「ちょっと大変よ!?」
バタンッと少し乱暴に扉を開けて、1人のメイドが給仕室に駆け込んできた。
そこにいた数人のメイド達と2人の執事が、何事かと飛び込んできたメイドに注目する。
「どうしたのよ血相変えて」
「どうしたもこうしたも無いわ!!アゲハ様が刺されてお怪我をなさったらしいの!」
「「「ええ!!?」」」
駆け込んできたメイドの口から出た思いもよらない事柄に、その場にいた人間達は目を開いた。
「…いや待て、それはおかしいぞ。アゲハの奴は今はイルミ様と任務に出ているはず」
「いえ、ですからその際にお怪我をなされたとか…!!今はもう戻られて、治療を受けられているそうです…!」
思い出すようにして言った1人の執事にむかって、大仰な手振りで説明を促すメイド。
その後ろで他のメイドたちもきぃきぃと騒ぎ始めた。
「まったくどこの女なの!?あたしたちのアゲハ様に!!」
「そうですわ!あのお綺麗な顔と体に傷でも残ったらどうしてくれるんですの!?」
「本当だわ!!許せない!!」
それを見てタジタジと身を退いたのは側にいた2人の執事。
騒ぎ立てるメイドたちを一瞥してから、お互いに顔を見合わせる。
「………まったく、こいつらどうなってる?」
「普段はあれほどボロクソ言ってるのにな?」
…女心はわからん…。
2人でそう呟いて、はぁー、と長いため息を吐いた。
「…ゴトー!!ゴトー、お待ちください!!」
ゾルディックの屋敷の廊下をカツカツと歩く二つの足音。
足早に先を歩くゴトーと、必死でそれを追いかけるまだ若い少年―――アゲハ。
「私は動けます!お願いです…っ!私の…、私の仕事ですから…」
イルミ様の護衛として外での仕事を終え、オレはまたいつものように屋敷の勤務へと復帰しようとしていた。
なのに、外の仕事で受けた"こんな"怪我を理由にゴトーに仕事を奪われてしまった。
本邸へ―――ゴトーのサポートなんかではなく1人で―――勤め始めてまだ2年足らず。
覚えなければならない仕事もやらなければならない仕事もまだまだたくさんあるのに。
「ゴトー…ッ!」
いくら声をかけてもゴトーは立ち止まる事も、オレのほうに振り返る事もしない。
次第についていけなくなり、オレは立ち止まって、はぁっと息を切らした。
クソ、なんでこんなに……。
(…こんな傷ごとき…っ)
そう思い、オレはギュッと……あの時刺された腹を押さえた。
「…アゲハ」
「は…!はいっ!?」
呼ばれてオレは姿勢を正した。顔を上げれば、ゴトーは廊下の先で立ち止まっていて。
カツカツと靴音を鳴らし、オレの元にまで戻ってきたゴトー。
オレの前に立ったかと思えば、不意にオレの腹…刺された傷の上をドンッと力強く小突いてきた。
オレは反動でよろけるどころか……、激しい痛みに体を襲われ、ガクリと膝をついた。
「………〜〜〜〜ッ!?痛ぅ…」
ひどい痛みを必死で耐える。
吐き戻しそうになるのを何度も飲み込んだ。
そのまま体を折り、床の上に縮こまっていたらゴトーのオレの傍にしゃがみこんだ。
そして諭すような口調で言う。
「言わん事じゃない。お前そんな体で主人の前に出るのか?粗相したらどうするつもりだ?…それだけならまだしも、主人に不利益をこうむったら?」
「はっ、あっ、も…、しわけ…っございません…、ゲホ」
「根性は認めてやる。しかしお前の今の仕事は執事として従事する事じゃない。きちんとその傷を完治させることだ。
半人前のお前1人が欠けたところでこの屋敷の機能は落ちん、心配するな。怪我人は居るだけ邪魔だ」
