「じゃあ今日はそろそろ帰るよ」
陽も落ちかけた頃、そう言ってクロロは、レヤードと一緒に座っていた乾いた泥山から立ち上がった。
すると前日と同じくレヤードの翠緑が、「あ…、」とそのクロロを見上げ――――そして歩き出そうとするクロロの腕を、中腰に立ち上がりつつ掴んで引き留めてきた。
「……何?」
「ウェえッ!??あっ、あの…!こ…っ!?その……!えと…次、次さぁ!…いつ来る?クロロ?……待ってていーい?」
なんて言ってくるのでクロロは少し意表を突かれたように目を開く。
お前からそんな事言い出す日が来るなんてな。と…自らこの獣の懐柔を画策した割に、いざその場面になってみると驚きを隠せない。
レヤード自身もまたそんな自分のとっさに出た行動に戸惑っているのか、それともクロロの驚いたような視線に耐え切れずなのか、焦ったような顔であちこちにその翠緑の瞳を泳がせていた。
その様がなんだかツボに入ってしまい、クロロは思わずフッと吹き出す。
「…そうだね。いつ来てあげたらいい?」
少し意地悪をしたくなって、目を柔らかく細めながらそう言うとレヤードは慌ててパッと手を離す。
そして顔を真っ赤にして、「あっ!あのね!オレはね!いつでもいいけどぉ!」とブンブン両手を横に振った。
「ハハ。そう?じゃあ明日もまた来るよ。一緒に食べられるものは何も用意できないかもしれないけど」
「うんうんっ!いーよぉ!?なんもいらない――――!お前が、クロロが来てくれたらそれでぇっ!!
……うひっ!フヒヒヒッ!なんかぁ、良いねー!こーゆーの〜〜〜!!よくわかんねーけど、トモダチってさぁ!明日が来るの、お前を待つの、少し楽しい気がするぅ〜!」
同年代とは思えない子供っぽさでニパーッと笑って、レヤードはクロロに向かい嬉しそうにはしゃぐ。
そんなレヤードの姿を見てると、背後でぶんぶんと振れる尻尾どころか、ボサボサの黒髪の影に大きな三角形を描く犬の耳までもが見えてくる気がする。
初めて遭ったときから"獣のようだ"とは思っていたが、本当にただのデカい黒犬だな。
そう思って再び少し吹き出しながら、クロロは「…そういうふうに言ってもらえたら何よりだよ、レヤード」と返した。
「えへへ…。じゃーまた明日ねェ?クロロ〜〜〜!」
「ああ。また明日」
手を振るレヤードにクロロもまた軽く手を振って別れる。
中央の棲み処へと戻るその帰路の途中に、2羽のハゲタカが泥山の影から興味深げにこちらを盗み見て笑っていたのがなんとなく印象に残った。
翌日、陽がある程度高く昇ってからクロロは昨日の約束通りに悪所へと出向いた。
『何も用意できない』『いいよ』と会話はしたものの本当に"何も無い"のは少々心許なく感じ、そのポケットには小さな飴玉を忍ばせて。
悪所の片隅の、ここ最近レヤードとよく会う泥山の間を歩いてみる。
……が、当の獣が待っている気配はどこにも無く。
代わりにその道の先で、この場所でよく見る老人の背中を見つけた。
キョロキョロと泥山の間で何かを探している素振りだった。
「……爺さん1人?」
「…おお、坊や。今日も来たのか」
「もう1人は?いないのか?」
そう訊くと、「いや、ここにおるぞ」ともう1人の老人がよたよたとおぼつかない足取りながらも駆け足気味に泥山の影から出て来た。
そしてそのままクロロの元へ、焦ったような声色で迫って来る。
「坊や、大変だ。『リーパー』がやられた。『カミヤリ』に攫われちまった!」
「……っえ?」
突拍子もない事を言われ、少し素が出る。
すると最初に遭った方の老人が、続けて静かに教えてくれた。
「あの小僧、3日と同じ巣穴で寝るなと教えておいたのに。昨夜はどうやら、坊やを待って守らなかったらしいのだ」
「それで一番気の弛む明け方に、巣穴を嗅ぎつけた『カミヤリ』の手下たちに押し込まれたようでの!『カミヤリ』の奴め、どうも坊やと同じ黒髪の小姓を使って坊やを騙らせ、油断を誘ったようなのだ!」
「……昨日のわしらと同じく、どこかから『カミヤリ』も見ていたらしい。誰にも従わぬあの狂犬の首に、ついに首輪をくくることができた、そんな腕利きの坊やの事をの」
「ああ…、なるほど。オレが均衡を崩した、という事か」
「おそらくの。その小姓に武器を盗られ、後ろから目くらましをされて、そこを大勢の手下どもで滅多打ちだ。ぐたりとしたところをそのまま目くらましに被せられた麻袋ごと、縛られて連れていかれた」
「なんとか後を追ってみたが、どうやら『カミヤリ』のねぐらに向かったらしくての。……今度こそ終わりかもしれん。ああやられた……。『カミヤリ』の奴め……」
悲壮感を漂わせ、あとからやって来た方の老人が頭を抱えてしゃがみこむ。それを、もう1人が肩を叩いて慰めていた。
そんな『ハゲタカ』2人の姿を見て、クロロは以前からうっすらと抱いていた疑問を、この際ぶつけてみることにした。
「ずっと聞きたかったんだが……、爺さんたちはレヤードとはどういう関係なんだ?話を聞いていると、かなり昔から知っている素振りだよな?
