「んん〜〜〜〜…どこだっけ…ここ」
ベッドに座り込み、寝ぼけ眼のままレヤードがぼやく。
目覚めた時に体に掛けられていたのは、いつもの使い慣れたボロ毛布ではなく、使い古しとはいえ自分の物から見ればずいぶんと上等な毛布。
場所だって、風の吹きつけるゴミの隙間なんかではなく、カーテンまで引かれた整然とした車内だ。
見慣れない物の数々をぼんやりと眺めながら、レヤードはパーカーの下の胸の傷に手をやった。かゆくて仕方がない。
寝ぼけた思考のまま思わず無意識に傷の上を掻いてしまって、走った痛みにびくりと肩を震わす。
「いっっ!?ひぃ…、ッたぁあ〜〜…。なに〜?もぉ―――…」
胸を押さえてしょんぼりと背中を丸めていると、「レヤード、起きた?」とクロロが後部座席のドアの無いドアから顔を覗かせた。
そのクロロの顔を見て、レヤードは何か閃いた顔でぴょこりと頭を上げる。
昨日の出来事をクロロの顔を見て全て思い出したらしい。
クロロの目には耳と尻尾がピンと立った黒犬の姿で映って、『やっぱり犬だな…』などという感想を抱いた。
「アハハ!そーそ、クロロんとこじゃ〜〜ん!そーだったァ、お前んとこのベッドだったぁ〜!」
「なに?昨日の今日でもう忘れたのか?朝メシ持ってきたよ。こっちで一緒に食べようか」
「うんー!食べるぅ〜〜♡」
「あはは!なんだよ、すごい寝癖だな」
「ん〜〜〜?」
バタバタと車内から表に出て、レヤードはまずグーッと身体を伸ばして起こす。
カーテンを引いた車内から明るい日差しの照る場所に出て来てクロロも
初めて気づいたが、風呂の後乾ききらない内にぐっすりと寝てしまったレヤードの髪は、いつも以上に変な癖がついてボサボサだった。
「少し整えてやるから先にこっちおいでよ」とクロロは運転席側に回って、荷物棚からブラシを取り出す。
「別にこんなん、オレ気にしないよォ〜〜?」
「そのままだとオレが笑っちゃうんだよ。せっかく見た目も良いんだから少しは気にしろって」
「アッハ!なにそれ〜!褒めてくれてんの〜〜?クロロ、きれいだからァ、お前に言われるとちょっとうれしーかもぉ〜〜!」
「……素直に褒め返されるとなんか照れるな」
適当に近くの粗大ゴミの上に胡坐をかいて座ったレヤードの髪をわさわさとブラシで梳かす。
しかし『少し水つけたぐらいじゃ直らないなこれ』とクロロは早々にそれを諦め、荷物棚を再度漁る。
「…なに―――?クロロぉ?…なーに♪なーぁにぃ〜〜♪」とレヤードが楽しそうに左右に体を躍らせながらクロロを待っていると、「あった」とすぐに戻って来た。
クロロが手にしていたのは、以前に『何かの役に立つか』と拾っておいたカラーヘアピン。
ジャラジャラと持ってきたその中から色が綺麗に残っているものを選んで、レヤードのハネた髪の、特に寝癖がひどい所を何箇所か留めた。
「あげるよ、それ」
「ん――?何ィ?なんなのぉ〜〜?」
「ほら」
とヒビ割れかけの手鏡を出してきて、ヘアピンを見せる。
レヤードはそれを見て、そして手で触って、「フヒッ!なにこれ〜〜!?似合ぅう―――?」とクロロに向かって子供っぽい笑顔を浮かべた。
「うん。案外ね」
「えー?『案外』ってぇ、それってさあ、褒めてるぅー??まぁいいけどさぁー。クロロがくれるって言うならぁ、じゃあー貰っとくねぇえ―――?ありがとー」
「どういたしまして。じゃあ一緒にメシにしようか、レヤード」
「イェ――ッ!しよーしよー!」
「……ねーぇ?クロロってさぁー、いつもこんな良いモン食ってんの〜〜?」
ぺろりとスプーンの先を口に入れながら、レヤードがそう零す。
地面に胡坐をかいたその脚の上にはオートミールの粥が入った皿と、座る横にはお湯に溶いた粉ミルクのカップがあった。
オートミールは塩のみの味付けではあるものの、悪所住まいのレヤードにとっては相当上等な食べ物だったらしい。
一口目で手が止まった。
「今朝は割と良い方だね。昨日あたりもしかしたら支援物資が届いたのかも」
「しえん…ぶっしぃ…?」
「ああ。いろんな思惑があって、いろんなところから時々いろんなものがゴミと一緒に流星街(ここ)に送られてくるんだ。
ルート的には非公式だったり非合法だったりするらしいけど、受け取る側のオレたちからすれば物資は物資だから」
「……へー……。クロロってぇ、ホント、なんでも知ってるんだねぇえ…。かっこいー…」
「そうかな?レヤードのところは遠いから恩恵もなくてわからないかもしれないけど、こっちの方じゃ普通の認識だよ。
…あ、そうだ。そうなるとたぶん薬なんかも来てると思うから、後で貰ってきてやるよ。胸の傷、痛いんだろ?」
さっき押さえてたよな?と先ほど寝床を覗き込んだ際に、胸を押さえてうずくまっていた事を思い出し、クロロはレヤードに尋ねる。
柔らかなその笑顔を前に、レヤードは「きれいだなぁ…」と思わず口に出した。
騙そうとしているわけでも、何か裏があるわけでもない、自然な笑み。心配して、自分を見てくれる目。
それと目を合わせると、なんとなく顔が熱いというか胸がドキドキするというか。
「え?」とクロロに聞き返されて、レヤードは慌てて「…だいじょぶ…」と小さく零して俯いた。
「…本当に大丈夫か?顔赤いぞ?熱があるんじゃないのか?」
「ふひゃッ!?ぃや!?あ!だっ、だ、だいじょーぶ!オレはなんにも…!大丈夫だからその…!お…っ、お、おいしーね、これ!?」
「そう?言ったってレヤード、昨日何も食べないで寝ちゃっただろ?お腹空いてるせいもあると思うけど」
「あっ!あ…、あ〜〜〜……言われてみればぁ、そうかもー」
「夕方に起こしても全然起きないし、動かないで寝てるから死んだのかと思って少し心配したんだよ?」
「フヒヒ、ごめ〜〜ん!死体みたいに見えたぁ〜〜??」
「……ああ、そっか。向こうではそういう風に寝ないと『カミヤリ』なんかに見つかっちゃうね」
「そーそー!でもォ、お前の作ったベッド、すごいね〜〜〜!昨日はぁ、なんにも食べてなかったけどォ〜?腹減ってたのとかぁー、どぉ―――でもいいぐらいぃー、気持ちよくってェエ!!
