ピンクメドゥシアナ ◆02:薄紅色の蛇(中編)




「…それはそうとさ、ケイ。………君、汚いね?」


ケイリュースを見下ろして、しみじみとシャルナークは呟く。


トライバルを撮るために髪を持ち上げたら、手が黒くすすけた。撫でてもそれは同じだった。

せっかくきれいな色合いの髪なのに、こんなに埃っぽく汚れていてはもったいない気がする。


携帯で撮ったトライバルの画像も同様。

よく確認してみなくても分かるほどに、背中が埃と泥で黒っぽく薄汚れていて汚かった。


「てゆーかだいぶ匂いもするし。汗臭いし、ゴミ臭いし…、あとなんていうか……、ウボォー臭い」

「…? ウボォーギン?アナタ?…好き。ワタクシ」

「それは知ってる。うーん、なんていうか…、なんか…獣臭…的な?オス臭い。………風呂入ろうか、ケイ」


情報収集はその後だ、と決め込んでシャルナークは準備を始めた。








防護服達が街の連中のために定期的に用意する共同浴場に連れて行ってやろうかと最初は考えたが、途中で止めた。

結局シャルナークは、廃物の山からひび割れて壊れかけのバスタブを拾って戻ってきた。


…今の状態のケイリュースを大勢の人間が出入りする場所なんかに連れて行ったら、なんだか面倒を起こされそうで嫌だったから。
良く喋るのもそうだが、この狂人がいつまた何がきっかけで突然誰かに噛みついたり、サカったりするかもわからない。

それなら…と壊れかけのバスタブを拾ってきて、共同浴場からポリタンク2個分のお湯と廃油石鹸1個をもらって来る。

ついでに防護服に会って、割合綺麗なタオル代わりの布何枚かと替えの包帯も用意してもらった。


なんだか防護服達の事を利用できるだけさせてもらってるような気もするが、「何かあったら来い」って言ってたのはあいつらだしな。と心の中で言い訳して、シャルナークは建物へと戻る。





そして裸に剥いたケイリュースをバスタブの中で小さな椅子に座らせて、バシャバシャと頭のてっぺんからポリタンクのお湯をかける。

ケイリュースの身体の上を流れて黒っぽくなったお湯が、バスタブに溜まっていった。



「やっぱりだいぶ汚かったね?1回で落ちるかなぁ…」


バスタブの外に立って、手ぬぐいサイズの布きれに石鹸を擦り付けながらシャルナークがぼやく。


手を伸ばしてバスタブの中に座るケイリュースの背中を布でこするが、なかなか泡立ってくれなかった。

ケイリュースは石鹸の泡を手でぬるぬる自分に塗り付けるようにして洗っている(つもりらしい)。



「ほらケイ、遊んでないで。布あげるから前の方は自分で洗いなよ」

「ぅん……、ん、あ…、ウ…」


なんだか変な声を出し始めたので、何事かとシャルナークはケイリュースの肩越しにその行動を覗く。

するとケイリュースは石鹸でぬるぬるの手で自身を昂ぶらせようとそれを握り締めているところだった。



「って、何やってるんだよケイ!?君、ホンット好き者だね?自我を無くして、残ってるのは本能だけなわけ?……ほら、ソレよりも先にちゃんと自分で体を洗う!」


呆れたようにため息を吐きつつ言うシャルナーク。

ボーっと自意識の溶けたような顔をするケイリュースの自慰する腕をつかんで、泡立った布きれを無理やり手に握らせた。

そしてシャルナークは布きれを握ったケイリュースの腕を持って、布を何度か首筋や胸元に擦り付けてやった。


すると無意識のうちに動作を思い出したのか、ぼんやりとしたままだったがケイリュースは自分で体をこすり洗いし始めた。



「そうそう、やればできるじゃん。オレはその間に髪洗ってあげるよ。そんなにお湯ないし、全部まとめて洗っていっぺんに流そう?」


石鹸を手で泡立てて、濡れたケイリュースの長い髪を揉むようにして洗う。


「ちゃんとしたシャンプーがあればよかったんだけど、ここじゃそんなこと言ってられないしさ。…あ、団長に頼んどけばいいのか。服盗ってくるって言ってたし、一緒に盗ってきてもらおう。そうすれば次の時使えるし」