……もしかしてお前たち、あいつの…」
そこまで問うと、しゃがみこんでいた方の老人がわずかに顔を上げる。
暗い目つきのまま、クロロの瞳を見てゆっくりと頷く。
「……ああ、そうだ…。ここで生まれた幼いあの小僧を、わしらで育てたのだ…」
老人がそう呟くと、もう1人の、立っていた方の老人もそれに続いて話し出す。
「だが、それも最初はわしらの本意ではなかったがの。そんな無駄な事、わしらは「やめろ」と"あやつ"に言ったのに」
「……"あやつ"?」
オウム返しに聞き返すと、しゃがみこんでいた方の老人がもう1人の手を借りゆっくりと立ち上がりつつ、「ふひひ…」と件の獣と同じ笑い方をして話し出す。
もう1人もまたそんな老人の様子になにやら腹を決めたようで、その話へと続いた。
「…坊やは『かまいたち』って知っとるかね?ジャポンという遠い島国の伝承にある、3匹の魔獣の話だ」
「1匹が転ばせ、2匹目が斬りつけ、3匹目が傷の治療をするという。わしら3人はちょうどそんな生き物だった。わしらは前者。"あやつ"が3匹目のな」
「昔は『三羽カラス』と呼ばれていたよ。わしら2人と"あやつ"、3人そろってな。ひひ…」
「……そうか」
『三羽カラス』――――
やはりな…。と思いつつ、クロロは突然始まった老人たちの昔語りを、ただ黙って聞き役に回る。
「……あやつの『念』は『治癒』の念だった。誰のどんな傷も治すというな。そんな特異な能力を持っていたあやつは、ここでいつも、誰かの助けになっていた」
「しかしあやつの『治癒』は誰のどんな傷をも治す代わりに、その者に何かを失わせた。舌の感覚だったり、耳だったり、視力、嗅覚、指先の感覚。それまで貯め込んだ知恵を失い阿呆になる者もいたな」
「ああ、いたな。…ひひ、あれはさすがにおぞけの走る代償だった。いくらなんでもあの時だけは3人そろって逃げたわい」
「失うものをあやつは選べないし、治癒された者もまた失うものを自ら選ぶ事は出来ない。失うものは人それぞれだったが、それでも命を失うよりはとあやつを頼り来る者は多かった」
「…とはいえ大半はわしら2人が傷つけた者たちばかりだったがの。マッチポンプという奴だ」
「誰にどんな罵倒を受けようと、それでもあやつはすべての者を無償で治療した。わしらには出来ないことをするそんなあやつが、わしらには眩しく、誇らしく、……そして疎ましくも思っていた」
「だが、『友』だからの。家族よりも、誰よりも深い"紲(きずな)"の。幼い頃からどんなときもいつも一緒に居た。笑いあい、時には怒り、許し、喜びも悲しみも共に分かち合ったのだ」
「そしてそんなある日、あやつはいつものように道端に倒れていた女を介抱した。……腹の大きな女だった」
「痩せて餓鬼のようでもあった女の、その大きな腹の中には赤子が入っていた。あやつは能力を女に使いつつ、なんとかその腹から赤子を生きたままで取り上げた」
「……強運だ。新年初めの祝いの日のことだ。この不衛生な流星街ではちょっとした怪我でも大ごとだというのに。ただの風邪で死ぬこともある。ましてやこの流星街で、『出産』なんぞ」
「だが凶運だ。誰ぞに孕まされたのかもわからん。母親となった女は、産んだ子を拝むこともなく事切れた。そして母親の生気を全て吸いとるかのように大きな産声を上げたその赤子もまた、小さく痩せ細っていた」
「だからその子もすぐに死ぬと思っていた。そのままなんとか"外"まで命がもてば、生まれながらに奴隷として商人に引き渡せるか、それが駄目でも目ン玉を抜いて売り飛ばそうかと思っていたのよ。わずかに開いた瞳がエメラルドのように綺麗な色だったからの」
「ただ、そう思っていたのはわしら2人だけだったようでね。あやつは決してそれを許さなかった。そのうちに、自分で育てると言い出しおった」
「ひひひ。こっちの目玉が飛び出るかと思ったわい。諦めるよう何度説得してもあやつは全く聞かんでの。結局は3人そろって子育てだ」
「…苦労したな?ひひひ」
「ひひ、そうだ。相当な苦労をしたな。なんせ3人とも、その赤子とは同じような境遇。幼い頃に流星街に捨てられた身だ。親というものを知らん。かといって自分たちより幼い者を傍に置くのだって初めてだ」
