「…や。随分お疲れみたいだね?緊張してるのかい?」
壁際に座り込んでぼんやりと地下道の天井を眺めていたら、横からそんな声がかかりオレは視線をそちらに向けた。
声をかけてきたのは、16番のプレートを胸に下げた小太りの男。
こんな気分の悪いときにオレに声をかけてくるとは、よほど運が無いな、この男は。
ぎろ、と睨んでみたが、男はそれにも気がつかないのか表情を変えず。
雑魚の癖にいい度胸をしている、と鼻を鳴らした。
「オレ、トンパって言うんだ。あんた、ルーキーだろ?そんな派手な格好した受験者はついぞみかけないから…」
「うるさい、消えろ」
「…え?」
ニコニコと笑顔で言う男のすさまじく耳障りな声が、オレの神経を逆なでする。
イラつきながら、のそりとオレは立ち上がった。
「この服はとても大切な方からいただいたものだ。お前ごときが馬鹿にする事は許さない。―――それから、目障りだお前。怪我をしたくなければオレの前からさっさと失せろ」
「おおコワ…ッ。本試験前だから神経昂ぶってるのはわかるけど、最初からそれじゃあ持たないぜ?もっと楽に……うごっ!?」
なおもまとわりつくその男の言動に、さすがにキレた。
セリフの途中にもかかわらず、ガッと男の首を片手で掴みあげてそのまま頚動脈を絞める。
「耳が悪いのか?それとも頭が悪いのか?オレに二度同じ事を言わせるな」
ゆっくりと男の足が地面から離れる。細腕一本で男の体を宙に吊り上げるその様に、周りがざわめき始めた。
「オレは今ひどく機嫌が悪い。これ以上オレに関わるな。次にオレに話しかけてきたらそのときはその場で縊る。いいな。二度は言わない。」
全体重が首にかかって息ができず、熟したトマトのように顔を真っ赤にさせているその男。
失神寸前でカフカフと空気を漏らすその男にどこまでオレの言葉が聴こえているかは解らないが――――
何もしていないにもかかわらずこんな事をされればいくらなんでももうオレには近づかないだろう。
男がオチる前にパッと手を放した。
ドサリと地面にしりもちをついた男はゲホゲホとむせた後で、涙目で「わ、悪かった…」とだけ残して人混みの中へと消えていった。
ざわつく周囲には、ぎろりと一睨み。それだけで周りの男達はオレから視線をはずし、そそくさと間を取るようになる。
……ふん。やっと少しは静かになった。
八つ当たりのようにガッと壁を蹴って、オレは再びその場に座り込もうとした。
が――――
「ねぇ、キミ」
という声と共に、ぽんと肩に置かれる手。
瞬間、一気に血が上った。
「……オレに触れるな!!」
振り向きざまに拳を振るう。
オレに気安く触れていいのはイルミ様……ゾルディックの方々だけだ。
下種な男の頭を潰すつもりだったが、オレに声をかけてきた男はオレのその渾身の一撃を止めやがった。
ふざけるな。オレはこれでも強化系――――。
「…………って…、え?」
振り返って、顔が歪んだのはオレのほうだった。
声をかけた男はまったく知らない顔だったのだが―――しかし、その体には見覚えのある針が刺さっており、そして…
「…何やってるの、アゲハ?」
聞き覚えのあるその声が、オレの心を震わせた。
………ああ…。
オレ…、クビ決定だな……。
はたから見れば、その光景は異様としか言いようが無かったかもしれない。
脳天から肩にかけて数十本の針を刺している目つきのヤバイ大男が、この場に似つかわしくないようなゴシック調の服に身を包んだ見目秀麗な細身の男の首をひっつかんで引きずっていくその光景。
しかもその引きずられてる方の細身の男は、先程"あの"トンパを片手で縊り殺し(殺してないぞ、まだ。)
その後も銀色に光るあの鷹のような目で獲物を物色していた(違う、誤解だ。)と囁かれる超危険な男だ。
―――喰うの?喰うのか?どっちが?何を?
…やめろ。見てはいけない。関わったら死ぬぞ。
と…、周りの受験者達は口々にそう言い合い、その光景から目を逸らす。
その場にいた人間で、最後まで彼らの動向を見ていた者は皆無だったという。
「…で?説明してもらうよ?何でキミがここにいるの?」
通路の隅っこ。壁際に押し付けられてイルミ様から怒気を孕んだそのセリフを投げつけられる。
人目からオレを隠すように、通路側に背を向けているイルミ様。
いつもと顔はまったく違うイルミ様だが、しかしそのせいでイルミ様の表情からは『怒り』の感情がいつもよりはハッキリした形で見え隠れしていた。
オレは青ざめた。
―――暗殺一家ゾルディック、その長兄であるイルミ様の激しい怒りの感情。恐ろしくて、イルミ様の顔が見れない。
カタカタと体が震えるのを抑えることができず。
額からは、知らず知らずに一筋の汗が零れ落ちた。
「…アゲハ。黙ってたらわからないよ?」
「も、申し訳ございません…、イルミ様…」
「オレは謝罪が聞きたいんじゃないんだけどな」
ふう、とイルミ様のため息が耳に届き、オレは反射的に帽子を脱いで頭を下げた。
「申し訳ございません!