誰に言うでもなく呟いて、シャルナークは手についた石鹸をプルプルとふるい落とし、ポケットに入れていた携帯を取り出す。




「…そーだ、ケイ。ついでに欲しいものとか何かある?」



カチカチとメールを打つ間に、思い出したようにケイリュースを見て、尋ねる。


するとケイリュースの泡立ったピンク色の後頭部が、ポツリといつもよりも少し低い声を発してきた。











「ポニーテール」







「…は?」


「一度でいいからして欲しいと、お前が言ったことを覚えてる」

「へっ?何、急に…。ケイ?」


「決心して言っただろうに、オレに適当にあしらわれて。フフ。顔を洗って来いと言ったら、本当にそうしてきたから笑っちまった。
 お前はオレの髪が好きだった。隙あればいつも撫でようとしていたな」




「―――ケイリュース!!?」



ガッと肩をつかんで強く呼びかけた。

ケイリュースは今、どんな顔をしているのかと。確かめるように覗き込む。



間を置かずにケイリュースはゆっくりとシャルナークに振り返ってきた。


前までと同じ、無邪気な笑顔がニコリとシャルナークに向けられる。




「イツモ、ワタクシに煙草カウの、言われたアナタ。元気よく返事、買う、してクルの犬みたい、カワイイ、ワタクシのミンナ。ウフフ」


そう言ってケイリュースは再び正面を見て、1人くすくすと肩を揺らす。



「アナタも、きっとワタクシ好きのヒト。ウフ。デモー、言える勇気ナイ男でしたネ」




肩と共に揺れるケイリュースのストロベリーブロンドの髪。

ケイリュースの突然の変化についていけずにそれまで表情を固めていたシャルナークだったが―――

ウフフ、ウフフフと揺れるピンク髪を見ることで、やっと肩の力を抜くことができた。



表情筋を緩め、ふっと笑うシャルナーク。


画面を見ずに手の中でカチカチとメールを完成させ、送信した。

そしてシャルナークは手の中の携帯をポケットにしまいこみ、ケイリュースの濡れた髪を再びその手でさらりと持ち上げる。



「…そっか。オレの代わりの奴は君の髪が好きだったのか…。でもオレは君の犬じゃないし。それに…オレなら言えるよ、ケイ。君の目を見て、ちゃんとね。君の意気地なしの犬と違って」


