あの崖を普通によじ登れないこともなかった。
体力もまだあった。
けれどそれ以上に精神的な疲れがピークだったので僕はレイ・フォースを使うことに決めた。
みんなやヒソカさんにも見られるけど、もういいや。
―――――僕はジャズを無理やりに押さえ込んだことで、なにもかもが億劫になっていた。
今はもう、早く休みたい。
手のひらにオーラを集中する。
頂上のネテロ会長をイメージして。
オーラを、飛ばす。
そして僕もその矢の先に意識を集中して
――――飛んだ。
谷間から光の矢が飛び出した。
その矢の正体を知っているのはネテロとサトツだけだ。
ネテロはその矢の軌跡を見つめていた。
山のはるか上空で光の矢はUターンして、引力に惹かれるようにネテロの足元に落ち、落下地点からはぶすぶすと煙があがる。
その煙を見ながらネテロが言った。
「ほっほっほ…。一番乗りはゼロか。いやはや、さすがに早いの」
「ちょっと疲れたので使わせてもらいましたよ」
ゼロは「念を」という言葉は口には出さなかったが、ネテロとメンチ、ブハラ、サトツにはそれが通じたようだった。
テスト生たちの背後からそれまでなかった気配と声がしたことで、その場に残っていたテスト生たちは皆一様に驚き振り向いた。
その視線の先には1人の男。――――受験番号、1番の男。
いつもなら愛想を振りまいて邪魔な連中に避けてもらうところだけど、面倒だったのですたすたとメンチさんの元にまっすぐ歩いた。
僕は何も言わなかったけど、この場に残っていた周りのテスト生たちが勝手に僕を避けて、道が出来た。
「はい、メンチさん。卵獲って来ました」
「あ…。そうね。…受験番号1番!合格!」
「ありがとうございます」
卵は、おいしかった。
第二次試験後半、メンチのメニュー。合格者42名。
残った42名は次の目的地に向かうべく飛行船に乗り込んだ。
「次の目的地へは明日の朝8時到着予定です。こちらから連絡するまで各自自由に時間をお使いください」
「ゴン!!飛行船の中探検しようぜ!」
「うん!!」
試験官たちからの今後の軽い案内の後、「自由時間」と聞いたキルアとゴンが、我先にと嬉しそうに駆け出した。
そんな2人を見て、レオリオとクラピカはげんなりしていた。
「昼間あれだけ駆けずり回ったってのに…。元気な奴らだな…」
「まったくだ…」
しかし走り出したと思えば急に立ち止まり、振り返るゴン。
そしてレオリオとクラピカの隣に立っていたゼロに向かって言った。
「あ、ゼロ!ゼロは早く休みなよ!」
「うん、そうさせてもらうよ。ありがとうゴン」
にこりと笑って、ゆらゆらとゴンに手を振るゼロ。
「オレももう寝るぜ…」
「私もだ。ひどく疲れた…」
「あ…。クラピカ、レオリオ。」
ゴンとキルアが居なくなってから、ゼロはレオリオとクラピカの2人を呼び止めた。
「あ?」
「なんだ?ゼロ?」
「今日はありがとう。僕、みんなに会えて本当に良かったと思います。ハンター試験、合格しましょうね」
そう言ったゼロ。
顔は笑っているのに―――しかし、いつもの表情ではなかった。
笑顔を貼り付けた人形のように、
まるで無表情だった。
「…あ、あぁ、私もゼロに会えてよかったと思っているよ。皆合格できるといいな」
「そうだぜ、ちょちょいとな!だからゼロ、お前はもう休め。一番疲れてるのは、お前だろ?」
「はい。ありがとうございます。そうさせていただきます。ではまた明日…」
「ああ」
「また明日な…」
挨拶を交わして、少しよろよろとゼロは歩いていった。
その背を見てクラピカとレオリオはとても心配になった。
彼がそのままどこかへ消えてしまいそうで―――。
「あいつ、大丈夫なのか…?」
「彼が大丈夫だと言っている以上、私たちはそれを信じてやるしかないだろう…。 …私たちも少し休もう」
「ねぇ今年は何人くらい残るかな?」
飛行船内の一室に、試験官たちが集まっていた。
そろって食事を摂りながらメンチは他の試験官、ブハラとサトツに問いかける。
「何人って…合格者って事?」
「そ、なかなかのツブぞろいだと思うのよね。一度全員落としといてこう言うのもなんだけど」
サトツは黙って聞きながら食後の紅茶に口をつけていた。
「サトツさんはどう思う?」
「…そうですね。ルーキーがいいですね。今年は」
「あ、やっぱりー!?あたし294番がいいと思うのよねー。ハゲだけど」
「唯一スシ知ってたしね」
「スシといえば1番もなかなかのセンスしてたわよ」
メンチの「1番」という言葉を聞いて、サトツは相槌を打った。