「日々自分が生きる糧を手に入れるだけで精一杯。人の命で食いつないでいるようなわしらが、どうして赤ん坊なんぞまともに育てられる。物心つくころには、小さくても立派な狂犬になっておったわ。ひひひ」
「そうだ、あの小僧にはあの頃からずいぶんと手を焼かされた。…だが中々に楽しかった」
「ああ、楽しかった。―――しかしそれも、"あやつ"が死ぬまでの話だがの」
「……やっぱり死んでいたのか。『三羽カラス』」
クロロが訊くと、2人の老人は共に頷く。
「…ああそうだ。ある日に先代の『リーパー』と運悪く遭ってしまった。わしらはなんとかゴミに紛れて逃げられたがの」
「小僧を連れて逃げたあやつは、翌日に血だるまの首なし死体となって、ゴミの中で見つかったのだ」
「それを見て、わしらはすぐに『リーパー』を追おうとした。……坊やも流星街(ここ)の生まれならばわかるよな?
わしらにとっての大切な"紲(きずな)"……幼い頃からずっと苦楽を共にした大切な『友』が殺された…!だから例え歯が立たずとも、『リーパー』に一泡ぐらいは吹かせて…。わしらもあやつの後を追おうとした!」
「…だが、変わり果てたあやつの躯のその下敷きになって、そこにはまだ小僧が残っていた…。腕、足、背中とあちこち斬られて死にかけにされていたが、それでも運良く五体満足で」
「だが、あまり猶予の無い大怪我だ。放っておけば死んでしまう。あやつが笑って「育てる」と育てた小僧……。
その小僧の体の上に、覆いかぶさるようにしてあやつは死んでいた…。血だるまに切り刻まれ、無残に首を落とされても…!きっとあやつは最期の瞬間まで小僧をかばい……、そして守りきったのだ…!
そうまでしてあやつが守った小僧を、あやつの『友』であるわしらが見捨てるわけにはいかなかった!」
「わしらは手にしていた武器を落としたよ…。いけ好かない中央の連中を頼ってまで、小僧の介抱をした。
怪我のままゴミに埋もれていたせいで手当にはかなり苦労したがね。『治癒』のできるあやつもいなくなってしまったしの…」
「『リーパー』の奴にはその後再び出遭うことなく、ついにはまんまと流星街の外へ逃げられた。
……後は前に話した通りだ。怪我を乗り越え回復したあの小僧は、その後『リーパー』と同じ能力者となり」
「発現させた能力は奇しくも『リーパー』と同じ……"斬る"能力だった」
「新たに"力"を手に入れてか、それとも一番に懐いていたあやつの優しさを喪ってか……。
それ以降、あの小僧はすっかりと変わってしまった。もうわしらの手にも負えん獣となった。
先代の『リーパー』が去った後の縄張りにたった1人棲み着き、先代『リーパー』と同じく誰にも媚びぬ血濡れた首刈りの死神へと……。
だからわしらは小僧に『リーパー』の名をやったのだ」
「……もしもわしらの元に小僧が居なければ、…あの時に出会わなければ。……あやつが小僧を「育てる」なんぞ言い出さなければ……。わしらはあやつを喪うこともなく……あやつと共に、きっと今もまだ3人で居られたことだろう…。
あやつの首を刈ったのはあの小僧ではない………ないが…、あの小僧が刈ったものでもあるのだ…。その皮肉も込めてな」
「それからはわしらもせいぜい近くで見守るのが精いっぱいだ。機嫌が良ければ、小僧の方もじゃれる程度で見逃してくれるがの。機嫌が悪ければわしらでも命が危うい。何度本気で逃げたかわからん。ひひひ…」
そう卑しく笑った老人たち。
しかし次の瞬間にはピタリとそれも止まり。そして今まで聞いたことがないような、低く悲しげな声で続ける。
「……奇妙な関係だとはよく言われる。だがわしらはそれでもよかった。あの小僧はどうか知らぬが…、わしらはずっとこの関係が続くものと思っておったし、おそらくそんな毎日を望んでいた……」
「…そうだ。老い先短いわしらの死こそが、小僧との関係の終わりを告げるものだと……わしらはずっと思っていたんだがの…」
「「残念だ」」と声をそろえて、2人の老人は目を伏せる。
だがクロロはというと、そんな老人たちを見て、呆れたかのように「ふう」と小さくため息をついた。
