double style ◆68:上がった雨




ゆっくりと頬をなでる誰かの手は、暖かくて優しいものだった。









――――少し夢を見た。

僕が小さかったときの、…ジンさんと一緒に過ごした、あのころの夢。





ジンさんの仲間の人が、ぼくのためにミルクでおかゆを作ってくれたことがあった。


白くてきれいな器によそわれて、あったかそうに湯気を立てていたそれも、今はもう随分と冷えてしまった。


なんども口へと運ぶけど、どうしても食べられない。

――――薄暗く汚い部屋で、『あのひと』がもってくる、"えさ"を思い出してしまって。




「ほら、ゼロ頑張れ。ちゃんと食べないと死んじまうぞ?」



ぼくを膝の上に乗せて、ジンさんはそう言って優しくなでてくれたけど、――――思い出して、きもちわるくて。

食べたくても食べられなくて、………どうしても食べられなくて。


悲しくて泣いていたら、ジャズが全部食べてくれた。








ジンさんの仲間のひとがやってきた日。



ジンさんにくっついたまま大きなおにいさんに向かって、がんばって自己紹介をしたぼく。

ぼくの小さな声の挨拶に、おにいさんは笑ってぼくの頭をなでた。


伸びてくる男のひとの手が怖くて

―――――『あのひと』の手がぼくを強く押さえつけるから―――――




ジンさんにしがみついてたら、ジャズが「しょうがねぇな」って代わってくれた。








毎日毎日、夜が来るのが怖かった。


ジンさんがそばにいても、優しくぼくを抱きしめてくれてても

夕暮れ時になるといつも、夜が来るのが怖くて震えてた。



――――夜になると、悪魔がやってくるから。『あのひと』がぼくを"ころしに"やってくるから――――


それが怖くて




(あのひとはもういないのに)―――――




ジンさんがそばにいても、僕を抱きしめる手が暖かくても、

夜が怖くて


ジンさんの腕の中で震えていたら、ジャズが代わりに夜をすごしてくれた。









怖い夢を見て目覚めた朝も。

街の中で迷子になったときも。


あのころはいつでも、ぼくの傍ではかならずジャズが笑っていてくれて。ジンさんが手を差し伸べてくれた。






…今、僕に手を差し伸べてくれるジンさんはここに居ないけど…



でも僕の傍には―――――

















頬をなでたクラピカの手。


クラピカの叫びに呼応するかのように、目の前の男が目を覚ます。

うっすらと開いた男の瞼に、その場のみなの視線が集まった。



「ジャズ………?」

「………。」



クラピカと少し目を合わせてから男は再びすうっと息を吐いて目を閉じる。




ほんのわずか、動いた『時』。


ゴンもキルアもレオリオも、それを確かめようと息を殺した。

しんと静まり返った部屋にクラピカの呼びかけが妙に大きく聞こえた。





「…ジャズ…」


もう一度、静寂に包まれてしまった室内。

願いをこめて、クラピカはサラサラと青年の髪を撫でた。



錯覚でも、偶然でもいい。もう一度…。


その瞳を開けて、笑って欲しい…。








さらりと髪をなでた指先。

その指の動きに合わせるように、青年がゆっくりとその瞳を開いた。



「…………クラピカ……」

「…なんだ…?」


動いた唇がクラピカの名を紡ぐ。その声の柔らかな響きに、応えるクラピカの声が震えた。



「…クラピカ」


「……ここにいる。私、は…ここにいるよ…」



そっと微笑んで、クラピカは青年のその手を握る。


きゅ、と手を握ると、青年もわずかに手を握り返してきた。

それに思わず感情が溢れて、クラピカは顔を伏せた。


ぽつ、と、手のひらに雫が落ちた。







「クラピカ……泣いているんですか…?」


「…私は泣いてなどいないよ…………ゼロ…」


「そうですか…。よかったです……」




にこりと笑った―――ゼロ。


長い間見ていなかったその笑顔は、前と変わらずに優しいもので、見ていればそれだけで心を癒す。そういうものだった。



「ゼロ…。…そうか……よかった………。よかった…」

