「死神が持つ斬魄刀はどれもが皆名前を持っている。君のそれにも必ずあるはずだ。…そしてこれが僕の斬魄刀の名前だよ」
『砕けろ、鏡花水月』
右手を前に突き出し逆手に持った斬魄刀に藍染がそう命じると同時に、真っ白い霧が演習場の上―――ゼロの周囲を包み込んだ。
正面に立つ藍染の姿はおろか、ゼロが握っている斬魄刀の切っ先までもがうっすらとかすみがかるほどに、深く濃い霧が。
「…これは…?」
霧の中に1人残されたゼロは、刀を正面に構えたままとりあえず藍染の姿を探した。
目の端に捉えた藍染らしき姿を反射的に刀で切り裂いたが、捉えたのは霧に揺らぐ影のみだったようで、何かを斬った手ごたえは無かった。
「へぇえー!?幻覚能力ってやつですか?なんかすごい!」
「そうかい?なんだか楽しそうだね?」
何故だか楽しそうに声を弾ませるゼロに呼応するかのように、藍染の声が霧の中から聞こえてきた。
造られた霧のせいかその声は様々なところから反射して聞こえ、声の出所からその居場所を探ることは出来なさそうだった。
「これが僕の斬魄刀『鏡花水月』と、その能力だよ。こうやって『解号』とともに名を呼べば、斬魄刀はその声に応じて姿を変え、その力を示してくれる。
僕の『鏡花水月』の場合は今のように水と霧を利用して、鏡の乱反射の要領で相手の意識を誤認させて同士討ちにさせることもできる…、流水系の能力を持った斬魄刀なんだ」
「へぇ? あっ………、なるほどー」
「……もしかして戦る気満々だったかな?」
「あはは…、すいません;」
まさか能力についての解をもらえるとは思っていなかったゼロ。
面白そうな能力とのめぐり合わせに、当初の目的を頭から吹っ飛ばしていたらしい。
今まさに"円"か何かの手段で藍染の居場所を探りその能力を破る気になっていたゼロは、どういう経緯でこういう状況になったのかをふと思い出して、バツが悪そうに頭を掻いていた。
「あの…、どうしたらいいですか?僕が、僕の剣の事を知るためには…」
今この場で自身がやらなければならないことは"相手を倒す"ことではなく、手に持った斬魄刀を"解放する"こと。
それを思い出し、深い霧のどこかに居るであろう藍染に向かって、ゼロは問いかける。
―――この斬魄刀の名前を知り、その名を呼ぶ。
藍染はそのための手本を見せてくれたに過ぎないんだと、ゼロは手に持った刀をぎゅっと握りなおした。
「教えてください、藍染隊長さん…!」
もう一度、霧に向かって懇願する。
すると藍染の柔和な声が、霧の中から再び聞こえてきた。
「そうだね。さっきも言ったように、そんな難しく考える必要は無いんだよ、ゼロ君。
大丈夫、君には才能がある。死神として申し分ないだけの霊力と、それを扱うだけの素養を君はもう持っている。今はまだその扱い方を知らないだけだ。
…さあ、耳を澄まして。君はもう聞こえているはずだよ。誰かの、君を呼ぶ"声"が…。それこそ君の斬魄刀の…、君自身の魂の"声"だ」
「僕自身の魂の声を聞く…ですか…。あっ、そういえば似たようなことはやったことあります」
「そうかい?それは頼もしいね。なら外界の雑音は僕とこの『鏡花水月』とで消してあげるから、君はただその手に握る刀一つに意識の全てを集中するんだ。そして自らの心と…魂と向き合う。いいかな?」
「はい!」
ゼロが返事を返すと、それを境にそれまで霧の中でモヤモヤと漂っていた藍染の気配が、ゆらりとかき消えた。
自分の気を散らさないようにと、藍染が斬魄刀の霧の能力でやってくれたんだろう。改めて、すごい能力だなぁなどとゼロは考える。
それからゼロは、手に持った斬魄刀を正面に構えて、自身を落ち着けるように長く息を吐いた。
「ふー……」
ゆっくりと目を閉じ、握った剣の感触のみに意識を向ける。
(己と向き合い、魂の声に耳を傾ける…か。大丈夫、難しいことじゃない…。念の修行と一緒だ…。あ…いや、違うか……「燃」の方…の………)
先ほど藍染に向かって言った『やったことがある』という言葉も嘘ではない。
ゼロにとってはそれもまた慣れ親しんだ修行のひとつだ。
――――「燃」
「燃」は「念」を使うための、その前段階の心の修行。
藍染が言っていたことも、きっとそれと同じことなのだとゼロは本能で感じ取っていた。
―――斬魄刀は本来、今君が手にしているそれのように誰かから与えられる物ではなく、死神の霊力そのものがその魂に呼応して形を変えたモノ―――
―――死神にとっては自身の分身ともいえるもの。自身の魂のもう一つのカタチだ―――
「念」もそして「斬魄刀」も。
きっとどちらも同じ、使う本人の心から結晶化されたもの。
「(……僕だけの念。僕だけの能力。僕だけの斬魄刀。
僕の心が生み出す…もう一つのカタチ。……その声が、僕を呼ぶ……?)」
同じような存在を、なんだか知っている気がした。
「おや?」
斬魄刀を正面に構えた格好で目を瞑り、刀へと心を傾けるゼロ。
そんなゼロを、藍染はそのすぐ脇へと歩み寄って観察していた。
「…早いな、もう"入った"のか。一度の教えでこうもたやすく斬魄刀に同調できるとは…。総隊長の前で見せたあの霊圧の制御術といい、やはり君はどこかで何らかの訓練を受けているようだね」
表情にはいつもと同じ笑顔を貼り付けているが、何かがいつもと違う。そんな異様な雰囲気をまとい、藍染は呟く。