ホントはね?寝てたってなんかあったらすぐわかるんだけどォ…。ゼーンゼン、今日はさぁ!先にクロロが起きたのもわかんなかったしぃ―――!」
「そうなんだ?」
……と、クロロは笑顔で相づちを打つ。
しかしその実、夕方には一旦レヤードの腕の間から抜けさせてもらったし、その後もクロロは別の車の中で夜を過ごした。
それはそれで言うとうるさくなりそうなので言わずにおいておくが。
「ぐっすりだったのは良かったけど……、じゃあやっぱり向こうにベッド作るっていうのは危ないかもね」
「ほーんとォ!ベッドで寝てたらぁ、たぶん今日の朝にはオレ、死んでるぅ〜〜!アハハハ!!」
「笑い事じゃないだろそれ」
クスッと笑って、クロロもまた粥をがっつくレヤードに釣られるようにスプーンを口に運んだ。
「…そうだレヤード。それ食べたらさ、仲間を紹介するよ」
ミルクのカップを地面に置いて、今思いついたかのような口調でクロロが言う。
レヤードの反応次第では、『本当はもう近くに呼んでるんだけど』と呼び寄せるつもりでいた。
しかし、「えっ…、仲間ぁ……?」とレヤードが不審がった声を出したので、一旦とどまる。
「…ああ。前にも言ったろ?"外"に行くための仲間を探してるって」
「エ〜〜?……クロロ、まだ言ってんのォ?それぇ……」
「レヤード強いからさ。お前にもオレの仲間になって欲しいんだ」
「仲間……。ん――――……オレ"にも"って事はァ……、それってぇ…、たくさんいるの…?クロロの…トモダチぃ…?」
「……まあ、そう言うくくりにはなるのかな」
「そーお…?ん―――…」
今まで割合、"嫌"なら「嫌」とはっきりきっぱり言っていたレヤードが、歯切れ悪くいじいじと悩んでいる。
スプーンの先を口に突っ込んでプラプラしながら、考えるように手元の空の皿に視線を落として。
「……嫌…かな?」と改めて訊くと、レヤードは「んー…」と零して、クロロの顔色を伺うかのような姿勢で訊き返して来た。
「いや……じゃないけどォ……。クロロは、その……オレだけトモダチじゃ不満…?」
「えっ…?」
背を丸め、少々上目遣い気味にそう言ってくるレヤードに、クロロは「(ずいぶん独占欲の強い…)」などと自身の事を棚に上げて思う。
しかしすぐに『……ああ、お前を年齢相応に見ない方が良かったか』と、レヤードの幼稚な嫉妬心…というか、
たった1人棲んでいた悪所から初めて世界を外に広げて、そこで初めて出来た"トモダチ"の関心を惹きたい、自分だけ見て欲しいという幼児期特有の…というか。
小さな子供が持つべきような、まだ未成熟なそんな心理を分析する。
………いや、コイツの場合どちらかと言うと『大好きな飼い主の愛情を独占したい犬』の方がしっくりくるか。
そう思ったら、自身の膝あたりにかきかきと構って欲しそうにエア『お手』を繰り返す、つぶらな瞳の黒犬の姿が想像できてしまって、ついブッと吹き出してしまった。
「な、なんで笑うのぉ―――!?もお―――!!やっぱりなんでもなぃいー!!オレ、もう帰るう―――!!」
空になった皿とカップを地面に置いて、レヤードは顔を真っ赤にしながら怒ったように立ち上がる。
「ぷっくく…。ごっ、ごめん、レヤード。待てって」
「少しは隠そーとしてから呼び止めてくれるぅー!?」
「悪かったって。本当にもう帰る気か?」
と、先日とは反対に、今度はクロロがレヤードの腕を掴んで引き留めた。
腕に伝わるクロロの手の温かさをちらりと見やり、レヤードはまたもじもじと恥ずかしそうに俯いてしまった。
「……レヤード。なあ、もう少し一緒にいよう?」
「ん―――……、んー……。クロロのねぇ?そーゆー気持ちは、嬉しーんだけどぉ……。オレはァ…、やっぱぁ…、向こうのほーが生き方合ってると思うんだァ……。
なんかここ、人いっぱいいて落ち着かないしぃ…。オレ、ヒトミシリだからぁ…。仲間って…急に言われてもぉ……、その……困るんだよねぇ…。
クロロとはトモダチ、だからぁ……一緒にはいたい……けど、いっぱいの人はね、急には無理……。なんか…殺気ピリピリしてるしぃ…。
今ね、変に絡まれたらぁ…、オレ、殺すの我慢できる自信無い……。ケンカ売られたら、どーしてもオレ、買っちゃうしィ…。クロロの棲むとこでオレが暴れたら、やっぱメーワクでしょお?