「ソウ?ウフフ。…………ア……」

「…どうかした?ケイ?」



せわしなく動いていたケイリュースの肩の動きが突然ぴたりと止まった。

それを見て、どうかしたのかとシャルナークはケイリュースの顔を覗き込んだ。


ケイリュースはまたボタボタとかなりの量の鼻血を出して固まっていた。




「(また鼻血…?なんで、)」




そう思ったのも束の間。


「ケイ、」と声をかけようとしたその瞬間、糸の切れたマリオネットのようにカクンと頭を横に倒し、ケイリュースがシャルナークを見てきた。



ぽかんと開かれた口に垂れた鼻血が、涎と混じって顎を伝う。


べったりと顔に張り付く濡れた長い髪の間からはケイリュースの濃いピンク色の瞳が覗いて。

爛々と輝く見開かれたそれは、瞬きの一つもせずに、シャルナークの目をじっと見つめて離さない。



「ウ…、ウ………、守、るの…、立つ…わたし脚…、テキ、倒す…、ウウ…、オイシ、おいシイのちょうだい…、食べ…、モット…、全部殺す…」


「…………なにこれ。なんかヤバくない?オレ;」



異様な雰囲気を纏い自分を見てくるケイリュースの姿に、シャルナークはたらりと汗を垂らす。


そういえば"あの時"も、鼻血の後にウボォーギンに噛みついていたっけ。



シャルナークがそれを思い出すとほぼ同時に、ケイリュースは襲いかかってきた。


練で増幅させたありったけのオーラを全身からほとばしらせて、バスタブを壊す勢いで踏み込み、シャルナークに飛びかかってくる。

脚を怪我しているとは思えない速い跳躍だった。




「ぅわぁあっ!?」



飢えた獣のように大きく開けられた口が、ガチンと空を噛む。

間一髪、首元に食い掛かろうとしてきたそれをシャルナークは身を逸らして避けた。



シャルナークの手には反射的に、自身の能力である"携帯する他人の運命(ブラックボイス)"のアンテナが握られていたが――――


簡単にケイリュースにこれを刺してしまうわけにもいかなかった。



そもそもケイリュースはもう『操作』を受けている。自分で自分を操作し、壊れた。


そして操作能力の基本は『早い者勝ち』。

すでに誰かに操作されている人間を、別の誰かが重ねて操作することはできない。

だから例えアンテナを刺したとしても、シャルナークの操作能力で今のケイリュースを抑えることは不可能。



「(かといってアンテナをオレに刺してオートモードで…っていうのもな…)」


理性がぶっ飛んでしまう自動操作モードでは、まず間違いなくケイリュースをグチャグチャに殺してしまう。


もちろん、"その選択"も壊れてしまったケイリュースにとってはもしかしたら魅力的な選択なのかもしれない。

しかし当のケイリュースから頼まれたわけでもないのに"それ"をやってしまうのはなるべくなら避けたかった。


口では悪態をついているものの、ケイリュースが望むままにその細い身体を抱き上げて放り出さずにいるあたり、ウボォーギンだってケイリュースを嫌ってはいないのだろうし……。

