…逆に迷惑かもしれないけど…。でも、ありがとう!」

「あ、…え?」



はっきりと笑顔でそう言って、ゴン少年はくるりと踵を返し、キルア様の近くへと向かわれる。



……お前たちを置いて行ったオレを非難するでもなく、かといって嫌味や皮肉で言っているわけでもなく。

ここまで戻ってこれたのも、匂いを辿るなんて手品じみた芸当とはいえお前自身の優れた才能によってだろうに。

目の前の事に躍起になってお前たちを置き去りにしたオレに、それでも礼を伝えたいと。『迷惑かもしれないけど』とオレの性質まで見抜いたような気遣いまで見せて。


何度も言うが、オレはお前に恨まれるようなことはしていても、礼を言われるようなことは何もしていない。



残されたオレの、当惑の声。

それを拾った傍のクラピカが、「ああいう人間なのですよ、ゴンは」と小さな背に視線を向けたまま、柔らかい笑みと共にそう言葉を零す。



「―――何より大切だろう試験をふいにしてまで赤の他人を助けに戻って来たのを見た時も思ったが……相当な馬鹿だな、あれは」

「そこはぜひ、純真と思いやりのなせる業だと訂正させていただきたい」

「…そうか。ではそのように認識を改めておこう」



互いに、小さな背を眺めながら独り言のように言葉を綴る。


確かに、ただの馬鹿では出来ないあの子供の冷静なフォローが無ければ、オレの軽率な行動の一つでレオリオの奴を死なせるところではあった。

……礼を言われる程のことはしていない分、いつか返さねばならない小さな借りは出来てしまったようだ。



「いや……、そうだな。それを言うならば、お前たちにも一つ借りがあった」

「…借り…ですか?」

「実力差も顧みずヒソカとの間に割り込んでくれただろう」

「ああ…、それについてはまずレオリオの奴に言ってやってください」

「……あいつに礼を言うのはなにか癪だ」

「ハハ、これは手厳しい」


そう零して口元を隠しつつクスッと笑う隣のクラピカに、オレは一度だけ目線を向け――――




「いずれ何かしらの形でまとめてお前たちに返してやる。覚えておけ」



それだけ伝え、オレもまたゴン少年とレオリオに囲まれて何やら建物を指しながら話すキルア様の下へと赴く。

クラピカもまた一足遅れながらも、「…わかりました」と追い抜きざま小さくオレに伝え、少年たちの間へと駆けて行った。







つづく




NEXT coming soon... /日常的番外編・1へ←PREV(前話へ)



すもも

TopDreamsilver fang試験編◆13:再会
ももももも。