……それにねぇー?『カミヤリ』がいなくなって、縄張りが消えたっしょ?他の奴らがそれ知ってぇ…、乗っ取りに来る前に良いトコは押さえとかないとォ〜、棲むとこ荒らされちゃうからあ。
だからオレ、もう行くねぇえ?」
目を合わせると迷うからか、俯いた顔を上げようとせずにレヤードはそのままフイッと背中を見せ、クロロの元から去ろうとする。
だがクロロは掴んだレヤードの腕を離そうとはしなかった。
「…ねー、クロロぉ……。離してよォ…」
「嫌だ。お前なら、あんな場所にこだわらなくても"外"に出ればもっといい生活ぐらいすぐにできるだろ。強いし、度胸は据わってるし、見た目だって悪くないし」
「……褒めてもダメだもん…。"外"はいっぱいルールがうるさいって…ハゲタカに聞いたことあるしィ…。そんなのめんどくさいからやだ……。
オレはあそこで、1人で好きなように生きてるほうが良ーいィ……」
「そんな寂しい事言うなよ。やろうと思えば、どこでだって好きなように生きられるさ。オレが全部教えてやるよ。だからレヤード。オレと一緒に来い」
「――――やだっ!!離せよ!」
力づくでビッと腕を引き、レヤードは一瞬だけクロロを振り向きながら、それでもクロロの元を走り去って行った。
「くっ……そ…」とクロロは振り払われたその手をぎゅうっと強く握り。
それから、地面に向かってチッと舌打ちを零した。
その背後に、周りの廃車の影に隠れていたシャルナークとフランクリン、フィンクスとフェイタンが姿を現す。
「なんだよクロロ、あれが『リーパー』ってヤツなのか?ちょっと図体がデケーだけのガキじゃねーか。拍子抜けだな」
「図体に関してはフィンクスが言えた義理ないね」
「はあ!?そりゃどーいう意味だよ!?フェイ!」
「うるせぇ、お前ら。お前らがそんなだから逃げられたんじゃねーのか」
「……ごめんクロロ。もしかしなくてもオレ達のせいだね」
騒がしい後ろの3人を指しながら、「見てたの、気付かれてたみたいだし」とシャルナークが悪びれも無い様子で肩をすくめる。
「…いや、オレの詰めが甘かった。長い間ずっと1人だったらしいからな…。せっかくオレに心を開いたとはいえ、急に大勢の中へと言われても警戒するのは当たり前の話だった」
朝食の調達の際に、先に仲間たちに「会わせたい奴がいる」とレヤードの事を話してしまったのが仇となったか。
レヤードの機嫌も良かったから、希望的観測で『イケるだろう』と思ったのが早まった判断だったのか。
…単純そうに見えても、やはり人の心というのはなかなか難しいものだな…。とクロロは小さく息をつき、垂れていた頭を勢い良く上げる。
そんなクロロの背中に、「一度囲んで伸しちまえばどーよ?」とフィンクスが軽い感じで提案して来た。
…が、「いや、それ余計に反発する奴じゃん?」とクロロよりも先に隣のシャルナークが笑いながらその提案を一蹴する。
「その通りね。そんなことでお互いのチカラ認め合て手を組む…なんてする奴は、ウボォーギンとフィンクスみたいな体育会系の単細胞だけね」
「なんだとコラ!さっきからお前、ケンカ売ってんのかフェイ!」
「まーまー。そこケンカしてどーするのさ」
などとフィンクスとシャルナークとフェイタンがやり取りしている中――――
「なら素直に謝って、もう一度じっくり手懐けて来いよ。仲間に、なんてのも急ぐ話でもねーだろ?」
フランクリンがそう言ってクロロの前に立った。
「……いいのか?時間かかるぞ?たぶん」
「つったってお前、そんなことで諦める奴でもねぇだろうが。……どうしても欲しいんだろ?あいつが」
見透かしたようにニヤリと笑ったフランクリンに、クロロもまたフッと笑みを見せ「まあね」とそれに応えた。
翌日―――クロロは長老たちのところへ忍び込んで、そこにあった貯蔵物資の中から12枚入りのクッキー箱を盗み出した。
『一緒に食べよ〜?』と初めてレヤードから言ってくれたもの。
それを誰にもバレないように懐に忍ばせて、早々に悪所へと向かう。
しかしその途中、まだ悪所よりは中央にほど近いゴミ溜めの中で、たき火を囲む2羽のハゲタカに遭ってクロロはふと足を止める。
ハゲタカたちの周りには、4人ほどの小さな子供の姿。
先日に『カミヤリ』の巣穴で見た少年少女たちだった。
「おお、小僧。また会ったの」
「…なんだ、爺さんたちボランティアでも始めたのか?」
「ひひ…、まさか。『カミヤリ』のねぐらを解体した後、勝手についてきたのだ」
「勝手に、ねぇ…」
とクロロはハゲタカたちのそばに遠慮がちに座り込んで、お湯に溶いた粉ミルクに浸した乾パンを、マグカップとスプーンで一生懸命に頬張っている少年少女たちを見る。
その中には、あの時レヤードの鉄棒を抱えていた黒髪の少年の姿もあった。
…乾パンはまだしも、粉ミルクはさすがに彼らだけで手に入れられるような物じゃないだろ?とクロロは、シレーッと目をそらす老人の横顔に視線を刺す。
「一体どういう風の吹き回しなんだ?ちょっと前のお前たちなら、無慈悲な顔で「奴隷として躾けて高く売る」とでも言いそうだけど…。そんな感じじゃなさそうだな?」
「うむ…。まあそれも一つの手段だの。……だが、あの時おぬしにあの話をして、昔を思い出したらしくてな、こやつ。ひひひ。
『カミヤリ』の巣穴で見つけたこの幼い子供らを、今度はわしらで育ててみるのはどうかとか言い出しおって。うひひひひ」
「うるっさいのお〜〜〜!なんで喋ってしまうのだ!」
目をそらした方の老人―――、あの時に主に話をしてくれたナイフ持ちの方の老人が、慌ててもう1人の手を払う。
爺さんのツンデレとかどこに需要があるっていうんだよ、とクロロはぷっと老人たちのそんなやり取りを笑う。
「なるほどな。ハハ、まあいいんじゃないか?お前たちの事を微塵も覚えていないあいつの尻を追いかけているより、そっちの方がずっと健全だと思うよ」