とはいえこんな気狂い1人このまま殺してしまったとしても、「そうか」と言われるだけでおそらくそこまで責められはしないだろうが―――


一応『こっちは任せて』と言った手前、ウボォーギンの預かり知らぬところでの独断先行は気が引ける。


それにシャルナーク自身もまた、別にケイリュースの事を殺したいほど嫌っていたわけではなかったから。


むしろ――――




「…っとと!そんなこと考えてる場合じゃなかった」


考える間も冷静にケイリュースの攻撃を読んでそれをキレイに避けるシャルナーク。

当たらない攻撃にしびれを切らしたのかケイリュースはギリッと唇を噛んで、吠えた。



「…ァア゛ッ!!」


指を立てた手の一撃を打ち込んでから、それをシャルナークが横に避けるとケイリュースもまた同時に同じ方向へ。

読んでいたのか誘ったのか、すかさず鋭いターンをかけて追いすがってくる。


「おわっ!?;」


カッと口を開けたケイリュースがシャルナークを押し倒し、喉元目がけて食い掛かってきた。




「くっ、う…!!」


しかし寸前で、シャルナークの両手がケイリュースの首を何とか押さえ込む。

放り投げた小さなアンテナが、カツンと音を立てて床の上を転がって行った。



「………ッ、危っぶなぁ…!!ウボォーと違ってオレはそこまで頑強じゃないんだから、勘弁してくれよケイ…!」


「…欲シイ、ホシイ欲しいおいシイちょうだいオイシイのニク欲シイ…」とうつろな目で睦言のように繰り返し、ガクガクと顎を鳴らすケイリュース。

涎の垂れたその口とそれ以上距離が縮まらないように、シャルナークは必死でケイリュースの首を押し返す。


力の限りに肩に食い込んでくるケイリュースの指の、その痛みにシャルナークは顔を歪めた。




「…ウ…、ウゥ……欲しい…もっと…、おいシイ、…テキ倒す……守るの、…殺す、ううぅ」


「ん……ッくそ…仕方ない。ケイ。…落ちて」



短く呟いて、ケイリュースの首を押さえる指に力を込めた。

頸部を強く圧迫し、シャルナークはケイリュースを極めにかかる。


ぎちぎちと狂気の表情を向けていたケイリュースだったが、そのうちにその顔は苦しげな喘ぎの表情に変わり。



「………ア゛…、う………」


ケイリュースの手が、シャルナークの手を引きはがそうともがく。

濃いピンク色の瞳からは涙が零れ、何か言いたげにぱくぱくと口を開いたケイリュースは―――ほどなくして白目をむいて"落ちた"。


腕がだらりと垂れ落ちて、ケイリュースの身体から力が抜ける。それを確認してからシャルナークは両手の力をそっと緩めた。


力を緩めるとそれに伴い、ケイリュースの身体は重力に従って倒れこんでくる。

そのケイリュースの身体を一旦自分の上に降ろし、シャルナークは「…はあ、」という声と共に大きく息を吐いた。


そうして小休止してから、シャルナークはゆっくりと上体を起こす。

胸の上に倒れていたケイリュースの身体はずるりとシャルナークの腹のあたりまでずり落ちた。




「…あーあ。オレの服まで泡だらけのベチャベチャだよ、ケイのせいで」



失神したケイリュースの、目元に張り付いた長い横髪をスッと梳く。


今の今まで爛々と狂気の色を孕んでいたはずのケイリュースの顔。

その寝顔は、涙や鼻血の跡なんかはあるものの今は信じられないぐらい穏やかに整っていた。





「それにしても……、鼻血…か。なるほどね」


普通に鼻の血管が切れて出たものじゃないだろう。

鼻血を出した前後の豹変ぶりから見ても、異常はケイリュースの頭の方にありそうだった。




「わかったよケイ…、ケイリュース。君の念の髪の毛―――『ピンクメドゥシアナ』…って言ってたっけ。それは今、君の頭の中にあるのか…」




呟いて、ケイリュースの濡れたピンク色の細い髪に指を通した。


そのピンク髪を揺らしたケイリュースが先日言っていた、その声が、頭の中で甦る。





―――――だから私は動かない私の身体に刺した、刺した刺し刺し入れた、操作する髪の毛の、糸の針のピンクメドゥシアナ―――――





「…ピンク、メドゥシアナ、ね…」




『メドゥシアナ』は神話の怪物『メデューサ』の髪の1本1本を形成する蛇達の事だ。


ピンク・メドゥシアナ。薄紅色の髪の蛇。



ケイリュースのこのピンク色の髪――――オーラを纏ったこの細いストロベリーブロンドの髪の毛が、きっと蛇のようにケイリュースの頭の中を這いずり回り、彼の人格をメチャクチャに犯している。





「除念師…探すしかないんだろうなー。元に戻すとしたら」


つくづく厄介なの拾っちゃったな、とケイリュースを見下ろし、シャルナークは苦笑する。




今、自分の腹の上に倒れこんで眠っているケイリュースの顔はとても穏やかだ。

ニコニコと良く笑って良く喋る"あの"ケイリュースとも、少し前まで自分を食い殺そうと顔をゆがめていたケイリュースとも違う顔――――




……本当の君は、どんなコなのかな。頭の中の"蛇"を消して、元に戻ったとしたら。


さっき垣間見せたアレは、本当の君のその片鱗だったんだろうか。






――――――『お前はオレの髪が好きだった』




「(…言ったのはオレじゃないけどさ)」


その言葉にはそこそこ同意しなくもない。



ケイリュースの、美しいストロベリーブロンドの髪。

指に絡む濡れたそれを、シャルナークは手の中で弄ぶ。



髪が好きだと…そうケイリュースに言ったオレ似の男は、今も無事に生きてるんだろうか。


顔も知らない他人の事なのに、なぜかそんな風に思ってしまった。







後編(えろ)へつづく




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すもも

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ももももも。