シュアッと小気味良い音を立てて、エア・トレックが壁を走る。
季節にしては少し暖かい風が、幾筋もの束になって僕の横を気持ちよく通り抜けて。
「…あはっ!凄いや、エア・トレック!」
まるで僕自身が"風"になったみたい。
滑れてくるとエア・トレックもすごく楽しいです!
『…ほー、オレが寝てる間にずいぶん滑れるよーになったじゃねーか?ゼロ』
野山野家のアパートから近くの公園までの道を、練習がてらトリックをキメつつ走っていた。
すると、それを僕の中で見てたのか久しぶりにジャズが声をかけてくる。
…ジャズ、最近どうしたのか寝てばっかりだったけど…。
でもジャズに「上手くなった」って言われたら僕、ちょっと嬉しいです。
「あのね!だんだん分かってきたんですよ!このエア・トレックも『体の一部』なんだって考えてさ、念…っていうか、「周」を応用してみたら意外と合ってて!」
『ふーん』
「"ふーん"じゃないですよ!すんごいんですよ!オーラで覆うと耐久力がものすごく上がって、結構無茶な力のかけ方とか無理な回転かけても壊れないんです!」
『…ってか壊す気満々かよ。壊すなよ。高けーんだろ?それ』
「大丈夫大丈夫!壊れないから!!…それにね、オーラで覆うとホイールの消耗とかも少ないし、カスタム無しでもスピード出るし、練習には最適なんです!」
『へー』
「"へー"じゃないですってば!大発見なんですよ僕的には!」
ひどい!何でそんなに無関心!?つまんないなあ、もう!
ガシュッとスライドでブレーキをかけて僕はその場で立ち止まった。
『つーかそれってオレらハンターにとっちゃ全然基本の事だろ?念ってのはもともと物質の本来持つ働きや動きを強力にするもんなんだから…、コイツにとっちゃいわば高性能のガソリンエンジン積むようなもんだ。
何もしなくても念使ってれば壊れにくくなるし、スピードは勝手に出んだよ。あとはどう技術を磨いてうまーく走るかってことだろ?トリックの良し悪しは念じゃどうにもならねー部分だし』
「うっ…;」
『…お前、前言ってた壁のぼりとか回転とかは?できるようになったのか?ん?』
「か、壁のぼりはできるようになりましたよ!?回転ジャンプも後ろ滑りも!」
そりゃまあリンゴちゃんとかシラウメちゃんの上手さにはまだ全然及びませんけど…。僕だってこれからしっかりやりこんでいくつもりだし…。
『じゃあエア系のトリックは?大ジャンプとか』
「ううっ…; ジャ、ジャンプはどうも初めてのときのトラウマが…………っていうか、なんでキミそんなに詳しいの…」
『…はぁ!?そりゃ…、お前がいつもそういう本読んでるからだろ!』
「…うー…」
………なんか怪しいですね…。
『…なんだよ。だったらお次は大ジャンプ行くか?大ジャンプ』
「えっ!?や、やですよ!」
『ほれ、ちょうどおあつらえ向きにカーブあるし、あそこから飛んでみろよ。ほら』
と、ジャズがそう言うと同時に、足が勝手に強く地面を蹴った。
エア・トレックは一気に加速して、ガードレールに向かって勢いよく突っ込んでいく。
「えっ…、えっ!?っちょ、ジャズ!?何でキミが仕切って、っていうか僕まだ心の準備が…ひぎゃあああ」
『ぶはははは!なんだよゼロ、そのへっぴり腰は!もっと腰入れろ腰!』
ケラケラ笑うジャズの声が頭に響く中、僕の体はたやすくガードレールの向こうの広い空の中へと飛び出してしまう。
『うおー!サイコー!』
「何言ってんですかー!着地しなきゃなんない僕の身にもなってください〜!」
『んなもんエア・トレック履いてると思うから難しくみえんだよ!フツーにジャンプしたと思ってよー』
「言うだけの人は黙っててぇ!!;」
着地の方法くらい知ってますけど怖いものはやっぱり怖いんです!!