「………なんじゃい、おぬし気付いておったのか?」
「ひひひ。まさかあれだけの話でそんな事にまで気付くとはの。おぬしよほど頭の良い小僧だの」
そう言われるが、もちろんハゲタカたちの話だけで気付いたわけではない。レヤードから追加で聞いたあの首の傷痕の話で得た推論から少々カマをかけてみたに過ぎない。
ハゲタカたちの返答で推論は確信に変わったが、とはいえレヤードのことは言う必要ないかと伏せて「なんとなく…だったけどね、」とクロロは続ける。
「でも今のやり取りで確信が持てたよ。
老人1人を血だるまに嬲って首まで念入りに落としていくような奴が、連れていた子供をちょっと切り裂いた程度で五体満足のまま見逃すとは思えない。『リーパー』の立場に立って考えれば、オレだったら子供の方から切り刻んで老人の絶望する顔を楽しむよ。
…そうやって先に嬲られたレヤードの本当に危ない傷だけ、『カラス』が最期に治しておいたと考えるのが妥当だろう。
『リーパー』の襲撃以降にあいつが爺さんたちの手にも負えない獣にまで変化したのは、おそらくその治癒の代償にお前たちと過ごした間の記憶を失ったから……。
拒絶されたんだろ?怪我から目覚めたあいつに」
記憶を失い、目覚めて初めて見たであろう老人たちの姿にあの狂犬が一番にどんな反応をしたのかなど、クロロにだって想像するのはそう難しいことではない。
そしてその時この老人たちがしたであろう行動も。
受けたであろうショックさえも。
「認めたくなかったんだよな?だからお前たちはあいつのそばを離れられなかった」
そう言うと老人たちはそれきり黙りこくって―――それからぽつりぽつりと静かに語り出した。
「…そう…だの…。"あやつ"の能力による代償は絶対だ。今まで誰1人とて、一度失った物を取り戻すことは無かった……。縋り付いたところであの日々が戻るわけでも無し。頭では分かっていたんだがの…」
「だが、かといってすぐに割り切れるほどわしらだって人間を捨ててはおらんかった。死んだ"あやつ"の最後の生きた証があの小僧だったのだ…」
「3羽いたはずの『カラス』の事も忘れ…、小僧はわしらの元を離れてあの場所に1人棲みついたが……、あの時はまだ幼く、本当の意味であの小僧を独りにはできんかった…。
……いや、それは言い訳だな。あの小僧とわしらを繋いでいたものは、"あやつ"が死んだあの時にぷつりと切れてしまっていたというのに。
それ以前ですら、"あやつ"の存在があってこそわしらとはうまく繋がっていた"紲(きずな)"だった。
"あやつ"が死に、小僧ももうわしらと過ごした日々の事は何一つとて覚えていない……。
それでもわしらがあの小僧のそばを離れられなかったのは、まだどこかであの小僧とは繋がっていると……"あやつ"の繋いだものは切れてなどおらぬと……、ただ信じていたかったからかもしれぬ」
しんみりと零した2人の老人。
しかし次には存外に晴れやかな表情で、クロロの瞳を見上げて来た。
「……ひひ。だがの。あの小僧とていつまでも幼い子供のままではない。おぬしに話したことで、少しわしらも気持ちに整理がついたのだ」
「ひひ…。そうだの。いつまでも未練がましくくっついていたところで仕方無し。肝心かなめのあの小僧にとっては、わしらは自身の縄張りに住み着いた顔見知り程度のただのジジイでしかないのだ。
幼かったあの小僧も今や育ちに育って、もう15…。そこへもっておぬしという者までもが小僧の前へと現れた。
わしらのあの小僧に対する役目はもう終わったのだと……あの小僧はわしらの元を『巣立った』のだと、そう思うことにしたのよ」
「そうだの…。生きている限り、どうしたって別れはついて回る。あの時に切れておらずとも、遅かれ早かれ小僧とは関係の終わりが来ていた。わしらの死という、避けられぬ別れがな。
その時にあの小僧がどんな顔を晒すか見てみたかった気持ちもあるが……まあ、あの小僧が泣くことはまずなかろ。それどころか最期があの小僧の手で、というのもまた有り得なくはないしの。
小僧の方はわしらを手にかけたとてなんとも思わんかもしれんが、さすがにわしらの方はそうはいかんでな…。
あの小僧が今まで処理してきた他の"ゴミ"と同じように無残な扱いを最期に受けるくらいならば、まだ足腰がしっかりしとる今の内に、きっぱりすっぱりと切れてしまう方をわしらは選ぶぞ?ひひ」
「……というかもうとっくに切れておるしの。何度も言うように"あやつ"の能力による代償は絶対。この制約は誰にも曲げられぬ。
昨日のあの一投が、わしらから小僧への最後の贈り物だな。ひひひ」
「ひひひ。そりゃあ良い。最後の最後で良い物をやれたの。ひひひひ」
楽しげに笑ったハゲタカたち。
それに釣られ、クロロもまたふっと少しだけ笑みを零した。
「なるほどね…。だからあいつの代わりに今度はその子たちを…、って事なのか?」
ハゲタカたちの後ろの4人の少年少女たちを指してクロロは言う。
巣立ったあいつの代わりに、今度はその子供たちで寂しさを埋めようと思ったのか?と。少々意地悪な目つきで。
老人たちは一度だけ互いに顔を見合わせ、そして再びクロロへと向き直り、ニヤリと口元を吊り上げた。
「…ひひ。まあ気持ちとしてはそれもどこかにあるのだろう。わしらにもよくわからんよ。こんなことをしてあの日々が戻ってくるわけでもない事は重々承知しておるのだがな?」
「ふひひ…。まあそれでもせめて、あの小僧と過ごした楽しかったあの日々をこの子らと共に懐かしむぐらいは……したところでバチは当たるまいて。
この子らが無事に自力で巣立てるぐらいまで…。そのぐらいの時間ならば、わしらにもまだ残されているだろう?」
「手始めにまずはもう少し中央の方に移るつもりだ。そっちの方がこの人数でもマシな食い物にありつける率は上がりそうだしの。
そもそもこんな小さな子供連れで『リーパー』の縄張りなんぞにはおれん。……わしらはもう同じ轍は踏まんのだ」