「…諦めるにはまだ早いだろ?あいつはそう簡単に捕まるようなタマでも、大人しくやられるようなタマでもない。死んだふりで『カミヤリ』の懐に飛び込んで、逆にはらわたを食い荒らす気でいるかもしれない。お前たちが一番よく分かっているはずだ。
"この"流星街で、今やお前たちこそがレヤードとの唯一の"紲(きずな)"の関係…。お前たちが一番にあいつのことを信じてやらないで、誰があいつを流星街(ここ)で生かすんだ」
クロロのそんな言葉に老人たちは一瞬呆けた顔になって――――
それからニヤリと口元を吊り上げて笑った。
「…ほほ…。坊や坊やと思っていたが…。いっぱしの口も利けたのだの、…小僧」
「じきにオレもあいつと同じ歳さ。『坊や』扱いは二度としないでもらおうか。……さて、時間を食ったな。レヤードが連れて行かれたという『カミヤリ』のねぐらはどこだ?」
闇よりも黒い瞳で老人たちを見下ろし、感情の読み取れない平坦な声でそう言って。
「行くんだろ?……お前たちも」とクロロは老人たちへとさらに畳みかけた。
「……痛ったい!っての、も―――!!」
目隠し代わりに頭に被せられていた麻袋を乱暴に取られ、レヤードが吠える。
乾いた泥壁を木の柱で乱雑に補強した、ゴミ山の裂け目に空いた洞窟のような場所。
黒く炭化しかけた一斗缶に乱雑にくべられたたき火が灯る薄暗いその場所で、レヤードは後ろ手に腕をがんじがらめに縛られ、身体もまた麻袋の上からロープで縛られた状態で数人の男女の手によって押さえつけられていた。
着く前に整備された階段をいくつか下りたのは、まだこの流星街が都市だったころの名残なのだろう。
「……よお、『リーパー』」
と、ある男がその階段の上から逆光を背にレヤードの前に立つ。
背は低めだが、鍛えた体に分厚い皮のジャケットを着こんだ、30手前ほどの短髪の男。
地面に組み伏せられた長身のレヤードの、睨み上げるような翠緑を見下ろし、男はニヤリと上機嫌に笑う。
「その目…。良いぜ、本当にたまらねぇな『リーパー』。その誰にも屈しねぇギラギラした目だけは、いつかこの手で従順になるまで躾けてやりてぇと思ってたが…。ついにその時が来たかぁ?なあ!」
そう言ってレヤードのボサボサの黒髪をわしづかみにして、無理矢理に顔を上げさせる。
レヤードの美しい翠緑と、男のくすんだ蒼の瞳がかち合った。
「はぁあ〜?『カミヤリ』お前ぇ、誰に物言ってるわけェ〜〜?オレは誰にも…、お前みたいなのには特にさぁ!従順になるつもりなんてないしィ!!」
「ハッ!その割に最近は中央からのガキのケツにちょこちょこついて回って、挙句には仲良しごっこまで始めてよ。
今日だってそれにまんまと騙されて、ホイホイついてきやがって。ずっと見てたんだぜ?なぁおい!!」
と『カミヤリ』は人垣の向こう―――隅の暗がりに立っていた、レヤードの鉄棒を抱えた小さな黒髪の少年を顎で指した。
独りではこの流星街を生き抜けない幾人かの少年少女たちが、よりどころを求め、奴隷同然の扱いでグループの庇護下に置かれていた。そのうちの1人。
明け方に会ったときは朝日の逆光の上に寝ぼけていて分からなかったが、こうして見るとあのきれいな顔の―――"強い目"のクロロとは似ても似つかないような、陰気な目つきの汚いコドモだな、と思った。
「……別に、仲良し『ごっこ』なんかじゃないよォ〜?クロロはさぁ…、あいつとはきっと、ずっと前から出会う運命だったから。オレを飼うって言うんなら…、それこそオレの『飼い主』になれるような奴なんてきっとクロロだけだと思う〜〜。
クロロと一緒ならぁ、きっと何でもできそーな気ィしてくるよねぇえ―――。あいつの下にならァ、まあ考えてやってもいーかもしんないけどぉ…。
でもォー…。でもねぇ?『カミヤリ』ィ……。お前に従うのはヤ。死んでもヤ〜〜〜。だってお前ェ、ダッセーもん!死相が出てるぅ!『首刈りの死神(リーパー)』のオレが言うんだから間違いないよぉ?アッハハハハ!!……ぐうっ!?」
笑い声を遮るように、掴まれていた頭を強く地面に叩きつけられる。
その後は周りにいた『カミヤリ』の手下数名の手でそのまま組み伏せられた。
「ふん!負け惜しみか『リーパー』!!そんな格好で何が出来るってんだ!?得意の武器も取り上げられて、文字通り手も足も出ねぇお前によ!
