黒猫と小猫と黒い蜘蛛 ◆03:タオル



「あの、ここで待っててください。今タオル持ってきます」

「ああ…」

男を玄関に留めて、レイは家の奥へ走って行った。


オレの横を通り抜けたとき撥ねた水滴。何でかレイもびしょぬれだった。

傘…持ってってなかったのかよ…?



玄関に残されたのは、黒スーツを着た黒髪の男。上着はカッパ代わりにでもしたのか手に持っていたけど。

とにかく、ぽたぽたと雫を滴らせたその男は、男のオレから見てもカッコいい奴だった。

ああいう奴が街歩いてたら、女がキャーとか言うんだぜ、きっと。なんか腹立つな。



「ジャズ、ちょっとどいて下さい。邪魔です」

「じゃ、邪魔ッ!?」

ドアの影から覗くように男を観察していれば、背後からそんな声がかかってオレは少なからずショックを受けた。

振り返るとレイが両手にタオルを抱えて立っていた。


「それからジャズ、お風呂のお湯沸かしておいて」

「はぁ!?なんでっ!?アイツ、家に入れんのかよ!?」

「いいから早くして!居候でしょ!!普段何にもしないんだからそのくらいやって!」

――――グサッ!!って!いまっ、なんか刺さった!!心に刺さった!!


へなっとドアにもたれかかれば、男はそんなオレを見てクスクスと愉快そうに笑っていた。


―――くっそ、ほんっと腹立つな!オレが姉ちゃんに叱られなきゃなんないのも、元はといえばテメーのせいなんだぞ!




「ごめんなさい。とりあえずこれで拭いてください。すぐシャワー用意しますから…」

「ああ、ありがとう。かえって気を使わせてしまったな」

「いいえ…」


ひどくすまなそうな顔をしてレイはタオルを持って、男の服から―――体から滴る雫をぺたぺたと吸い取っていく。

…知らねぇ男に、んな献身的なことしなくてもいいって!何やってんだよ!ムカー!


自分だって濡れてるのに、せかせかと男の面倒をみていたレイ。案の定、そのうちに小さなくしゃみをした。

だからオレはタオルを持ってレイをとっ捕まえてこようとしたんだ。

けど、レイのくしゃみに傍の男が気づかないわけもなく。


「…オレのことはもういい。君も濡れているだろ?」

「…わっ!?ぼ、僕は大丈夫です!気にしないで下さい」

「いいから。そのままだと風邪を引く」


言うが早いか男は小さなレイの体をタオルごと抱き寄せ、わしわしと水分を拭きとる。


うにゃうにゃとおかしな声を上げていたレイは、やがてゆるくなった男の手―――タオルの隙間からひょこっと顔を出した。

恥ずかしいのか、困ってるのか、顔を真っ赤にして。



………なんだあの生き物。可愛すぎ。

やべぇ、ぎゅってしたい…。




「…どうした?」

「あ、ああのっ、僕お湯沸かしてきます!」


男に顔を覗かれ、本格的に真っ赤になったあのちっちゃい生き物は、男の手を振りほどいてすたたっとバスルームのほうへ逃げていった。

あれでまたバスルームに隠れてたら可愛いな。


……って、のほほんとしてる場合じゃねーだろ、オレ。何とか今のうちにあの野郎を追い出さなくちゃ。

あんな奴にレイを獲られるなんて冗談じゃねー。



レイがいなくなった後も、玄関に留まってタオルで体を拭いていた男。

ドアの陰からじとっと睨むオレの視線に気付いて、男はふとその端正な顔を上げた。


目線が絡んで、オレはとっさに部屋の中に隠れた。




………くっそ、やべぇ。あの野郎、顔やルックスが良いだけの男じゃねー。


…あいつ、オレよりも強くねー?



レイの彼氏候補は残らずぶっ飛ばそうと思ってたけど、あれは間違いなく無理だ。オレの方が返り討ちにされちまう。

…くそ、何とか言いくるめて帰ってもらうしかねーな…。













ドアの陰からこっちを覗き見ていた、少年のような青年のような…若い男と目が合った。

目が合うと青年はサッと隠れてしまったが、ふわっと揺れた髪は、本を大事そうに抱えていたあの少女と同じ色をしていた。

少女が話していた『弟』とやらだろうか?





