そんなことがあってから、2時間ほど経っただろうか。
イルミ=ゾルディックの名でハンター試験の登録を済ませ、オレはすでに通常業務へと戻っていた。
ちょうどメイドに、カルト様へのおやつの指示を出したところで、オレとは勤務時間が被っていないはずのゴトーがオレの元へとやってきた。
――――"伝説の暗殺一家"として世界にその名を知られるゾルディック家。
職業柄、日々昼夜問わずにさまざまな場所から仕事が舞い込んでくるため、ここの主人達はの生活は全員がバラバラな上に不規則だ。
そんな主人に仕えるオレ達使用人も、自然と24時間稼動になる。
そして数名いる執事の中でもオレは、ゴトーとの交代制で本邸へと勤めている。オレは夜番。執事長のゴトーは昼番として。
…まあもっとも、この人ばかりは執事長なだけあって執事室に戻った後も仕事があるらしく、いつどれだけ休んでいるのか本当に寝ているのかどうかオレには甚だ疑問なんだが。
で、オレとゴトーが仕事中に顔を合わすのは交代時の引継ぎ確認のときぐらいで、こうやってわざわざゴトーがオレを訪ねることはめったに無い(何かあったときは執事室からの電話で済むからな)。
やってきたゴトーの後ろには、もう1人別の執事もついていて。何のお祭りだとオレは目をむいた。
「アゲハ、ちょっと来い」
周りにメイドがいる状況では話し辛いことなのか、強めの口調で待機室まで呼び出された。
ゴトーの後ろについていた別の執事が途中だったオレの仕事を代わり、今度はオレがゴトーの後ろにつく。
「アゲハ、おまえハンター資格は持っていなかったな。」
「は?…ええ、まあ…」
待機室に入り鍵を閉めたところでゴトーが唐突な質問を投げかけてきた。
いきなり何の話だと少し混乱する。…が、まあとりあえず返事を返した。
「…お前さっきイルミ様の申し込みをしただろう。そこのパソコンから」
混乱するオレを見てか、ゴトーがため息混じりに言葉を補完する。
なるほど、本邸にあるパソコンからの通信記録はすべて執事室の(というかゴトーの)パソコンにも同時に記録されている。―――例外はミルキ様所有のパソコンぐらいか。
ゴトーはそれを見たのだろう。
「はい」とオレが頷くと、ゴトーはすぐさま「なぜお前の分も申請しない?」と返してきた。
「イルミ様のご指示です。私の分は必要ないと。今回も屋敷へ残るよう申し付けられました」
「そうだろうと思った。莫迦め、試験を受けて来い。お前の分もオレが申し込んでおいた」
「は…?ですが私は」
………いや、理由など当に知れてはいるが。相変わらず根回しが早いな、この人は。
「イルミ様から外へ出るなと止められているんだろう?…いいから行って来い。
たとえ今は外出不可でも、今後はわからない。イルミ様に随伴する機会もいつかは必ずあるはずだ。
だがこの世界にはハンター資格の無い者の入廷を許さない場所も多々ある。そのときにハンター資格を持つイルミ様の邪魔になってはならない。
今後のためだ、オレが許可する。もし試験中にイルミ様と会って叱られたらオレの名前を出せ」
…ゴトーの、こういう気配りは素直にありがたい。
ほかの執事やメイド共は嫌いだが、この人は信じるに値する。
オレは深々と頭を下げた。
「ありがとうゴトー。感謝いたします」
「勘違いするな、お前のためではない。主人の利益のためだ」
「承知しております」
―――で、そこからがじつに修羅場だった。ぶっちゃけるなら本当に思い出したくない…。
後のことはゴトーに任せ、サッサと屋敷を出ればよかったのに、「奥様へは一応の挨拶をしておいたほうが良いか」と足を止めたのがいけなかった。
ゴトーもそれに頷いて、共に奥様のお部屋へと向かった。
イルミ様はすでに出て行かれた後のようで、お部屋にはドレスに身を包み顔面に包帯を巻いた奥様とふくよかな体格のメイド長しかおられなかった。
「少々よろしいですか」と、しばらくオレが不在になることを主にゴトーの口から説明してもらう。
しかし話が終わるや否や奥様の口から出た言葉は、「アゲハ、貴方その格好で行くの?」だった。
「貴方、ちっちゃいときからずっと執事として奉公してきたし、私服は一つも持ってないでしょう?」
「はい。ですから街で買うつもりではおりますが」
「お金はあるの?ずっと住み込みでしょ、貴方」
「多少なりはございます」
『必要だろう?』とさっきゴトーから援助してもらったので服を買う金と移動費と食費ぐらいはある。…どれもあまり金はかけられそうにないが。
「でもそれまではその格好で行くわけよね?」
「私の持っている服を貸そうかと思っておりますが」
ゴトーが口を挟む。
ゴトーの私服などそれこそ想像できんとも思ったが、口には出さないでおく。言えばたぶん後で殴られるから。
「
―――だめよ!!