手をパタパタさせてあわあわしていると――――突然、誰かの手がそっと僕の手に触れた。
「大丈夫?」
「えっ?」
視線を移せば、僕の手を取ったのはセーラー服のようなミニスカワンピースを着て、大きめの帽子をかぶった髪の長い女の子。
女の子はまるでダンスパートナーを探すかのように僕の体に手を回し、背中から腰、足までをするりとその手で撫でていく。
「わはぁ!?なんですかあなたいきなり!?ドコを触ってるんですかーっ!?」
「あン、待って、そんなに体をカタくしちゃ駄目。ヘンなところに力が入るから上手くトベないのよ。怖がらないで?」
「ええ…?」
「この空はあなたのことを拒んでないわ。あなたも恐れずにその身をゆだねて…、ね?」
「う、うん…」
「良しv」
僕が返事をすると女の子はにこっと笑ってもう一度僕の手を取った。
「着地の仕方はわかるかな?」
「あっ、だ、大丈夫!」
「そう。それじゃあ一緒にイこ?」
「か、顔近いですよ〜;」
「…フフッ、照れちゃってカ〜ワイv」
「うえぇ;」
『変態か』
ほぼ抱き合いに近い格好で、女の子とともに近くの屋根の上へと着地する。
空中にいるときは感じなかったけど、やっぱり僕と女の子との身長差はかなりのもので。結局彼女の体を抱えて僕1人の足で着地するような格好になった。
「ホラ、やれば出来るじゃない♪」
「って言ってもやっぱり心臓に悪いですよ;」
とりあえず一休みしたくて、僕はそのまま屋根の上を滑って最初の目的地だった公園まで飛んだ。
公園の真ん中へと降りたあとは、抱きかかえていた彼女の、その細い足をすとんと地面へ下ろした。
「ありがと。優しいのね」
「いえ…!こちらこそ、助けてくれてどうもありがとうございました。ジャンプだけは最初に大失敗してからなんか苦手で…」
頭をかいて、あははっと苦笑い。
「ふふっ、そうなの?このくらいのエアでそんなにおっかなびっくりじゃこれからが大変よ、天使さん?」
「―――天使さん!?」
「うん、白いマフラーが羽みたいに見えたから。…嫌だった?」
「うーん…嫌っていうか…天使っていう名前にはあんまりいい思い出がなくて…ハハ;」
「そうなんだ?それじゃあ天使さんじゃなくって―――…『黒猫さん』って呼んだほうがいいのカナ?」
「黒猫さん?」
『………。』
なんで黒猫さん?今日は僕、黒いものは身に着けてないけど…。
自分で自分の体をきょろきょろと見回していると、女の子はおなかを抱えてププッと笑い出した。
「ええ!?な、なんですか!?」
「ごめんごめん、冗談!気にしないで!」
顔は笑いながら、ぶんぶんと両手を横に振って否定する女の子。
なんだろう?と僕が疑問符を掲げていると、女の子がついっと右手を僕の前に差し出してきた。
「私、シムカ。みんなは"渡り鳥のシムカ"って呼ぶけど。あなたの名前は?」
「あ、僕ゼロっていいます」
きゅ、と握手で挨拶した。
「…そう、ゼロくんって言うんだ。今、お暇かな?」
「えっ…あ、えーと…」
「じゃああそこ座ってもうちょっと話そ?」
そう言って女の子はベンチを指して、握手した僕の手をそのままぐいぐいと引っ張っていく。
……もしかして僕これ、ナンパされてるのかな?;
『…いや…ナンパっつーか…こりゃ…』
…ん?
「はい!ゼロくんはコーラとお茶とどっちがいーい?」
ベンチに座ると、彼女はスッと立ち上がって近くの自販機で飲み物を買う。
そして両手にそれぞれコーラとお茶の缶を持って僕に聞いてきた。
「あ、じゃあコーラでお願いしま…」
「えいっ☆」
「冷たっ!」
手を差し出したらシムカちゃんはコーラを持ったまま僕のほっぺたに突撃してくる。
『…なにやってんだよゼロ…』
『やー…、それは僕が聞きたいです;』
「―――それでゼロくん?」
「はい?」
「あなた、この辺じゃ初めて見るライダーさんだけど、もしかして最近このあたりに引っ越してきたの?」
お茶を手にそう聞きながら、シムカちゃんはすとんっと僕の隣に座った。
「ううん、引っ越してきたのは半年くらい前。エア・トレックは…んと、こないだ始めたばっかり」
引っ越してきたっていうか……アレですけど。
「へぇ…、その割りに上手なのね。外人さんだからてっきり海外でもやってて、最近こっちに引っ越してきたのかと思ったよー?」
「あはは、どうもありがとう」
ニコニコと笑って言うシムカちゃんに合わせて、僕も笑う。
きっと褒められてるんですよね?
なんだかちょっと照れくさいな。
照れ隠しついでにコーラの缶を開けた。
『………おいゼロ』
『ん?なんですかジャズ?』
コーラを口にしていると、不意にジャズが声をかけてきた。
『………なに?』
『…あー………いや、やっぱなんでもねぇ…』
……?