……ああ、そんな格好だからこそもう吠えるしか出来なかったな?オラ、ワンワン鳴いてみろよ?情けねぇ野良犬みてぇに鳴いて、芸の一つでもしてくれりゃ、今までの事は水に流してやってもいいぜ?」
「だっれが…!お前なんか、にっ……!!」
押さえつけられながら、それでもレヤードは目の前に立つ『カミヤリ』をその翠緑で強く睨む。
「……なぁ。少しは考え直せよ、『リーパー』。こんなトコで無様に死ぬこともねーだろ。長年の因縁もここで終わりにしようぜ?
オレの下に付けよ。オレはお前の実力は買ってんだ。そうしたら、そこのガキもお前にくれてやるぜ?仲良しごっこでも、テメーの性奴隷にでもなんでも好きにしてくれていい。
頷かねぇようなら…、このまま素っ首落として殺処分だ」
「フヒヒ…。やってみなよォ?オレねぇー、もうお前と遊んでる暇、無くなったの〜〜〜!今日だってクロロと会う約束してるしィ!!
近いうちにお前には遭わなきゃと思ってたけどぉ…。お前の手下がこうして来てくれたから、今日は忙しーけどまあいいやと思ってェ!!やられたフリして来てやっただけだよォ―――!?
アハハ!!まんまとかかったね―――?『カミヤリ』ィ!!今日こそその喉、噛みちぎってやるからぁああ!!」
叫んで、後ろ手に縛られた腕に力を込める。
抵抗を始めたレヤードを警戒した手下たちが、身体を抑える手になおさら力を込めて来る。
しかしレヤードは抵抗を緩めず、ついには地面についていたはずの膝を立て、立ち上がろうとする。
「チッ…馬鹿力が…!その減らず口も、痛い目見りゃ少しは大人しくなるかよ!?」
レヤードから離れるように1歩後ろに下がりつつ、『カミヤリ』がおもむろに右手を挙げる。
それだけで周囲を取り囲んでいた他の手下たちが、武器を手にレヤードに襲い掛かって来た。
「そっちこそぉ…、オレがこんな格好ごときで何もできねーって、ホントに思ってるならぁ、メデタイ頭ぁああ―――!!
わざと捕まってやったのに、チョーシに乗んなっての〜〜!こんな拘束、オレに利くと思ってんのぉ〜〜!!?」
簀巻きの麻袋も腕のロープも、自身を抑え込んでいた『カミヤリ』の手下どもの手も全て"切り裂き"、自由になった腕でレヤードは襲い来る連中の喉元をも斬りつける。
――――レヤードの能力は変化系だ。オーラそのものを『斬る』性質に変える。
生半可なロープの拘束など、レヤードの意志一つで「受ける」も「斬る」もどうにでも出来た。
「なんだっ…!?テメ、武器も無しに…っ!?」
「アハハ!!オレの武器は別にその鉄棒なんかじゃないよ〜〜?まー、そーゆー勘違い狙っていつもおんなじヤツ持ってたけどォ??見事に引っかかってくれちゃってェ、マジウケるんですけどぉ〜〜!!ヒャハハハ!!」
「……っ!!ならこのオレが直々に、死ぬまで追い立てて殺してやる、このクソ犬が!!」
「ウヒッ!えへへぇ!!やってみなぁ!こっちだよぉ〜〜??わんわんわんっ!!」
赤く血塗られた屍の園でレヤードが犬のようにおどける。
それこそ犬の耳を模すように頭の上に両の掌を立て、ひらひらと動かしながら。
それにキレた『カミヤリ』が手にオーラを集中させ、そのオーラの束を、海神(ポセイドン)の槍を思わせるような巨大な三叉槍の姿へと変化させた。
その変化を見ると同時にレヤードはその名の通りの"死神"に迫るほどの凶悪な笑みを浮かべ。
武器を手にそばに立っていた『カミヤリ』の手下を2人ほど、両腕でそれぞれ自身の前に引きずり出して盾とした。
そして音速にも勝る勢いで一直線にレヤードの心臓目掛け突っ込んで来る『カミヤリ』の槍先を、その盾と共にありったけのオーラを集中させて防ぐ。
――――ドガアァッ!!