―――雨の中、オレが出した問いに答え、少女が指差した先にあったのは大きな家。

素朴な雰囲気を漂わす小さな少女には不釣合いなほどの大きな家を目指して、オレと彼女は共に走った。


「あれが僕の家です」

「あれが…?随分と大きな家に住んでるんだね」

「そうですか?」


きょとんとした無防備な顔がやけに可愛らしい少女。

一般常識がずれているのか、あんな大きな家も当然であるように言う。


「…へぇ…見かけによらずお嬢様なんだ」

「あっ、いいえ、違いますよ。あれは古い家を安く買ったんです」

「買った…って、キミが買ったの?」

「そうです。1人ぼっちの弟と一緒に住むために買ったんです」


そう言って少女はにっこりと微笑んだ。

それはとても暖かく、柔らかな笑顔だった。


弟と住むために買った、ということはどうやら彼女に両親はいないということ。


小さな弟を守ってけなげに生きているのかなどとそのときは思ったが。………どうも違うらしい。




――――でかいじゃん、弟。




じーっと様子をうかがっていると、『弟』と思われる青年が部屋から出てきた。

あの少女と、瓜二つ。多少男女の性別による違いはあれど、少女と同じ髪の色、瞳の色、同じ顔をした細身の青年だった。


………しかしでかい弟だ。彼女より大きい。軽くオレくらいはある。

…一体何歳なんだ?彼女は…。




「…アンタ、名前は?あいつに何の用?」

ピッと親指で家の奥を指して、青年はオレを威嚇するかのように少し低い声で聞いてきた。

スレた印象を与えようとしているのか、少し乱暴な喋り方をしてすごむ。


怖い兄でも演じてるつもりかと思うと、少し愉快だった。

悪いけどバレバレなんだよ、弟くん。



「人に名を聞くならまず自分が名乗るべきじゃないか?お前こそ、彼女の何だ?」

挑発するように言うと青年は少しムッとする。…見た目こそ綺麗だが、まだまだガキだな。

「………オレはジャズだよ。お前は。」

「クロロだ。………彼女はお前のお姉さんか?」

「あぁ?あれはオレの妹だよ」


すごいな、言い切ったぞ。コイツ。


…っと、思ったらスコーンと小気味いい音をたてて何かが彼の後頭部に直撃した。

なんだ?何が飛んできた?スリッパか?


後頭部を押さえしゃがみこむ彼の背後…廊下の向こうに、何かを投げた後のポーズの少女が見えた。



「ジャズ!お客様にまでわざわざウソつかないで!!」

「いってーな、念飛ばすことねーだろ姉ちゃん!」

「ジャズがウソつくから悪いんです!バカァ!

「バ、バカとか言うなぁっ!!」


そんなやり取りが面白くてなんだか自然と笑いが漏れた。


念…と言ったが、この2人も能力者なのだな…。

ならばあんな少女に家を買うような大金があったのも頷ける。



「ごめんなさい!お湯ご用意できたのでどうぞ上がってください」

「あ…ああ、ありがとう」

考えていたらいつの間にか少女に袖を引っ張られていた。そして家の奥のシャワールームまで案内される。

ジャズと名乗った青年の視線が背中に痛い気もするが。




「すみません。僕のためにせっかくのスーツを濡らしてしまって…。どこかへ出かける用意があったんですよね…ごめんなさい」

脱衣室でタオルやなんかを用意しながら、少女が言う。


「別にたいした用事じゃない、気にすることはないさ」

「そういうわけにもいきませんよ!僕の責任です!何とかして乾かしますので、スーツ脱いでください!」

「……脱いでください!って…ここで?」

「そうですよ?なにか?」

「いや……キミの前で脱ぐの?」


「……あっ…;」


「キミが脱げって言うなら脱ぐけど…」

「わあっ!??ごめんなさい許してください!!外にいますので脱いだらそこに置いといてください!」


ごそごそとオレがシャツを脱ごうとすると、少女は驚いて跳ね上がって、おかしな悲鳴を上げながら脱衣所を出て行った。




……………天然なんだろうか?


………いや…、天然なんだろうな………。












「レイ!?」

「はあはあはあ…;ジャズ…?」

勢いよく扉を開けて、レイが脱衣所から飛び出してきた。

そしてバタンッと後ろ手に扉を閉めて、レイは何度か荒く息をついていた。


「あの野郎になんかされたんだろ?大丈夫か?なんならオレがビシッと言ってやるぜ?」

「そ、そんなんじゃありません!失礼なこといわないでください!!」

確めるように聞いたら、べしべしと胸を叩かれた。


「いて、何そんなに怒ってんだ…?」

「怒ってないです!」


いや、怒ってるだろ…。


「だいたい、ジャズが悪いんですよ!?」

「は?」

「…僕、何回もメールしたのに…」

「メール…?」

むーっとして言ったレイ。


つかメールなんてオレは全然覚えがねー。

……っていうかオレ、ケータイ…?どこやったっけ…;


ごそごそとポケットを探ったけどそれらしい手当たりはないし…。

……あ、ベッドんとこに置きっぱかも。そりゃやべぇ…。




「…迎えに来てくださいって、何回もメールしました…」

「ご、ごめん…;」


「ずっと、…待ってたのに…」

「ごめん……」


泣きそうな顔をされて、本気で焦った。


ぎゅっと抱きしめた小さなレイの体。レイの服は雨で濡れて冷たくて。だからオレはなおさら強くレイを抱きしめた。



―――寂しい思いをしてたのは、きっとオレだけじゃないんだ。


レイはきっと、………ずっと、待ってた。

…オレのこと…ずっと。






「…ジャズが来てくれないから…あの人がスーツをカッパ代わりに貸してくれたんです……。あの人のこと悪く言うのはやめてください…」

「そっか…ごめん、オレ勘違いしてた。…悪かった。もう言わないよ。…だからお前も早く着替えてこいよ。じゃねーと風邪引いちまうぞ?」

「うん、わかりました…。………ごめんなさいジャズ」

「ん…?」

「怒ってごめんなさい…」


照れた顔のレイに抱きしめられて、ちょっとドキドキした。

オレは小さなレイの背中に再び手を回して、レイを優しく抱き返す。





――――ごめんな。オレ、もうどこへも行かないよ。

お前が呼んだら、今度はすぐ飛んでいくからさ。




もう独りで泣かなくてもいい。


これからはずっと、お前のそばにいるから…。






「……レイ……」

「うん…?なに?ジャズ…?」

「あの…、オレ……」


「―――ねぇ、脱いだけどどうしたらいいのかな?」

「わああーっ!あ、あの、ぼ、ぼぼ僕が持って行きます!」


一言…たった一言レイに伝えようとしたら、オレの正面の(レイの背後の)ドアが開いて黒髪の男が顔を出した。


突然の男の声に、レイはあまりに驚いたようで、オレはドンッとレイに突き飛ばされて。

廊下の壁に思いっきり頭をぶつけて、その場にうずくまった。




―――――くそっ!あの野郎、やっぱ嫌いだ…!!








つづく


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