ザーザーと降る雨の音で目が覚めた。
時計はもう12時を15分も過ぎた場所を指している。
レイがオレ用にくれた2階の部屋のベッドをのたのたと抜けて、オレはとりあえず顔を洗うためにバスルームに向かった。
「………姉ちゃん…?」
顔を洗ってからこの広い家の中を色々歩いたけど、リビングにもダイニングにもレイの姿を見つけることは出来なかった。
雨の音だけが聞こえる、静かな家の中。
ふとテーブルの上を見れば、レイの字で書かれたメモとサンドイッチと、…………野菜スティック…が、置いてあった。
――――――――――――
ジャズへ。
気持ち良さそうに寝ていたので起こさないでおきました。
本屋さんにお買い物に行ってきます。
起きたら食べてください。冷蔵庫にミルクもあります。
P.S…今日はキュウリも食べてあげてくださいね。
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「……って、おい。………スティックはねぇだろ………」
メモを読み取ってテーブルに視線を移す。
コップにはキュウリのスティックが何本も刺さった状態で綺麗にラップしてあった。
………拷問?
無意識にも頬がヒクつく。
とりあえずそれは見なかったことにして、オレは冷蔵庫を開けた。
ミルクを取り出して、次いでオレは昨日のマグカップを探す。
昨日の、黒い猫がちょこんと座った絵柄のカップ。
戸棚にそれを見つけることが出来たけど。
そのカップの隣には、白いちっちゃな猫がやっぱりちょこんと座った絵柄のマグカップがあった。
昨日、レイが使ってたやつ。
――――オレが黒猫なら、アイツはこの白い小猫かな?
「……なんてな。………ま、いいや。このまま飲むか…」
パタ、と戸棚を閉める。
黒猫のカップと白い小猫のカップを仲良くくっつけて、―――そこに置いたまま。
それを眺めながら、オレはミルクのパックを片手に1人テーブルについて、ぱくりとサンドイッチをほおばった。
窓の外はあいかわらず雨が降ってる。
レイ…早く帰ってこねぇかなぁ…。
ザーザーと降りしきる雨。
家を目にしながらも、僕は屋根のあるバス停を一歩も動けないでいた。
「はぁ、困ったなぁ…」
朝は晴れていたのに、本屋を出た帰り道に突然降り出した大雨。
手に持っているのは、さっき買ったばかりの本。傘なんて持ってなかった。
だから僕は紙袋に入ったそれを守るように走って、そしてなんとか雨をしのげるこの場所に避難した。
僕が来たときからすでにそこには、僕と同じく傘を持たない人が何人か、雨宿りをしていた。
ずっと待ってても、ちっとも止む気配の無い雨。
タクシーを呼ぼうにも家が見えてる距離で呼ぶのもちょっと気が引ける。
ジャズが気付いてくれたら一番いいんだけど…。メールにも気付いてくれないみたいだし、まだ寝てるのかな…。
僕は別に濡れても構わないけど、でも買ったばかりの本が濡れるのだけは嫌だったんだ。
新しく出たばかりの、大好きな本。
濡れていないか、カサカサと袋を開けて中を確認する。
本までは濡れてなかったけど、ここに走ってくる間に濡れた紙袋からそのうち本にも染みてきちゃいそうだった。
濡れた袋から出そうかとも思ったけど、飛沫がはねたりしたらそれこそ大ピンチなので、とりあえず袋に入れたままにしておく。
帰ったらすぐに乾かそう。
…………でもどうしよう。
少し風も出てきたみたいだし、このままここにいても結局濡れちゃう。
紙袋ごと服の下にガードして走って帰ろうかな…。
でも今日僕、ワンピースだし…男の人も見てるし、…………困ったなぁ…。
(ジャズ、迎えに来てくれないかなぁ…)
見えてるのに、すごく遠くに感じる僕の家。
ふ〜〜〜と長いため息をついて、僕はただぼーっと家を眺めるしかなかった。
「わっぷ…」
屋根をよけ、横から吹き込んだ雨風に背中を向けて、僕はぎゅっと紙袋を抱きしめて守る。
……むー、こうしてても仕方ないな。
ジャズもきっと待ってるし、―――走って帰ろ。
僕がぐっと決心をつけて、走り出そうとしたとき。
一歩を踏み出す前に、グイッと腕をつかまれ引き止められた。
僕を引き止めたのは、黒い男の人。
―――――大きなバンダナをした、黒髪に黒スーツの男の人。
「あ、あの…?」
「やめておいたほうがいい。今出たらびしょびしょになる」
「でも、あの…僕の家、すぐそこですから大丈夫ですよ」
僕がそう言うと、男の人は僕が抱えた紙袋をピッと指差した。
「さっきから見ていたが、大事な本なんだろう?この雨に濡れたら取り返しつかなくなるぞ?」
「(み、見られてた……;) うー…えと…でもここにいても…結局濡れちゃうし…」
「…そうか…。……それもそうだな…」
ふぅ、と雨の止まない空を眺め、ため息をついたその人。
引き止められたことでそこから出づらくなった僕もふっと空を眺めた。
…完全に機を失っちゃったなぁ……。どうしよう。
雨空を見ていると、何か布が擦れる音が耳に届く。
ふと横を見ると、男の人がおもむろにスーツの上着を脱いでいて、そしてそれを僕の手元にかけてくれる。
「………? …あのぅ?」
「…それがあれば濡れないだろ?」
「へえっ?あっ、え…あの…っ?だ、だめですよ、そんな…」
「気にすることはない。……オレも本、好きなんだ。だから濡らして欲しくなかった」
「そう…ですか…。ありがとうございます。でも、あの…お気持ちだけで…」
僕が上着を返そうとすると、彼はふっと優しい笑顔を見せた。
子供っぽいような、綺麗な笑顔。
僕はなんだか圧倒されて、彼に何を言ったらいいかわからなくなって俯いた。
ジャズみたいに、優しい人…。お気持ちはすごく嬉しいけど………
でもこんな上等なスーツをたかが本のためにカッパ代わりになんて、…はっきりいって困る…。
何もお返しできないのに…。
「…ほら、走って」
「ひゃっ…」
トンッと背を叩かれて、勢いで僕はそこから走り出す。
迷って、足を踏み出せないでいた僕の背を押すように、彼も一緒にバス停を飛び出し、隣を走ってくれていた。
「ご、ごめんなさい…」
「…かまわないさ。家近いって言ってたね。どこ?」
「あっ、はい。えっと…あれです」
距離にして300メートルくらい。僕は道の先に見えた大きな家を、指差した。
あんまりレイの帰りが遅いからテーブルの上でうとうとしてた。ガタガタという音が玄関のほうから聞こえて、パッと目が覚めた。
ガタ、と立ち上がって、オレは帰ってきたであろうレイを出迎えに玄関に向かう。
ああ……結局キュウリだけテーブルに残された惨状を見て、レイはなんて言うだろうな?
オレ、また叱られるかもな。
きっとまた、ほっぺた膨らませて『だめ!』とか言うんだぜ?…やべえ、つっつきてぇ…。
表情豊かなレイの顔を思い浮かべては、ククッと笑いを漏らす。
そんなことを考えながら、オレはとりあえず玄関に見えた小さな影を出迎えた。
『おかえり』って、昔みたいに。言おうと思った。
けど――――――
「あの、ここで待っててください。今タオル持ってきます」
「ああ…すまない」
ぽたぽたと雫を滴らせて、レイは男を連れて帰ってきた。
オレの、知らない男………。
――――――なぁレイ…?
ソイツ、誰なんだよ…。
つづく
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300メートルって、近いようで遠いような…
すもも