「1番…、ゼロくんですね。彼はいいですよ」
「…サトツさん知り合い?」
「多少…ですが。以前仕事で一度だけチームを組んだことがあります。
…彼はあの若さですでに念能力による戦闘の型が完成しています、が、まだまだもっと大きな力を秘めている。そういう方だと感じました。
他にも一度だけ、始末屋の弟さんにも会ったことがあります。
双子の弟さんも天才的な能力者でしたが、ゼロくんはまた弟さんとは別のタイプの天才なのでしょうね…。努力によって練り上げた天才、というか…。
できるならもう一度組んでみたいものです」
「あ、やっぱり!!あの顔、どこかで見たと思ってたのよね!「始末屋の双子の弟」って、ジャズ=シュナイダーって名前じゃない!?」
「えぇ」
メンチとサトツのその会話に、ブハラが驚いて口の中のものを吹きだした。
「えっ!?始末屋ジャズに兄弟なんかいたんだ!?」
「……ええ、そのようです。ゼロくんの名前はほとんど出していないようですが「始末屋」は彼ら2人で運営しているそうですよ。
ゼロくんはハンター証を持っていないため、あえて"ジャズ"と名乗ってジャズくんのライセンスを使ったこともあるそうです」
「えー、それってマズくない?」
「だから今回試験を受けているんでしょうな」
言って、サトツは静かにお茶を飲み干した。
「くそ、すっきりしないな…眠れやしない…」
午前4時半。
もう空が白んでいる。
飛行船内の片隅で、キルアがため息を吐いていた。
ネテロとのボールの取り合いのあと、ぶつかったテスト生を刻んでもイライラが取れなかった。
…眠れない。
キルアは仕方なく、まだ暗い飛行船の船内を歩き始めた。
当てなどなかった。
ぼんやりしながらしばらく船内をぶらついていたら―――ふと、廊下の先を誰かが通り、曲がり角に消えていくのを目にした。
あの背丈に、あの風貌。
おそらくは自分の知っている、あの男。
もう起きたんだろうか?
キルアは無意識にその人物が消えた先を目指していた。
角をまがってみると、さっき見た人物が窓際に寄りかかりケータイをいじっていて――――
なんとなく、キルアは隠れた。
(あれ?何で隠れたんだろう、オレ…)
わけわかんねー。
暇つぶしになにか彼と話したいと思って、思い切って声をかけようとしたが、止めた。
彼を挟んだ向こう側の廊下から誰か来るのがわかったから。
―――――先ほどまでホールでやりあっていた、ヒゲのジジィ。
あのジジィにだけは絶対に見つかりたくない、となぜか思った。
より一層気配を、息を殺して、キルアはその場に隠れる。
「おや、こんなところで何をしているんじゃ?」
ジジィが、窓際の男へと尋ねる。
それには何も答えなかった男。
「………ジャズ…。ここは関係者以外立ち入り禁止じゃぞ」
次にヒゲのジジィが言ったのはキルアの知るあの名前などではなく、まったくもって聞きなれない名前だった。
「…ハ………、オレとジジィの仲じゃねぇか…。堅いこと言うなよ…」
ジャズ、と呼ばれたその男はやっと―――キルアの良く知るあの男と同じ声で、ひどく色っぽくそう言った。
「…何しに来たんじゃ?ジャズ」
「…別に。…アイツが試験受かるかどうか見に来ただけだぜ?」
「心配はいらんよ。ゼロなら合格できるじゃろ。…おぬしが手を出さんでもな」
「ハッ…だといいな」
「おぬしに手を出されても、失格するのはゼロじゃよ。わかったら黙って待っていなされ」
「……フン…。…てめぇも、下手な小細工すんじゃねーぞ。
くだらねーマネしやがったら…オレは一生かけてでも、てめぇをこの世から"消化"してやるからな?」
「ほっほっほ。おぬしごときに簡単にやられるほど、わしはもうろくしとらんぞい。
……それにわしもまっすぐにゼロを見ていたいのでな。意地悪はするかもしれんが、おぬしの思っているような小細工はせんぞい。
わかったら帰りなされ」
「…なんだよ、客に茶ァも出さずに追い返すのかァ?ここは…」
「ふむ…、よかろう。では一杯ご馳走しようかのう。わしの部屋へ来なされ」
そう言って、くるりと踵を返したジジィの後を、知らぬ名の男はコツコツとついて行ってしまった。
「ジャズ……」
キルアはその名をつぶやく。
…その名をどこかで聞いたことがあった。
だが一体どこで聞いたのだろう。
…思い出せなかった。
そしてまた一つ、眠れない理由が――増えた。
つづく
NEXT→07:トリックタワー/
←PREV(前話へ)
普段はゼロさんが兄で、ジャズくんが弟、の双子として通しています。
すもも