子供らの1人を撫でながら言う老人を見て、クロロは目を閉じ「そうか…」と呟く。
"同じ轍は踏まん"という、老人たちの言っているその言葉の意味もクロロには解る。
「確かに…。その方が良いかもしれないな」と続けた。
「……でも、そうなるとあいつはあの場所で本当に独りになってしまうな。………オレが連れて行ってもいいか?」
「…ひひひひ。なにを今さら…。好きにせい。わしらはこの通り忙しいのでな。小僧共は小僧共で仲良くやればよかろ。そもそもわしらの許可など元来からいらぬもののはずだ。
今やわしらなんかよりも、おぬしの方があの小僧とは太い繋がりを持っておるだろ。あの、誰にも懐かなかった狂犬の首に首輪をつけ、立派な引綱までもそれに繋いだのは、他でもないおぬしなのだ。
昨日はどうやらそのまま脱走したようだがの。地面に引きずった引綱を、再び拾い上げるかどうかはおぬし次第」
「ひひひ。そうだ。手を焼くぞぉ?なにせ"しつけ"の一つもされておらんからの。せいぜい噛みつかれぬようにすることだ」
「ふふ…、まあそれは承知の上だよ」
綺麗に笑うと、今度はハゲタカたちが意表を突かれたようにキョトンと呆けた顔を見せる。
「……初めて遭うたときから思っとったが、おぬし本当に物好きだの。まあ、でなければ悪所になんぞへは好き好んで向かう道理も無しか」
「まあね。じゃあオレは行くよ。爺さんたちも元気で―――あ。そうだ」
思い出したように人差し指を立て、クロロは懐からごそごそと何かを取り出す。
「なんじゃい?」
「―――餞別。やるよ。ちょうど6で割り切れる数だし」
そう言ってクロロは、持っていたクッキーの箱を老人の手元に投げて寄越した。
12枚入りのクッキーならば、6どころか子供たちの人数だけでもきれいに割れるが、さすがに分け方にまでは関知する気もない。
それはそっちで適当に判断してくれ、と思う。
「……いいのか?あの小僧にやるために持ってきたのだろ?」
「なんとかなるさ。いや、そんなものに頼らなくてもなんとかしないとな」
「ふひひ…。なーに、そう心配せんでも上手くいくわい。なにやらあの小僧、昨日は独りでずいぶんといじけておったからの」
「……えっ?『いじけてた』?」
思いもかけないハゲタカからの助言に、思わず声が裏返る。
"信じられない"と言いたげなクロロの顔を見たハゲタカたちが「ひひひ、その顔。気持ちはわかるぞ?」と揃って同調する。
「まあしかし事実だしの。ひひひ。長年一緒におるわしらですら、あの小僧のあんな凹んだ様は初めて見たわ」
「そうだの。ひひひひ。…おぬし、あの小僧を連れて行くのは構わぬが、あまり虐めてはくれるなよ?」
「はははっ。……そっか。善処するよ」
良い情報をありがとう、と笑顔で伝えると2人の老人たちもいつもの卑しい笑いを浮かべて頷いた。
「…ではの、黒髪の小僧。また中央の方で遭うかもしれんが」
「クッキーはありがたく戴いておくぞ。後でこの子らと分け……そうだ。ほれ、お前たちも礼を言え。貰い物の後は必ず礼を言わんといかんのだ」
老人2人にそう促され、4人の少年少女たちからそれぞれ「…ありがと、お兄ちゃん」と、小さな声で恐る恐るといった風にお礼の言葉を貰う。
そんな子供たちの姿を見てクロロは『そういえばあいつもそういうところは案外ちゃんとしていたな』と嬉しそうに飴玉を口にしたレヤードの顔を思い出した。
ふとハゲタカたちを見やれば、おもはゆげに目をそらされたので、ああ…もしかして『3羽目』がそういう教育をしていたのかな?と笑った。
たとえ、3羽いたカラスたちの記憶が失くなったとしても、彼らの教えたことはあいつの中で確実に糧になって生きているということだ。
ぷっつりと切れたようでいて、それでも極細の見えない糸で繋がってはいる。
『……ま、今さらわざわざ教えてやる義理もないけど』
と、こちらに向かって手を振る4人の少年少女たちとその後ろに立つ2人の老人に、「じゃあまた、」とクロロも軽く手を振り返して。
それからクロロは手ぶらのままレヤードの縄張りへ向け、再び歩き出した。
レヤードがあれからどれだけ『カミヤリ』の縄張りを削り取ったのかは分からない。
もしかしたら移動してしまっているかもしれないがとりあえず…、とクロロはレヤードとよく遭った、いつもの道を辿る。
すると案外わりとすぐに、「フヒヒ!人間み〜〜っけ!」と聞き馴染みのある声の大きな人影に襲いかかられた。
手に持った鉄パイプを上段に振りかぶりながら飛びかかって来たレヤード。
だが途中に、振り向いた相手がクロロだという事に気付いたのか「あぶはっ!?」とか妙な声を上げた。
慌てて、振り下ろした鉄パイプの軌道を変えるが飛びかかっていた身体の方はどうにもできず、勢い余ってクロロに体当たり。
そのまま地面に押し倒してしまった。
カラン、と鉄パイプが地面に転がり、音を立てる。
「……んん゛――――…。もぉ〜〜〜〜、クロロじゃん〜〜。なんか声出してくんないとォ、危ないよぉ―――?」
クロロの上からむっくりと身を起こし、レヤードがそんな文句を零す。
「いじけていたぞ?」なんてハゲタカたちは言っていたが、いつもと変わった様子はないけどな…、とクロロは昨日と同じスウェットパンツにフード付きのパーカー姿のレヤードを見る。
ただ一つ昨日と違うところを言えば、ボサボサの寝癖頭を留めてやったカラーヘアピンが1本もその髪についていない事。
『オレに対する当てつけか?分かりやすい奴だな』などと思う。
「……お前、何笑ってんのぉー?今さぁクロロ、1歩間違ったら死ぬとこだったんだよォ―――?わかってるぅー?」
「…ごめんごめん。レヤードならすぐに気付いてくれるかなって、思ったんだけど」
手を差し伸べられたので、クロロは素直にレヤードのその手を取って体を起こす。
「まあー…。その…、別に……。お前の事だったらァ、オレ、わかるけどさぁー??