ゼロの手を両手で握り締め、ほっと息を吐いたクラピカ。

だがまだその心には暗い影が落ちていた。





―――未だ、彼には会えない。









ふと、ゼロの手が頬に触れて、クラピカは落としていた視線を上げる。



「クラピカ」

「…ゼロ…」


そこにあるのは、穏やかに笑ったゼロの顔。

自分の体温が高いせいか、すこしひやりとしたゼロの手がとても心地よく感じる。




「ゼロ…すまない…。私はお前を救えなかった…、……ジャズを傷つけてしまった…」

「どうしてクラピカが謝るんですか…?僕もジャズも…別にクラピカを責めたりはしてませんよ?」

「………そう…だろうか…」


「そうですよ。ジャズを…一番に苦しめていたのは誰よりも僕自身ですから…。 …クラピカにつらい思いをさせたのも、ジャズを苦しめていたのも、何もかも、僕のせいです…」


「…そんなことは無い!……そんなことは……」


苦笑いをするゼロに向かって、クラピカは少し声を荒げてその言葉を否定する。




ゼロさえ…、ゼロさえ最初に奴らに傷つけられることがなければ、お前たち2人は今までのように、一緒に…変わらずに笑っていられたはずなのに。




クラピカがそう言うと、ゼロはフルフルと頭を振ってそれを否定する。



「…僕、今では少し感謝してるんです。

…あのまま、あのときに何事もなく…今までのままずっと過ごしていたら…僕はいつか必ず、もっと残酷な過程を負って…もっと悲惨な形でジャズを失っていたでしょう…。

あの人に…父につけられた心の傷はもう消したくても消せるものじゃない…。 一生残る…、一生…僕の心を切り裂き続けていく刃であり毒なんです。


……でも、いままでずっと…その傷を、毒を飲みつづけていたのは僕ではなかった……。

今の今まで、ずっとジャズが…僕の代わりに全てを受け止めていたんだって…、僕、今回のことでよくわかりました。

…僕があの人の影に怯えることで、何よりも傷ついてるのはジャズだって……あのときちゃんとわかりました。


ジャズをずっと苦しめて続けていたのも、……ジャズを泣かせたのも………僕なんです…。 全部、弱かった僕が悪いんですよ…」


「…ち…がう………ゼロは…」






ゼロの独白を静かに聞いていたクラピカ。そしてゴンたち4人。



ジャズの痛みを知った今、ゼロのその言葉を安易に否定することは出来なかった。




苦しんだのは、ゼロも、ジャズも同じ。

ゼロとジャズは、どんなに違いがあっても同じ『1人の人間』だから。




泣いていたのは、ジャズでもあり、ゼロでもある。












黙って視線を下げるゴンやキルアを見て、ゼロは本当に嬉しそうに笑った。

そして決意のように言葉を吐く。



「…僕、強くなりますよ」

「え…?」


「……急には…無理かもしれません。 ……けど僕、これ以上ジャズを傷つけたくない…失いたくない……。


あの人の事はもう忘れることなんてできないし…本当は思い出したくもないことがいっぱいあるけど……でも、その全てをジャズだけに押し付けるなんて…もうできませんよね…。

僕たち、たった2人だけの『兄弟』だから……辛いことは分け合えばいいんです。…もちろん楽しいことも。 ……だから僕、強くなります。」




ゼロの告白を、きょとりとした風に目を開いて聞いていたゴン、キルア、レオリオ。

その後ろではセンリツが1人、にっこりと微笑んでいた。



「……ゼロ、……それは…どういう……」


なんとなく、ゼロの言いたいこと…自分たちに伝えようとしている『事実』を察することはできたが。

ゼロの口から、―――彼の口から確かな答えが欲しくて、クラピカは尋ねる。




クラピカの涙を抑える震えた声が嬉しくてゼロは笑った。



彼らが一番に聞きたいことが何なのか、そしてそれに対する答えを出せるのは自分だけなのだということはゼロもよくわかっている。






「それは………だから僕、何が言いたいかというとですね…」




そこまで言ってゼロは目を閉じた。















――――――疑問に対する答えは、たった一つだけ。




…ね、ジャズ?