なんですかね?ヘンなジャズですね?
『(…なんかオレ、この女に探られてる気がすんだけど…)』
「それじゃあゼロくんはまだフリーなんだ?」
「うーん、フリーっていうか…」
フリーって……よくわかんないんですけど…たぶん…。
「……ね、だったら私のチームに入らない?」
「え?チーム…ですか?エア・トレックの?」
「そう!ゼロくんみたいなカワイ〜イ人なら特に大歓迎するよっ?
…それに、こんな"どノーマル"なエア・トレックをあれだけ乗りこなすあなたなら、いずれはトップライダーの仲間入りだって夢じゃない」
「ええ?トップライダー!?僕がですか!?」
「そうよ、ライダーたちの頂点。あなたならいつか絶対イケるよ!どーお?ワクワクしない?あたしね…、強い人がスキ…」
そう言ってシムカちゃんは僕の手に自らの手を重ね、そしてかわいい顔を僕に近づけてくる。
「いや…、えっと…;」
やっぱりこれ、新手のナンパだったかな…;
「……いや、だから!いってててて!!マジ、ギブギブ!イッキ!!」
「うん?」
「あら?」
迫ってくるシムカちゃん相手に顔をそらしつつ悩んでいたら、突然、どこか近くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
キョロキョロと探してみると、公園から道路に上がれる石階段のところにカズくんと、カズくんを絞めるイッキくんの姿が。
向こうも僕に気が付いたのか、カズくんが手を振る。
「ほらイッキ、ゼロさんいるって!あそこ!」
「むっ!?」
「離せって、もー!…ゼロさーん」
イッキくんのホールドから抜け出して、カズくんが階段を下りてくる。
その後からは、イッキくんも。
………ふふっ。
「……ゴメンなさい」
「えっ?」
僕が笑顔で謝ると、シムカちゃんは驚いた顔をした。
「お誘いは嬉しいけど、僕…チームだったら一緒にやりたいひとたちがいるから…」
「………そっか。残念。」
「ゴメンね」って言って笑う。
するとシムカちゃんは"しょうがないなー"って風に笑顔で小さくため息を吐いた。
そして少しズレていた帽子をかぶりなおして、シムカちゃんはスッと立ち上がった。
まだ開けていないお茶の缶を背負っていたカバンに入れて、そして僕の前に手を差し出してくる。
だから僕も、シムカちゃんのその手を借りて一緒に立ち上がった。
『……良かったのか?ゼロ。上手くなりたいなら上手い奴らと組んだほうが得だぞ?』
ジャズがボソッとそんなことを言ってくる。
『うん、理屈では確かにそうだけど…。でもせっかくチームでやるんだったら、僕はゴンとキルアとイッキくんとチーム組んでみたいですから』
『………そりゃあ…愉快なチームになりそうだな……(想像したくねーけど)』
『でしょ!?絶対楽しいと思うんですよ!』
『いや……、そりゃ楽しいとは思うが…オレが言いたいのはそういう意味じゃなくてよ…』
何でそんなにポジティブなんだよ、オレはそんなチーム絶対ヤダ。そんなん絶対疲れる。と呆れたように、僕の中でジャズがつらつらと文句を垂れていたけど。
『ジャズは別にエア・トレックやんないんだし、僕の勝手じゃないですか』
『………まあ…そうだけどよ…。けどなんでリンゴもお前も、あんなカラス頭にそんな肩入れしてるわけ?意味わかんね、マジで』
『…ジャズはだって、イッキくんと面と向かって話したことないからわかんないですよ。
…イッキくんといるとなんかわくわくするんです。楽しい気持ちになるんです。……ジンさんとちょっと似てるかなぁ…破天荒なとことか』
『ふーん……。でもホントに良かったのか?後悔しねーか?あの女の提案蹴ったの』
『いいんです!』
今はまだ念で試してみたいこととか、1人で練習したいこととかいっぱいあるしね。
………失敗するとことかこんな女の子に見られるのもはずかしいし。
『…お前、本当はそっちが本音だろ』
『あ。えへへ、ばれた?』
『バレバレだ…』
そんなやり取りをジャズとする間に、石階段を軽快に飛び降りて僕らのところまで駆けてくるカズくんとイッキくん。
2人を追いかけてきたのか、「待てよー」とオニギリくんも階段のところに現れた。
「……それじゃあ私はもう行くね」
人が集まってくるのを嫌ってか、エア・トレックをキュキュッと軽く鳴らしてシムカちゃんが駆け出す。
「さっきの話だけど、もし気が変わったらいつでも声かけて?私も、今はこの辺で走ってるから」
「あ、うん。そのときはよろしく!今日は助けてくれてホントにありがとう」
「どういたしまして。それじゃあねv」
ちゅっと軽い投げキッスを僕らに向けて、シムカちゃんは高く飛んだ。そして家と家、屋根と屋根の間をトリックをキメつつ風のように走り去っていく。
…うまいなぁ。いつか僕もあんなふうに上手く飛べるようになるかな?