手下2人とレヤードの身体ごと、音速の槍を以って『カミヤリ』は自陣の泥壁を穿ち抜き、外にまで飛び出した。
離れた場所に足でブレーキをかけて、ざあっと砂煙を上げつつ一直線にランディングの跡を作る。
その『カミヤリ』の前方―――血色の肉塊と化したモノと共に宙に舞ったレヤードは、そのままゴミ山の中に背中から突っ込んだ。
「…はっ!どうだよ、『リーパー』!!オレの"神々の突槍(ソニック=トライデント)"の味は!!抉られたかよ!ハハハハッ!!」
「ぺっ、ぺっ!……うひっ、ひひ、ひへへへへ!!い――ね!テンション上がって来たぁあ!!フヒヒ…、ヒッ、ひひひ…、もっかいィ……、もっかいもっかい〜〜〜!!アハハ!
ほらぁあ!もう1回来てみなよぉ―――!?オレの心臓はぁ、コ〜〜コ〜〜ぉお!!うひひっ!ねーっ、もう1回さぁ!!『カミヤリ』〜〜〜ィ!?ヒャハハハハ!!」
口に入った砂かゴミかを吐きながら、ゴミの中からゆらりと立ち上がってレヤードが歓喜の声を上げる。
心臓を狙った三叉槍の槍先を肉の壁と「硬」のオーラとで防ぎ切り、無傷ではあったものの腕に抱えていた肉塊の血にまみれて、全身真っ赤だった。
その状態をレヤードは至極嬉しそうに目を三日月様に歪めて笑い、「もっと、もっと!」と自身の心臓を指して『カミヤリ』を挑発する。
獄卒の悪鬼を思わせるその姿にゾッと寒気を感じた『カミヤリ』が、それを振り払うように再びその手にオーラの槍を形成した。
「……ああ、お望みならやってやらぁ、この…っ!狂人がぁっ!!」
「ウヒヒヒッ!!」
鋭い三叉槍の穂先を正面に構え、音速に乗って『カミヤリ』が再びまっすぐにレヤードの心臓を目掛け突っ込んでくる。
周りにはもう盾に出来る肉は無い。
後ろへ退きつつ、レヤードはありったけを集めた先ほどとは違って、今回はそれよりずっと少ないオーラのガードで対応した。
そして槍先から目を離さずに、直撃だけは避けて、身体を半身にしてそれを躱す。
巨大な音速の三叉槍が脇をすり抜ける、その衝撃波でレヤードのシャツが引き裂かれる。
三叉槍の脇の刃が、レヤードの胸板に一直線の横傷を刻み。
………が、レヤードは"代わりに"とばかりに右手と左手の指先に繋いだオーラのヒモで、『カミヤリ』の顔を引っ掛けていた。
しかし寸前で『カミヤリ』もそれに気付き、とっさに頭を低く反らし避けた。
そのままレヤードの脇を超スピードですり抜け、ざざあっと足で砂埃を上げて再びランディングの跡を作る。
「フヒヒ……。飛んで火に入るとかいう奴ぅう〜〜?頭半分にィ…、削ぎ切りにしてやろうと思ったのにぃ…ざ〜〜んねん…」
そう言いながらレヤードはゆっくりと『カミヤリ』を振り返り、右手と左手の指先を繋ぐオーラのヒモを見せつけるようにたわませる。
『カミヤリ』の頬から耳にかけてに、ナイフで裂かれたような傷が走っていた。
だらりと垂れた血を手で拭い、そのヒモを以って何をされようとしていたのかを把握した『カミヤリ』が、全身に寒気を感じさせながらに吠える。
「……『リーパー』…!!……てっめぇ……!」
「ひひ…。オレさぁ、ずっと思ってたんだァ……。ぜってーお前の能力とは相性良いんじゃね―――?ってぇ…。
ほらぁあ……もっかい来てみなよォ『カミヤリ』ィ…!その、突撃しか能の無い槍でさぁあ――――!!玉砕覚悟じゃなきゃ、オレは殺(と)れないよお―――!?