……あ!それでさぁクロロぉ!今日もォ!もしかしてさぁー!?なんか持って来てくれたの〜〜〜?」
「それもごめん。今日は何もなくて」
「え―――……」
レヤードががっかりと肩を落とすと同時に、ぐぅーとレヤードの腹の虫が自己主張してきて、クロロはキョトンと目を張る。
「…お腹空いてたんだ?」
「ん゛んぅ――――……。なんかぁ…、『カミヤリ』が居なくなって、……なんとなく、なんだけどぉ…。獲物が減ったみたい感じするんだよねぇえ〜〜。
今日はぁ、ハゲタカたちも全然見当たんないしぃ…。今日ねぇ?遭えた人間、クロロだけなんだよぉ……」
グゥーと再び鳴き声を上げる腹を押さえ、しょんぼりとレヤードが肩を落とす。
「…まあでも、それは仕方ない事なんじゃないか?『カミヤリ』のグループが解体されたしね。あの人数で食べていくとなると、たとえ悪所と言えど行き交う食糧の量も段違いだったろうから…。
それが解体されたら、そりゃ手に入る食糧は減るだろうね。これからも減ってくと思うよ?」
「ええ〜〜〜!?なにそれぇ!どおしよう〜〜!?ねー、どーしたらいいかなぁ、クロロぉ!」
「いや、どうしたらいいかってそんなの――――」
オレに訊かれても、と言いかけてふとクロロは何かを思い立つ。
ちらりとレヤードを盗み見れば、その美しい翠緑瞳に期待するようにじいっと見返され、…なんだこれ、これが誘い受けってやつかな?とクロロはくすっと笑みを零した。
「……オレに言われても、昨日と同じで答えは一つしか出せないよ?」と笑顔で言うと、「ええ〜〜!それもやだぁ―――」と返される。グループへの仲間入りはやはり嫌らしい。
わざとらしく「じゃあどうしようか?」とさらに首をかしげると、レヤードは「うう〜〜」と子供のように地団駄を始めた。
面白いなこいつ。とますます可笑しくて、クロロは歪みそうになる口元を手で隠す。
そのまま黙って見ていたら、レヤードはそのうちにもじもじと俯き、でかい図体のまま上目遣いにボソボソと何か言い始めた。
「クロロ……。クロロさぁ…。その……ふたりじゃだめ…?みんな、じゃなくてぇ…、クロロが…オレと2人でって言ってくれたら、オレ、ついていくよぉ……。だからもう1回誘ってよォ…」
「…っえ?ごめん最後全然聞こえなかったんだけど」
「……っっ、もー!なんでもなぃい――――!!」
真っ赤に照れて、レヤードは後ろを向く。
クロロが「おい、レヤード」と声をかけると、聞こえないふりをするためか、ごそごそとパーカーのフードを目深にかぶってしまった。
クロロはそんなレヤードを少し笑って、その丸まった広い背中を抱くようにレヤードの真横へと並んだ。
「レヤードってば。悪かったって。いじけるなよ」
「いじけてなんかないしぃ……やっぱりオレ、もうずっと1人で良い……」
「そう言うなって。オレはお前と一緒にいたいよ、レヤード」
欲しそうな言葉を選んでそう言ってやると、レヤードの翠緑が少しだけクロロの方を向いた。
「……オレと2人でなら、レヤードはついて来てくれるのか?」
「……うん。それならぁ、考えてあげてもいー……」
「はは。そうか。ならオレとお前と、2人で良いよ」
「えっ!?ほんとぉ〜〜〜!?」
「ああ。ここでなんて食べられないような美味い物を2人で食べて、気に入らない奴は2人で適当に蹴散らしてさ。もっとふかふかの広いベッドで、また一緒に寝ようか。
飽きたらまたここに帰って来るのもいいし」
「フヒヒ…、それはねぇ、夢みたいな良い生活だねぇえ〜〜…」
「…っふ、…そうだな。オレとお前でならきっとなんでも出来るよ。なにもかも好きなように。どこへだってきっと行けるさ。
……だからレヤード、オレと一緒に行こう。どこまでも。これからはオレが『飼い主』としてお前の面倒を見てやるよ。…どうかな?野良犬くん?」
「わんわん!……アハハ!いーね!じゃあ行く〜!だったらァ、ついてくぅ〜〜〜っ!!」
「―――痛って!?」
差し出した手のひらに、バチーン!!と大きな音がするくらいに思いっきり強くタッチされ、クロロが痛がって手を振る。
レヤードはそれから、諸手を挙げて「ヒャッホー!」と大きく前方にジャンプした。
そのはしゃぎように、クロロは『ま、今はこれで仕方ないか』と軽くため息を零す。
いずれは仲間たちに会わせるとしても、今はまだ、1歩ずつお前に合わせて歩いてやるよ。と多少時間がかかりそうなことも覚悟する。
………結局そのあとこの『飼い主ごっこ』から抜け出すまで3年近くかかることになるなどと、その時はさすがに思ってもいなかったが。
「……そういえばさ、レヤード。お前、オレがあげたヘアピンはどうしたんだ?」
落とした鉄パイプを上機嫌に拾い上げるレヤードの背中に、そう問いかけながら歩み寄る。
少しの意地悪のつもりで訊いたのだが、レヤードは特段気にする様子もなく「あー、」と零して、ポケットからゴソゴソとヘアピンを取り出して見せて来た。
「寝るときにぃ…、なんか痛いから外したらァ、着けれなくなっちゃったの〜〜〜!着け方わかんないからぁ、クロロ、もっかい着けてよォー」