「…かわいい子ッスね…」
シムカちゃんの後姿を眺めていたら、そんな呟きが僕の後ろから漏れ聞こえた。
見るとカズくんとイッキくんが僕と同じようにシムカちゃんの去っていった遠くの空を眺めていた。
ふたりとも、シムカちゃんの投げキッスに当てられちゃったのかぽわんと顔を赤らめながら。
「あの、いまのって…?」
「ゼロさんのっかか、彼女ッスか?」
「え?いや、違いますよ。この辺で走ってるんだって。ジャンプ失敗しそうだったところを助けてもらったんですよ」
「へぇ〜…。俺はまたてっきり…」
そう言ってカズくんが顎に手を当てながらチラッと僕を見てくる。……なに?;
「さっすが、ゼロさんモテモテっすねぇ〜?」
「いやいやいや、違いますってば」
そんなんじゃないですし!たぶん!
何その意地悪い顔!
「そいやコンビニのバイト姿も、ウチのガッコの女子に人気あるの知ってます?」
「ええ!?そんなの初耳です!」
「―――おぃいい!!待て、誰だ今の巨乳で美尻のマブい女体はァア!!」
「ニギリ…;」
「…オニギリくん…」
カズくんとやり取りする間に、フゴフゴ鼻を鳴らながらオニギリくんが転がるように階段を下りてきた。
そしてこれで、イッキくんとカズくんとオニギリくん、いつもの3人が場にそろう。
…それにしてもオニギリくんの女の子好きはいつもなにかが台無しです…。
「………あんな子もエア・トレック、やってんだ…」
わいわい騒ぐ僕とカズくん・オニギリくんを尻目に、イッキくんはいまだにシムカちゃんが飛び去っていった方向を見つめて…、そんなことを呟いていた。
だから僕は、つーっとイッキくんの横まで滑っていって、顔を覗いて訊いてみた。
「イッキくんもやりたくなりました?エア・トレック」
僕がいくら聞いても「俺はあんなんいーっすよ」なんて言ってたイッキくん。
やっと少しはエア・トレックに興味もってくれたのかな?シムカちゃん、可愛かったしね。
「あ…いや…俺は…」
「今エア・トレック始めたら、あの子とも仲良しになれるかもしれませんよ?今はこの辺走ってるんだって言ってましたから、あの子」
「いや、だからそんなんじゃねースってば!人が悪いなぁゼロさん…」
「そう?可愛い子だったのに〜。もったいない」
「いや、別にあの、俺は女の子には困ってないっていうか、えーとその……そっすね…」
照れてしまったのかイッキくんは体を丸めてボソボソ何かを繰り返していた。
微笑ましくそれを見ていたら、階段の向こうからイッキくんの名前を呼んでリンゴちゃんが走ってきた。
そういえばみんな制服でカバン持ってるし、学校帰りかな?…あ、気が付けばもう4時過ぎだ。
「もー!イッキってば、置いてかないでよ!」
「おかえりー、リンゴちゃん」
「あ!!ゼロさん!?なんでこんなとこに…あ!れ、練習ですか!?」
「うん」
階段を駆け下りてくるリンゴちゃんを笑顔で迎える。……そういえばリンゴちゃんも、イッキくんがエア・トレック始めてくれるの待ってたっけ。
チラッと横を見ればイッキくんはまだ、何かを考えるようにぶつぶつやっていた。
「ねぇイッキくん。イッキくんってば」
「え…、あっ。……ッス。」
つんつん、と肘でイッキくんの肩をつつくとイッキくんはやっと顔を上げてくれた。
イッキくんを待ってるの、リンゴちゃんだけじゃないんですよ?
たとえあの子目当てでも、イッキくんがこのまま走り出してくれたら―――――
「あ…、な、なんすか?ゼロさん?」
「ん?うん。……僕も待ってますからね?イッキくんがエア・トレック始めてくれるの」
早くキミと一緒に、この道を走っていけるといいけどな。
つづく
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シムカさんはたぶんスピとかから噂を聞いて探りに来たとか、そういうかんじ
すもも