それともさぁ!いつもみたいにシッポ巻いてスゴスゴ逃げちゃぅう??オレの勝ちで良ーいかなぁ〜!?ねえ、臆病者のカ〜〜〜ミ、サ、マぁあ〜〜〜?フヒヒヒッ!」
「―――ッ、ガキが!!後悔すんじゃねぇぞ!?」
舌を出し、いやらしい笑いを浮かべて挑発すると、『カミヤリ』はそれにすぐに乗って来た。激昂し、槍を構えて再三の突進を繰り出して来る。
それを見てレヤードは「かかった」とばかりにニヤリと口の端を吊り上げた。
ずっとずっと、『カミヤリ』には逃げられっぱなしだった。
運良く出遭えても、『カミヤリ』は多くの手下を盾に使い、ヒットアンドアウェイで一撃のみ入れて離脱してしまう。
自身の能力をひどく過信している割には、臆病で小心者。
本人が表に出てくることすら稀で、能力的に近接戦闘特化のレヤードからすれば、本当にイライラさせてくれる相手だった。
……けれど『カミヤリ』の能力を初めて見た時からレヤードは思っていた。
こうしてまともに相対さえすることが出来れば、絶対に負けはしない――――レヤードはずっと考えていた。
待ち続けた千載一遇のこのチャンス。逃すわけがない。
――――今日こそ殺す。後悔するのはお前だ『カミヤリ』。
今日こそ、この手でぐちゃぐちゃに引き裂いて終わりにしてやる。
そう強く思い直して、レヤードは襲い来る『カミヤリ』の音速の神槍に向かって嬉しそうにその手を構えた。
が、
「……小僧ーっ!」
……と、レヤードを呼びつける突然の老人の声に、レヤードと『カミヤリ』が共にピクリと反応する。
「っ!?」
「ハゲタカぁあ!??」
声のする方を見た瞬間に、ゴミ山の上からハゲタカの1人が鉄棒を槍投げの要領で投げ、突進を始めていた『カミヤリ』の前に突き立てた。
もう1人のハゲタカの両手には2本のナイフ。傍に先ほどレヤードの鉄棒を持たされていた黒髪の少年が怯えた風情で頭を抱えてうずくまっていた。
突き立てられた鉄棒もレヤードがその手に握っていなければただの鉄棒でしかないが、それでも一瞬『カミヤリ』をぎょっと躊躇させるだけのインパクトはあったらしい。
そのわずかの隙に、クロロが『カミヤリ』の腕に素早い横蹴りを叩き込んだ。
「系統の特性とはいえ、見せ過ぎだな。至近距離での不意打ちならともかく、突進の距離が長くなればそれだけ見切られやすくもなる。軌道、スピード、タイミング……。
初撃のようにまず距離を詰めてから使えばいいものを、距離を取りたがる臆病者の性格が災いしたと言える。その程度で「神々の」とは大それた名だ。
とはいえ……、レヤード。お前のその能力だとそのままじゃジリ貧だろ?相打ち覚悟のカウンターも良いが、手伝うよ」
「ックロロぉ〜〜!!ナーイス、ありがとお〜〜〜!!!でもォ、もう大丈夫ぅうう――――!!」
クロロの横やりでわずかに進行方向が逸れた槍先を、レヤードは先ほどと同じく最小限の動きで避け―――
今度はすれ違いざまに、『カミヤリ』の身体に抱きつくように憑りついた。
「…はっあ!?―――ハッ…、ハハッ!!その恰好で何が出来る!?このまま地面にこすりつけて真っ赤な"おろし"にしてやろうか!『リーパー』!!」
「ハハアッ!ばっかじゃねーの『カミヤリ』お前ェ!?オレの事『誰』だと思ってるわけぇえ!?こーなってもう離すわけ無いしィ!!今度はぁ、オレの番だってーの!!ヒャハハハ!!」
抱きついた両腕を「離すまい」とがっちり組み、それからレヤードは全身のオーラを凶器に"変えた"。
槍にオーラを集中したせいで防御の薄くなっていた体にオーラの刃が食い込み、深く切り刻まれる感覚に男が汚い悲鳴を上げる。
それをレヤードの悪魔的な笑い声がかき消した。
オーラの槍が『カミヤリ』の手から霧散し、突進のスピードを残したまま男とレヤードの体が地面に投げ出される。
先に立ち上がったのはレヤードの方だった。
返り血にまみれた身体で、血だるまになった男を見下ろし、その翠緑の瞳を"黒く"歪めて、たまらなく嬉しそうにレヤードは嗤う。
「うっぐ……てめ…『リーパー』…ッ!!」
「うひっ、フヒヒヒッ!じゃー、さぁあ…そろそろ「長年のインネン」とか言ってたのも、ここで終わりにしちゃおっか〜〜ぁあ?ねぇ、『カミヤリ』ぃ…。うひひひッ」
ずるりとゴミの中から少し短いが手ごろな角材を拾い上げ、レヤードはそれを自身のオーラで覆う。
それをブラブラと下げて迫り来るレヤードの姿から、『首刈りの死神』の名を思い出し、『カミヤリ』は恐怖で顔を歪ませた。
「ま、待てよ『リーパー』…。すっ、少し話し合おうぜ?なあ…」
「やぁああだぁあ〜〜〜〜…。いさぎよく死ねよぉおお〜〜…!」
血まみれの体を引きずって後ずさる男の目の前で、レヤードは手にした角材をゆっくりと振り上げる。
「うひへへへへっ!!じゃーあねーぇえ〜〜??……ッ『カミヤリ』ィい――――ッ!!」
「やっめ…!!」
……と、ギロチンの刃が処刑人の手で落とされる―――その瞬間。
「殺すなレヤード。その男はまだ役立てることがある」
そんなクロロの低い声が、レヤードの腕をピクリと止めた。
「……フヒヒ、クロロさぁ…お前、何なのォ??そーいうの、オレが聞くと思ぅう〜〜??」
身構えた『カミヤリ』の頭上で角材を振り上げた格好のまま、レヤードがぐるりと顔をクロロに向けてきた。
多少不機嫌に目を細め、どす黒い"闇"を混ぜ込んだ翠緑でクロロの黒い瞳を見据えて来る。
クロロの真意を読み取ろうとするようにレヤードは少しの間じっとそのクロロの黒い瞳を見ていたが――――
よくわからなかったのか、考えるのが面倒になったのか結局は「…ま、いーっかぁ〜〜」と軽く零してニヤリと笑った。
それに対し、なぜか眼下の『カミヤリ』が「い、いいのか…?」と反応してくる。
「はあ?何言ってんの『カミヤリ』?お前に言ったわけじゃねーしィ。
クロロはぁ、オレの事助けてくれたしねぇえ……。ホントはそういうの、聞かないんだけどぉ〜??クロロになら、まーいーかなぁ―――って…、オレはぁ、そぉ――いう話をしてただけだよぉお!??