「はっ…、はい…」
返事はなんとか返したが痛みで自力では立つことができず、なおも床に座り込んでいたら「お前、本当に大丈夫か?」とゴトーが肩を貸してくれた。
「…いい機会だ。この際ゆっくり養生しろ。しばらく働きづめだったろう?」
「ハァ…あ…、いえ、そんなの…。働きづめというのならば私よりも、ゲホ、…ゴトーのほうが…」
「いいからお前はさっさと部屋に戻って静かに休んでいろ。お前は若いから、ちゃんと処置をして安静にしていれば痕も残らず綺麗に治る。さっさと完治させて、それから戻って来い。
それでもまだ納得できないというなら、オレが今から寝ながらでも出来る仕事をお前に与えてやる。それで我慢しろ。いいな」
「…は…」
「よし。ではお前はこれから、部屋に戻ってしっかりとその怪我について反省すること。もう二度と不用意に怪我などしないように考えておけ。―――わかったな?」
そう言って、ゴトーはオレの頭を撫でてくる。
「………わかりました。指示に従います…」
「よし。部屋までは1人で戻れるな?」
「はい」
頭を撫でた後は、ポン、と軽く肩を叩いて。ゴトーはふっと優しく笑う。
気遣ってくれているのはいくらオレでもわかる。
踵を返し廊下の先に消えていくゴトーの背に、オレは一礼をして。
それからオレは壁伝いに、執事室へ向けてゆっくりと歩き出した。
「―――くそっ!!」
部屋に戻るなり――――やりきれない思いがこみ上げてきて。
そばにあった椅子を思い切り振りかぶって、ガッと机へ叩きつけた。
傷だらけの机には新たな傷がまた一つ、二つと増える。
「……ちくしょう……!!」
足元に転がる椅子をガンッともう一度蹴り上げて、オレは簡素なベッドへとその身を投げた。
初めての外での仕事―――それでも、きっちりとやり遂げる自信は少なからずあった。
主の仕事の邪魔にはならずに、主を余計な外敵から守ること。
できると、思っていた。
すべてが順調に進み、主の仕事も滞りなく完了できた――――その矢先だった。
そう、イルミ様の仕事が完了し、まずはホッと一息ついたその瞬間。
オレは彼の後ろでうごめく影を見た。
ターゲットの縁者か護衛だろう、オレが気を抜いた一瞬のうちに武器を持った男はイルミ様の元へと距離を詰めていた。
出足が遅れはしたが、それでも何とかオレはイルミ様とそいつの間にこの体を滑り込ませ――――
結果、胸から腹にかけて大きく斬られた。
オレを斬った男はすぐにイルミ様の針によって絶命する事となったが…。
「…イルミ様、怒ってらしたなぁ…」
冷たい瞳で、地に伏したオレを見下ろしていたイルミ様。
怒っていたというか―――あるいは、呆れ返っていたのかもしれない。
帰るなり、オレをゴトーに突き出して本邸へと戻られてしまった。
念のガードも張ったおかげか、傷はそれほど深くなかった。それでも――――…
それでも…、問題は"そこ"じゃない。
"そんなこと"じゃない。
「…護衛も満足にできないのかオレは…」
ふがいなくて、少し泣いた。
イルミ様のお役に立ちたい。あの方を守るためになら、斬られて死んだって構わない。
…けど。
あんな、あんな不恰好なやられ方。
「くそっ…!!」
ふがいない、と再度考え至ると同時に、オレは腹の傷を包帯の上から思い切り引っ掻いていた。
「くそ…、くそっ……!くそ…!!畜生!!」
白い包帯にうっすらと血がにじむ。
―――戒めに、傷が残ればいい。
「くそ……!…ッはぁ…っ、……痛い…;」