「……っぷ、はは。なんだ、そうだったのか。わかったわかった。着けてやるよ」
レヤードの手のひらからチャラチャラとカラーヘアピンを受け取り、首を垂れるレヤードの寝癖頭を、昨日と同じように何箇所か留めてやった。
―――今は"これ"が、オレのものである証の"首輪"代わりかな。と、勝手な事を思いながら、クロロは満足気にフッと笑みを零して目を閉じる。
「……で、それからは2人で"外"まで散歩に出かけて、可愛かった子犬ちゃんはそこで血と殺しに味を占めてな。もともと素養はあったとはいえ、今やこんな立派な殺人趣味の凶犬に育ったというわけだ」
「……ちょっと待ってよ団長。今の話のどこに可愛い子犬がいたわけ?」
「いるだろ、ここに」
と…、そう言ってクロロはカフェレストランの一席でテーブルに突っ伏して隣で寝ているレヤードのその頭をぐりぐりと撫でた。
それと共にシャルナークもまた『このデカい図体のどこを見て団長は可愛いなんて言ってるんだろ?』とテーブルの半分ほどを図々しく占領しているレヤードの大きな体をちらりと見る。
―――レヤードの周りには、すでに空になった平皿が5枚ほど重ねられていた。
「全部いっぺんに持ってきてェ!」と頼んだピザ2枚とパスタをぺろりと平らげ、さらにはカフェ特製のブランデーケーキとアイスクリームのセットまでも2皿綺麗にいただいて満足したのか、レヤードはクロロとシャルナークがコーヒー片手に仕事の話をしている間に寝てしまった。
時折、小柄な女性店員が皿を下げたそうにこちらを見てくるが、寝ているレヤードに気を使ってなのか、ゴツい軍用ブーツも含め190p近くあるその大きな体が怖いのか、なかなか近寄っては来ない。
通路側の席にそんな風に陣取られてはクロロも思うように身動きが取れず、仕事の話も終わった後は『いい機会だ』とばかりに昔語りをシャルナークに話して聞かせ、レヤードが起きるまで時間を潰していたというわけだ。
赤いロングパーカーのフードに埋もれかけたレヤードのハネた黒髪には、あの時とは品物こそ違うものの、あの頃と同じように様々な色合いのカラーヘアピンが着けられていた。
そしてレヤードの右頬には、あの頃にはまだなかった4ナンバーの蜘蛛のイレズミ。
あの時のような勝手な自己満足で終わらない、レヤードの了承を得て入れさせた確かな"証"。手の甲でそっとそれに触れ、クロロは再び満足そうに笑みを零す。
「あとはお前も知っての通り、悪所にも長老たちの手が入って、ある程度は他の地域と大差ない場所になったわけだ。オレ達が外へ出た直後の話だから、結構間一髪だったんだぞ?」
「ふーん。じゃあその『ハゲタカ』たちも上手い事その前に逃げ切れたってわけか」
「みたいだな。運が良ければたまに"ホーム"で見かけるよ。そのたび、レヤードがふざけて追いかけ回してる」
「あはは、なにそれ、迷惑過ぎるでしょw」
「いや、それが案外向こうもまんざらではなさそうなんだ。捕まえると飴やキャラメルをくれるらしいし。
子供たちの修行にもなるから良いんだとも前に話していたな。今は子供たちに念を教えているみたいだぞ?素質があるのとないのがいて苦労しているとか…」
「へえー。今でも交流あるんだ?」
「たまに話すぐらいだけどな。……いくら幼少期の記憶を失くしたからって、その後も10年近くそばには居たんだ。親代わり…と言うほどでもないかもしれんが、コイツの馴染みの存在であるのは間違いないだろ」
「ああ…、会わせてあげてるってわけ?」
「そうなるのかな」
ふっと穏やかな笑みを零し、クロロは冷めかけのコーヒーを口にする。
「…っていうかさ、レヤードはそれ、知ってんの?」
記憶失くなってるって事、とシャルナークがレヤードの頭を指差しながら訊くと、クロロはそうだなと頷いた。
「一応全部話したことはあるぞ?とはいえあまり過ぎた事を気にする性質でもないしな。『そんなん言われてもぉ…。別にそれ、今さらどーでも良くなぁーいぃ〜〜?』というスタンスだ」
「あははは!言いそうー。ていうか団長、レヤードのモノマネ上手いよね」
「特徴あるからな、コイツ」
「んん゛〜〜〜〜もぉ〜〜…。さっきからなんなの〜〜…?寝れないしぃ…、やめてくれますぅ――――?」
クロロが再びレヤードの黒髪にその手をうずめると、レヤードもさすがに目を覚まして、むっくりとその体を起こした。
とはいえ、どうやら話し声がうるさくてしばらく前から目覚めていたようだが。
自身の名前が飛び交っているので聞き耳を立ててみれば、恥ずかしい昔語りなものだから、寝たふりをしていたらしい。
面白くなさそうにレヤードはじーっとジト目でクロロを見てきた。
「…ってかー、団長はさぁ、何をシャルさんにペラペラと話してんのぉー?昔の話とかめっちゃ恥ずかしーんですけどォ、オレ〜〜」
「そうか?そんなに恥ずかしがるほど今と大して変わってないだろ?というかどこから起きてたんだ、お前」
「最後団長がオレの事迎えに来てくれたところだけどォ……。その前からもちょこちょこ寝たり起きたりしてたよおー…?