……でもさークロロぉ?………1回はぁ、1回ねぇえええ!!?アハハハハッ!!!」
「あ、あっ!?止めんじゃねーのかよ!?『リーパー』!?てめ、おいっ!?…ちょっ、や、やめっ!?」
焦ったような『カミヤリ』の制止の声などもちろん聞くはずもなく、レヤードは笑い声と共に、大上段に振りかぶっていたギロチンの刃をためらいなく振り下ろした。
「……ねー、『カミヤリ』ぃ。起きなよォ」
「痛っ、…て!?―――っは!?……あ、あれ?生きてんのかオレ…?」
「うん。いちおー。大ピンチなのは変わりないけどねぇえ〜〜」
振り下ろした角材の先端が『カミヤリ』の鼻先を掠って地面にうずもれた後。
やられたと思ったのか気絶した男をロープで縛り上げてから、レヤードは『カミヤリ』の頭を殴って無理矢理に起こした。
「動くとォ、切れるからぁ?動かない方が良いの、もー分かったよねぇえ??」
と、『カミヤリ』の首に、右手と左手の間に繋いだオーラのヒモをくるりと括りつけながらレヤードがそう言う。
「な、何のつもりだよ…?」と恐る恐るに問いかけて来る『カミヤリ』に、レヤードは「お前に用があるのはオレじゃなくって、クロロねぇえ〜〜」と首をかしげた。
傍に立っていたクロロが、黒い『本』を片手に『カミヤリ』の前へと出てくる。
「お前にはこれからいくつか質問に答えてもらうよ『カミヤリ』。"神々の突槍(ソニック=トライデント)"…だっけ?あの能力について」
「…ハッ!何のつもりか知らねーが、素直に答えると思うのかよ!」
『カミヤリ』がそう毒づくと、クロロはにこりと見惚れそうなほどの美しい微笑みで、続けて楽しそうに恐ろしい言葉を口にする。
「うん、まあそう言うと思ってたよ。そうだな。じゃあ答える気になるまで指を1本ずつ切り落としていこうか。……どうだ?レヤード」
レヤードに視線を移しつつそう訊くと、すぐさまレヤードも「あ!いーね!そーしよそーしよ!」と楽しげにそれに頷いてきた。
「あとさー、そっからぁ、出っ張ってるとこ全部削ぎ切っちゃおーよぉ。指だけじゃなくてぇー…、鼻とかぁ、耳とかぁ。チンチンとかも逝っとくぅ??この辺のカラス、飢えてっからさぁ。きっと喜んで食べるよお?」
「エグいこと言うな、お前。オレとしてはできれば長生きはして欲しいところなんだけど…。まあ死んだら死んだで、それもいいか。
なら死なない程度に全部細切れにして、コイツの腹の上でこれみよがしにカラスのエサに食わせてみようか」
「アハハ!クロロのがエグいよねぇー?それぇ〜〜!」
「そうかな?」
ケタケタと笑うレヤードと、フッと静かに笑ったクロロ。
「こっ、こ…、この……狂犬どもが!!」
顔を歪め、悲壮感たっぷりに『カミヤリ』がそう叫ぶと、言われた2人の若者はお互いの顔を見合わせて――――
それから、揃って同じように口の端を吊り上げ、「わんわん!!」とおどけるようにそれに応えた。
つづく
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最後の最後で面白キャラになっちゃった→カミヤリ
ハゲタカたちの昔の二つ名、「かまいたち」でも良かったんですけど属性が「リーパー」と被ってしまうので「三羽カラス」に。という裏話。
すもも