再びその瞼を開いたときには、少し意地悪気な笑みを浮かべて。


そこには別の男が現れる。




「だから………オレはまだ死んでもいないし、ちゃんとここに居るから安心しろってことなんだよ。…クラピカ」

「………ジャズ…!」


にっと、少しバツが悪そうに苦笑したジャズ。






ゼロも、―――――ジャズも。


ちゃんとここに居る。





それを見たクラピカの瞳から、抑えていた涙が形を成してポロリと零れ落ちた。


「ハ、何泣いてんだ…バカが」

「フフ、フ……相変わらず…口の減らない……」


ぎゅ、とクラピカが涙を拭う。

その様を見て、ジャズは少し困ったような、でも嬉しそうな、そんな笑みを浮かべてクラピカをなでた。


と、その時。




「「―――ジャズ!!」」


「あ?」

「うわっ、ゴ、ゴン?!」


クラピカの背後から、クラピカを巻き添えにしてゴンとキルアがジャズに飛びついてきた。

突然のことに驚いたクラピカが声を上げる。



「このっ、もったいぶって…心配させんじゃねーよ!バカジャズ!!」

「そうだよ!!すごい心配したんだよ、ジャズ!」

「ゴ、ゴン、キルア…;」

「なんだこの、いて、この…っ止めろ叩くな!」


上にのしかかられたままで、バシバシと頭やら腕やらをゴンとキルアに叩かれたジャズ。

ジャズはぐいぐいと2人を押しのけてベッドの外へ追いやろうと必死だし、ゴンとキルアもそこから押し出されまいと必死だ。

クラピカは間に挟まれてもみくちゃだった。



「がーっ!!重いんだよチビ共!!とっとと降りろっ!」

「「やだ(ね)っ」」

「うう…;助けてくれ…;」



そんな光景を見て、レオリオとセンリツも安堵したような笑みを浮かべてお互いの顔を見合わせた。

そしてとても嬉しそうにはしゃぐゴンとキルアを押さえに取り掛かる。


でもその顔は妙に楽しそうで、部屋に響く声も高く弾んだものだった。



「落ち着いて、2人とも。クラピカが潰れちゃうわ」

「そうだぞ、ゴン、キルア!こぉの!」

「いででででっ!!何してんだレオリオ!どさくさ紛れにテメーまで乗りかかってくんじゃねーよ!!オレの腕折れてるって忘れてんだろテメーら!! …重ッ!!重い!死ぬ!!今度こそ死ぬ!!死んでやる!!」

「…ううぅ…;」

「ほら、クラピカ唸ってるよ!早くどけてレオリオ!」

「そうだよ、重いんだよレオリオ!クラピカ死んじまうだろ!早くどけよ!」

「はいはい…って、オレだけ悪者かよ!」

「おいっ!!オレの心配はなしか、お前ら!」

「ジャズは十分元気だろ!!」


「うふふ、まぁまぁ。…さ、皆さん早く降りて。そろそろクラピカを休ませてあげましょ」

「だからオレは無視なのか!?」

「ジャズは早くベッドどけろよ、クラピカ寝かせるんだから!」



クラピカを間に挟んだまま騒ぐ4人の『仲間達』を、センリツは楽しげに眺める。






ふと顔を上げて窓から見えるのは、澄み切った青い空。








「――――もう、雨…止んだみたいね。」



天高く、どこまでも遠くまで広がる空の下。

センリツのそんな言葉が、少年達のにぎやかな声とともにヨークシンの街並に消えていった。




























同じ空の下。






背に逆十字を背負った黒の男はひとり荒野を歩いていた。

目指す場所はただ一つ。



日の出ずる、向こうへ。










菊が葉もろとも枯れ落ちて、血塗られた緋の目の血に臥す傍らで

それでも貴方の優位は揺るがない。残る手足が半分になろうとも。



幕間劇に興じよう。新たに仲間を探すもいいだろう。

向かうなら東がいい。


きっと…『待ち人』に会えるから・・・・・










つづく


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なんとか終わりましたヨークシン編。読んでくださってありがとうございました。
未消化な部分含めて、第二部・グリードアイランド編へ。
番外編2本はジンとの過去話です。

すもも

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ももももも。