イルミ様が試験を受験されるのであれば、私も同じく試験を受けるようにとゴトーから指示があり…
奥様からも許可をいただいたので、勝手ではございますが参加する事にいたしました。
事後報告になってしまい大変申し訳ございませんでした…」
すまん、ゴトー。
いきなり名前を出す事になってしまった。
「……ライセンスが無ければ侵入を許可しない国や場所も世界にはあるとの事。
もし今後イルミ様に随伴するご機会をいただいた際に、ライセンスを持たない私のせいでイルミ様にご迷惑をかけないようにとのゴトーの配慮です…」
「ふーん…」
「しかしっ…、そのような指示があったとはいえ試験参加への最終的な判断を行ったのは私です…。
罰をお与えになるというのならば、どうかゴトーではなく私めにお与えくださいませ!」
「うーん…」
腕を組んで考えるしぐさをするイルミ様。いつものお姿ならそれも決まるところなのに、全身に針を刺したごつい大男がするそれはどうにも………。
さっきとは別の意味で怖いんだが…;
「はぁ…。まぁしかたないね、許可しよう。特に罰も与えはしない」
「あ…。ありがとうございます!」
「ここまで来て1人で帰れって言うのも可哀相でしょ?母さんもゴトーも許してるみたいだし。…ただし、条件がある」
「はい…」
「試験中はオレに話しかけてはいけない。オレに付き従ってもいけない。視線をよこすのも駄目。必要以上に近づかない。
やむを得ず会話しなくてはならない場面にも絶対に敬語を使ってはいけない。わかったな」
ぽん、とオレの頭を撫でて言う。
「は…、しかし」
「しかしじゃない。別に意地悪で言ってるんじゃないんだよ?…この会場内にキルが居る。」
「キルア様…でございますか?」
提示された条件の意図が読めず反論しようとしたが、イルミ様の口から意外なお方のお名前が出てオレの思考が止まった。
「そう。お前はキルに、オレがここにいることを悟られてはいけない。
いいかい?お前はオレが家に不在で暇そうだったからっていう理由で母さんに言われてキルの様子を見に来た。
キルがハンター試験を受けることを知ったお前は母さんの指示を受けて、キル護衛のために追ってハンター試験を受験した。
お前は目立つからすぐにキルにも見つかると思うけど、キルに理由を訊かれたらそう答えるんだ」
「はい…」
「…オレがいるってキルに知られたらきっとキルは逃げると思うし。オレは母さんにキルを連れ戻せって言われてるけど、それにはきちんとした手順ってものがあるからね。
連れ戻すのはオレがやるから、それに関してお前は手出ししなくていい。キルの護衛も兼ねて、ハンター試験をフツーに受験してなよ」
「は。承知いたしました、イルミ様」
そう言ってぺこりと頭を下げると、「…ああ、そっか。それも必要なんだ」とイルミ様は再び何かを考え始めた。…一体なんだろうか?
「何って…、名前。イルミなんて本名で呼ばれたら一発でばれちゃうだろ?」
「あ…そうですね…。ですが登録自体はイルミ様……イルミ=ゾルディックのお名前でおこなってしまいましたが」
「そうなんだよね。…うーん…」
困ったなぁとばかりにまた首を傾げられる。……が、やはり怖い。
思わず視線をはずしてしまうほどに。
「…あ、そーか。ライセンスの認証や登録は本名じゃないとダメだけど、呼ばれる分には本名じゃなくても良いんだよね。
どうせハンター協会も、合格するまではこの"番号"で受験者を管理してると思うし」
ぐいっと胸の番号札―――イルミ様は301番か―――を差してそう申される。
「……と、言われますと?」
「アレだよ。たとえば友達同士では本名じゃなくてもあだ名とかで呼んだりするでしょ?たとえ試験中でも」
「…ええ、そうかもしれませんね」
友達なんていないからわからないが。
「じゃあ呼ばれる分に限っては偽名でも良いって事だよね」
「あ…」
「よし決めた。試験中、やむを得ずオレを呼ぶときは"ギタラクル"って呼ぶこと。様づけは無しだよ、アゲハ。敬語も。」
「わかりました」
…わかります。理由はわかるのですが…。
そのギタラクルという名前は一体どこから来たんですか、イルミ様…。
突っ込みたいがさすがに主相手には突っ込めない。オレはその疑問を心の奥底にしまう事にした。
どうせ訊いたところで「インスピレーション?」とか一言で返されるのがオチだ。
「じゃあアゲハ、試験中はそういうことでよろしく」
「は、お任せくださいませ。イル…〜〜〜ギタラクル」
「うん。イイコイイコ。」
ニヤリと笑ってオレの頭をなでるイルミ様…、もとい、針まみれの大男。
…だめだ。姿形、お名前、敬語…すべてに違和感がありすぎる。
これは本当に、イルミ様とは喋らないようにしたほうが良いのかもしれない…。
「あ、そうそう」
人混みに消えようとしていたイルミ様が、突然『大事な事忘れてた』とピンと人差し指を立てて振り返った。
「何でしょう?」
…と、そう訊いて返ってきた答えにオレは本日二度目の後悔をすることになるのだが。
―――――オレに拳を向けた分はあとでしっかりと「おしおき」するから。覚えといてね、アゲハ。
じゃねv
つづく
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すもも