あ!てゆーかさぁ!シャルさんちょっと聞いてくれますぅー!?団長さあ、オレの事お菓子で釣れるチョロい奴みたいに言ってたけどさぁあー!そーいう団長はさぁ、街で女遊びとか覚えちゃってぇ!
オレ呼び出されるたびにそーゆー女の子の後処理させられたりとかしてさ―――!自分の事ばっかりカッコ良く言ってるの、これどー思うシャルさん!?横暴じゃないー!?」
「知らないよww てか起きたら起きたでホントうるさいんだけど。しかもそれ、別にレヤードだって嫌じゃなかったんだろ?WIN-WINじゃん」
前に古城で話してくれたやつでしょ?とシャルナークはクロロに確認する。
「うぃ…、ええ〜〜〜…?」と"WIN-WIN"の意味が解らずきょろきょろとシャルナークとクロロを交互に見るレヤードを無視し、「ああ、そうだ」とクロロはシャルナークに頷いてみせた。
「その時はオレも"こいつは女を殺るのが好きなんだ"と多少の誤解があったんだ。タイミングが良いのか悪いのか、会うたびに女ばかりを殺っているところだったから。
…というかお前、殺れるなら女でも男でもなんでも良いって言ってなかったか?それがオレの女ばかりになったところでシャルの言う通りWIN-WINだったのは間違いないと思うが」
「いやだからその"ういんういん"がワカンネってゆー話をさぁ…、う〜〜〜……。そりゃーさぁ??別にオレだって好きだから女の子殺るのは、まぁそこはいーよ?
けどさー、団長それで一時期ぜーんぜんオレに構ってくれなくなっちゃったじゃん!?」
「…今は十分構ってやってるから良いだろ」
「全然十分じゃないィ!足りなぃい―――!オレはさあ!いつだって団長と一緒にいたいの!!お前の事大好きなの―――!
なのに団長はさぁ、仕事終わったら、いっつもすぐお宝持ってどっか行っちゃうしィ!!お宝だけじゃなくってェ、もーちょっとオレの事も大事にしてよォ―――!!」
「おっと」
大きめの声でそう叫んで、レヤードがガバッと横のクロロに抱きつく。
カフェ内のどこかから、客なのか店員なのか、女の黄色くさざめく声が聞こえた気がした。
……うんうん。男3人、女の子をヤるとかヤらないとか、ヤれるなら女でも男でもとか、たしかに結構誤解を招く発言が続いてたね、と蚊帳の外でシャルナークが『わかるわかる』とばかりにその声に頷く。
「ていうかレヤード、声デカい。酔っぱらってる?もしかして」
ブランデーそんな強くないと思うんだけど、と自身の前にあるレヤードが食べたのと同じ特製ケーキを口にしながらシャルナークが呆れた風に肩をすくめる。
「オレはさぁ…?ずーっと、昔からずっと、クロロの事が一番好きだよ〜…?だからお前の言う事だってちゃんと聞いてるのにさぁ…。
お前はオレの事なんとも思ってないっしょ、ホントはさぁ!絶対オレの事、便利な道具か愉快なおもちゃかなんかだと思ってるぅ…。結局なんだかんだ上手い事言いくるめられて利用されてただけなんだァ〜…」
「そんなことないぞ?例え最初はそのつもりだったとしてもな。お前を飼い始めてから、一度だってお前の事を道具だなんて思ったことは無い。
お前がいたからやれた事もあるし、お前でなければ出来ない事もあった。お前はオレの自慢の飼い犬だよ、レヤード。ずっと頼りにしてる」
「…犬ぅう……。犬やだァ〜〜〜!犬じゃなくてェ…、そーじゃなくて、もっとちゃんとオレを見てよォー!?もっとさぁ!対等に見てください……。犬なら犬で、たくさん優しくして欲しいしィ…。もっとオレに構ってよクロロ〜……」
「フフ、対等が良いのか結局犬なのか、何を言っているかわからないぞ?そんなに言うなら今日はずっと一緒にいてやるから、少し落ち着け」
「やだあー…、今日だけじゃなくてぇ、毎日一緒にいてよぉ〜〜〜…」
ぐりぐりと頭を撫でて欲しそうに擦り付けて来るその大きな黒犬を「わかったわかった」と望みどおりに撫でてやりながら――――「……今日はなんか面倒臭くないかコイツ?」とクロロはシャルナークに向かって真顔で呟く。
「オレに同意を求めないでよ。レヤードっていつも大体めんどくさいイメージしかないんだけど」
普段放し飼いなんだから変なものでも拾い食いしたんじゃないの?などという皮肉めいた返答を、ケーキを口にしながら投げやり気味に返してくるシャルナークに、「ああ……、なるほど。」と冗談か本気かクロロも頷いたのだった。
おわり
←PREV(前話へ)
おもちゃは否定しない団長…
変なもの→駄犬2参照…(爆)
すもも