ぼふ、とベッドに腕を投げ出した。
ズキズキと傷が疼く。
あまりの痛さにさっきとは別の理由で涙が出た。
ベッドの上から見える、窓。
部屋に一つだけの小さなその窓から空を眺めた。
ゴトーにも呆れられ、イルミ様には見限られ……。オレはこれからどうなるんだろう。
またゴトーのサポートとして執事室に戻されるんだろうか…。
「…せっかくイルミ様のお側につくことができたのにな…」
………自業自得か。
(もっと…、強く…ならなくては……)
そんなことを思いながら、オレは一時の眠りへと落ちていった。
「ん…」
ぎし、とベッドに揺れを感じた。
頬をふわりと撫でられて、オレは覚醒する。
「…ゴトー…?」
一体誰だ?とゆっくりと目を開ける。
寝ぼけ眼に黒いものが見えて、最初はゴトーかと思った。でも違った。
開けた目の前にはなぜかイルミ様がいて、オレの顔を覗き込んでいた。
「うわっ!?イ、イルミ様!?」
「…やv アゲハ、元気?」
…結構距離が近くてびっくりした。
しかしイルミ様は何事もなかったかのようにピッと片手を上げて挨拶される。
「な、ななにゆえこのような下賎な場所へ…!?」
「うん?ゴトーがお前をしばらく休ませるって言うから。そんなに傷悪かったのかと思って見に来たんだけど…」
「…ッ!!」
おもむろに、着ていたシャツをビッと破かれた。ボタンがはじけて床へ転がる。
「お前、何をしたんだ?こんなに血がにじむほど深い傷じゃなかったよね?」
シャツの下から出てきたのは胸から腹にかけて大きく巻かれた包帯だった。
さっき掻きむしったせいか白かった包帯は赤黒いまだら模様に彩られていた。
「ぐう…っ!」
その包帯を、イルミ様は少し乱暴に爪で引き裂いてしまう。
血の染みたガーゼと包帯がぱらりとベッドに落ちて、まだ新しい傷が風に触れた。
「せっかく綺麗に治るって言われてたのに、自分で抉ったのか?…馬鹿?」
「う…、っ……も…しわけ、ございません…」
イルミ様の指が薄く身体をなぞっていく。
傷に触れるか触れないかのぎりぎりのライン。
「っは……イルミ様…っ」
ゆっくり傷をなぞり、下腹部までツウ、と指が降りる。
ぞくぞくとした寒気のようなものを感じ、『やめてくれ』とばかりに顔を見上げた。
オレと目が合って、イルミ様は指をオレの体から離す。
イルミ様はその指で、今度はオレの顎をくっと持ち上げた。
「アゲハ」
「…はい」
「お前の主は誰だ?言ってごらん?」
「え…?」
「え、じゃない。早く言うんだ。」
オレを見る、黒い瞳。冷たい目。
イルミ様のお言葉の、それに含まれるはずの意図がわからない。
一体何の意味があるのか。
わからないまま、おそるおそるに答えた。
「わ…私の主人は…、イルミ=ゾルディック様…お1人…ですが…?」
「そうだ。ちゃんとわかってるんじゃないか」
「っぅあ!?あ、がっ…!!」
傷口に、ぐりっと爪を立てられて激痛が全身を襲った。
そのままガリガリと傷を引っ掻き、開いていく。
「なのになんで忘れちゃうのかな?本当に馬鹿なのか?」
「あっぐ、イル、っぁ!あああっ!!」
思わず身体をくねらせた。痛みを与える物から―――その手から逃げるように。
だが当然、イルミ様はそれを許さず。
「…うげっ!?げほっ…!!」
逃げる身体を抑えつけるために、イルミ様はオレの首を絞めた。
片手で、ベッドに押し付けるようにしてギシギシと首を押さえる。
「かはっ、か…ぁ、イルッ…、イルミ、ッイルミ様…っ」
――――息ができない!