その声の大きさも、もちろん平時ならばゼロにも十分届く範囲ではあるが……。
始解を見た者の五感の全てを支配する、藍染の斬魄刀『鏡花水月』。
それが発動した今、例えこうして藍染が間近に立っていてもゼロにはその姿も声も知覚はできない。
この霧の中、目に見えるものをその目に正しく捉えることができるのは、その斬魄刀を手にした藍染のみだ。
その能力があるからこそ藍染はゼロの相手役をこうして買って出、そして死神にとって自身の分身でもある斬魄刀の、その初めての解放に立ち会うことで藍染はゼロの力の根源を見極めようとしていた。
手を伸ばせば触れ合える距離に立ち、藍染はただじっとゼロの観察を続ける。
「……さあ見せてくれ給え、ゼロ君。
君の力が果たして今後の僕の計画の妨げになるのか、それともこの先の見えない閉塞感を打ち破る新たな可能性になってくれるのか。その真価を問わせてくれ」
――――藍染隊長さんの声も気配も、霧の匂いも、外の喧騒の全部が消えて……最初に聞こえたのは、水音だった。
水溜りに、ぴちゃんと雨粒がしたたり落ちる音。
霧のような雨が静かに降りしきる―――"あの日"の夜に聞こえていた…、あの音。
「オレが護ってやるよ」って…、ジャズがそう言ってくれた"あの日"の――――
『
ゼロ』
"あの日"と同じように、口元には笑みを浮かべて…僕に手を差し伸べてくるジャズ。
そのイメージに呼応するようにこの耳にジャズの声が届いた気がして、僕はうっすらと目を開けた。
「…? ここは…?」
喋ったら口からゴボリと空気の泡が舞った。
足も地面には着いておらず、いつも目にかかっている僕の長い前髪はゆらりゆらりと視界を泳ぐ。
「…えっ…、み、水…の中…? なんで?;」
一体何が?と辺りを見回すと、今の今まで立っていたはずの演習場の様子とはまるで違う景色が広がっていた。
頭上からはキラキラと明るい光が差し込んで、上を見れば青い空を映す水面が静かに波打つ。
周囲には建物も陸もどこにも何も見えず、澄んだ水だけが世界を覆い尽くしていた。
ただ『水の中』と言っても、本物の川や湖の水と違って体にまとわりつくような重さは無くて。
「(息…苦しくないし…)」
現実に水に落ちたわけじゃないみたいだった。
「(なんだろ…?もしかしてここが、僕の魂が呼んだっていう、僕の世界…なのかな…)」
でもなんで水中?;
まぁ息も出来るし水中でも構わないんだけど…とりあえず何をするにも水の中からは出てみたほうがいいかと、僕は光差す水面を目指し泳ぎ始めた。
―――――と…。
「…あれ?」
何か聞こえたわけじゃない。
でもその瞬間、確かに誰かに呼び止められた気がした。
どこから聞こえたかも分からない。
だけど僕の視線は、陸地も遠く見えない深い闇色に閉ざされた水底の方を向いていた。
「…………。」
最初はジャズかと思った。
『おい、どーした?へなちょこ』って……僕の事を楽しそうに茶化す、ジャズのいつもの…明るいあの声かと。
でも今僕を呼んだその声は、"そんな感じ"じゃなくて。
ジャズに呼ばれる時の"感じ"とはまったく違う、嫌な気配。
それが水底の方からぞわぞわと立ちのぼり、僕の身体を…心を捕らえていた。
息苦しいほどにドキドキ心臓が早鳴って、額からは汗が噴き出してくる。
なのに僕は、暗い水底から一時も目を離せずにいた。
「……気のせいだ、気のせいだ。こんなところに誰か居るはずがない。泳ぐときの水流が渦を巻いてそれっぽく聞こえただけ…」
こんな場所でジャズ以外の誰かに呼び止められるわけがないと、なぜか僕の頭はフル回転で否定の言葉だけを探していた。
(僕は、その"声"を探してここに来たはずなのに)
―――見てはいけない。聞いてはいけない。
気にせずに早くこの海を出よう、早くあの明るい水面の向こうへ上がろう、となぜか強くそう思った。
なぜ…?
…いや、考えちゃダメだ。
とにかく、早く、何も聞こえないうちに。光差すあの場所へ。
そう思って、青い空と光が揺れる水面を向いた。
…けど…。
『………ゼロ…。』
僕の名を呼ぶか細い声が今度こそはっきりと耳に届いて、僕は泳ぐのを止めた。
「…この声…、……ジャズ…?」
…もしもその声がさっきと同じ声色だったなら、僕はやっぱり『気のせいだ』と切り捨てて逃げていただろう。
でも今しがた水底の方から聞こえた声は、さっき僕を呼んだ声とは違う……僕がいつも聞きなれたジャズの声に似ていた。
「…ジャズ…!?ジャズ、そこに居るんですか…!?」
水面からの光も届かない、深く暗い水底に向かって叫んでみた。
だけど僕が望んだような返事が返ってくることはなく。水底からはさっきまでと変わらず、嫌な気配だけがざわざわと立ち上ってくる。
……本当は嫌だった。
"それ"を聞くのが。"それ"を見るのが。
でも、もしもジャズが本当に僕を呼んでいるなら―――
今にも泣き出しそうな、あんな声で僕を呼ぶなら―――
「(行かなきゃ…!)」
もう君だけにつらい思いをさせるなんてしないって
僕だってキミのために強くなるって、誓ったから…!
行くな、行くな、としきりに本能が警鐘を鳴らす中、それでも僕は意を決して、深遠の彼方の闇へと潜っていった。
つづく
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すもも