それじゃあせっかくの銀糸の髪が風や砂で痛んでしまうし、第一光に弱いでしょうその赤眼は!直射日光なんか浴びたら視神経が傷つくもの!絶対ダメ!!!」
いきなり、ちゃんと帽子をかぶりなさい!と怒り出した奥様は、プリプリとしたまま部屋の奥へと引っ込んでしまった。
確かにオレのこの右の赤眼は、実際は"紅い色の瞳"ではなく無色半透明の"色の無い瞳"で、眼底の血の色が透けて紅く見えるだけのものだ。
虹彩に色が無く、目に入る光量を調節できないためにオレの右目は極端に光に弱い。
ゾルディックでは常に夜の勤務だったし屋敷の内部は明かりも通常より落としてもらっていたから必要は無かったが、日中外に出る以上眼帯はしていくつもりだった。
しかし奥様はそれではダメなのよ!!と帽子を手に奥から戻ってくる。
「せっかく美しく生まれついたのだから大事になさい。自分で美貌を殺すような事をしてはダメ」
「はあ…、ありがとうございます」
直接的に褒められて少し照れる。
親にすら「気味が悪い」と罵られたオレのこんな容姿を「美しい」と褒めてくださるのは、キキョウ様とイルミ様…ゾルディックの方々だけだ。
この家に仕えることができて本当に良かったと、オレは心底思う。
差し出された帽子を受け取ろうと手を差し出すと、「いいから」と室内にも関わらず、奥様はお手ずからオレの頭に帽子を乗せてくださった。
そして一言――――
「……ダメね」
「は…?」
「その服に帽子は似合わないわね。ついでだから全部コーディネイトしてあげるわアゲハ。こっちにいらっしゃいな」
「はあ。いえ、私はこのままでも」
「いけません!!早く来なさい!」
「ひいっ!」
今考えれば、最初から奥様はこれが狙いだったのだろうな…。
奥様曰く『容姿の良い』オレは、奥様にとっては格好の"着せ替え人形"だったわけで…。
「しっ、しかし…!私ごときが奥様のお召し物に袖を通すわけには…」
「…あら、逆らうの?アゲハ?」
キュイン、と奥様の目元のメカが音を立ててオレを見る。
「貴方はウチの自慢の執事なんだから、安っぽい服なんて私は絶対に許さないわ…」
ゴゴゴゴ、と後ろから聞こえそうな迫力。気圧されて思わず悲鳴が出そうになった。
さすが、ご結婚なされて一線からは退いたとはいえ、天下に名高い『ゾルディック』に嫁入りなされた女性。その恐ろしさは一般の"母"の比ではない。
たまらず、脇に立っていたゴトーとメイド長に目で助けを求めるが…。
「奥様のご好意だ。素直にお受けしろ、アゲハ」
「そうですわよ、アゲハ様」
と、バッサリ切って捨てられた。
……ちょっと待て、なぜ目をそらすんだ!
せめてオレの方を見て言ってくれ!!
おかげでオレはどこぞのいかれ帽子屋よろしく、このいかつい男達が集う場にはまるで似つかわしくないゴシック調の服を着せられ。
頭には帽子、右目には眼帯、背にはマント代わりのロングコートと…ある種異様な人間として注目を浴びる事になった。
言っておくが断じてオレの趣味じゃない!
奥様には悪いが、3時間もかけてとっかえひっかえされた中で一番マトモそうだったのがこれだっただけの話だ。
笑うのは勘弁して欲しい。かなり切実に。
はあ、とでかいため息が漏れる。
この際だからもうさっさと試験始まってくれないか、とオレは天井を仰ぎ見た。
つづく
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キキョウさんを書くといつもなんか暴走してる気がする…
すもも