ひゅうひゅうと酸素を求め、喘ぐ。
なのにイルミ様は、顔一つ変えずオレを見下ろしていた。
「ねぇアゲハ、一つ答えて欲しいんだけど。お前、こんなに傷を掻きむしって…、
今後一生、あんなどこの馬の骨ともつかない男につけられたこんな品の無い傷を身体に残したままオレに仕えていく気でいたのか?」
「がはっ、は、…ゲホッ」
「……アゲハ。ちゃんと聞いてる?」
「は…、っ…はい、……はい…、イル…さま…!!」
必死で返事をつむぐ。
するとスッと首から手が離れた。
ゲホゴホとむせる間に、イルミ様の影がゆっくりとオレの体の上に落ちる。
身体に触れたイルミ様の髪の感触が、…暖かかった。
「…はあっ…あ…っ、痛ゥ…」
生暖かいものが傷の上を伝う。
顔を少し持ち上げて見る。涙で潤んでぼやけた視界の中、イルミ様がオレの肌に唇を落としていた。
血に濡れる傷口をぬらりと舐めていく。
「…はっ、はあっ…どうか……おやめください……イルミさま…」
「黙れ。」
ぎゅ、と口を押さえられた。
その状態でまた傷をなぞられ、びくりと体が跳ねた。
「アゲハの体。赤い血の…、傷のよく映える肌。白い肌。綺麗だよ?…でも」
ずい、とオレの上にのしかかり、オレの顔を至近距離で覗くイルミ様。
赤い血に濡れる唇がとても艶かしい。
「お前の身体に傷をつけていいのはオレだけだ。お前はオレの物だから。
お前で遊ぶのも、お前を壊すのも、オレだけの特権なワケ。わかる?アゲハ?」
オレがこくこくと頷くと、口を押さえていた手が離れる。
離れた指はゆるりとオレの唇を撫でていった。
「わかったら、"これ"はちゃんと綺麗に治すんだ。痕なんか残すことは絶対に許さない。もし傷を残すようなことがあればそのときは――――、わかるな?」
唇を撫でた指が、そのまますべるようにオレの喉元へ突き立てられた。
爪がわずかに食い込む。
「………死、ですか…?」
オレの問いに答えはなかった。
オレに覆いかぶさったイルミ様は、ただオレを見ていた。
「…イル、―――っ。」
距離が近い、と思うと同時にキスを受けた。
普段の"行為"でも、めったな事では重ねられる事のない唇。
初めて抱かれたとき以来の2年越しのそれは、鉄臭い、血の味がした。
「んぅ……ん…」
わずかに開いた口から侵入する舌。甘く噛むようにしてそれを舐めあう。
イルミ様の手はオレの頭を固定するように後頭部へ回され、ゆっくりと深く深く口付けられる。
濡れた舌が蠢くたびに粘着質な水音がわずかに耳に届いた。
「…あ、はあっ…イルミ様…」
唇の間を、ツウ、と唾液が糸を引く。
たかがキス一つ―――なのに、まるで媚薬でも飲まされたような、この高揚感はなんだろう。
吐き出す息が熱を持ち、湿り気を帯びているのが自分でもわかる。
「…欲しいのかい?アゲハ?」
「はっ、あっ…もうしわけ、ございません…」
浅ましい、と思う。
キス一つ貰ったくらいでイルミ様に許された気がして。
確かめたかった。
オレは貴方様のものである、と言うことが。
――――この身体に、イルミ様の痛みが欲しい。
この傷を与えたあの男の顔など二度と思い出さないように。
貴方様のお与えになる痛みと快楽で、染み付いた記憶を書き換えて欲しい。
どんな乱暴な抱き方でも良いからあなたに犯されたいと、そう思った。
けど…
「……も、しわけございません…っ」
無表情でオレを見つめるイルミ様の視線。
立場をわきまえろ、とでも言うようなどこまでも冷たいそれを受け止める事ができず、オレはそれから目をそらした。
……どこまで恥知らずなのか、オレは。
一瞬前の思考をかえりみてあまりの浅ましさに自分が情けなくなった。
イルミ様の視線から逃げたくて、顔をそらしてギュッと目をつぶる。
溢れた涙が、ポロリと一粒こぼれ落ちた。
後編へつづく
NEXT→後編へ
一応過去設定ですがいつもとあんまり変わりないような…(爆)
すもも